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私は言語学者でもないし、他人を納得させられるほど、言葉の歴史を紐解けるほどの深い知識も無い。どことなく、個人的には否定的な思いの方が強かった事柄だが、頭の中を整理しているうち、到底、頭ごなしに否定できるものでは無いと思った、日本人の言葉遊びについて。

インターネット検索すれば否定意見で溢れるほど、「何でもかんでも略せばいいってもんじゃないよ」と耳にしたものだが、ファミコンで始まった略称人生、私は、全く以て否定できる側に居ない。ただ、受け入れにくい言葉と、受け入れて遣っている言葉とに分けて行ったとき、略称がどうこう、というよりも、前述の「何でもかんでも~」などと言っている人間は(言っていた私も)、言葉の多様性を体現する若者を僻んでいるだけじゃないかと思うことにした。

ヒロアカ、スラダン、キョンキョン、火サス、カラオケ、スタバ、あけおめ、ガチ・・・私はめちゃくちゃ略語を遣っている。

中でもあけおめは、そもそもはEvery Little Thingの持田香織様がライブ中かどこだかで発したのが始まりだそう。私は「今年もお世話になりました~来年も~」「明けましておめでとうございます~今年も~」がとても億劫だし、先ほどまで座っていたのに立ち上がらなければいけない・・・その所作もどうかしているし、この中身のない挨拶の交換をするくらいなら、普通に会話をするほうが、人間関係は深まると思う。相手によってはそうするのだけど。でもやはり、あけおめを発明したもっちーには感謝している。


受け入れにくいのは、アピ(アピール)、イミフ(意味不明)、推し(いち推し)、しか勝たん(それに勝るものは無い)、それな(そうだね等同意)、ワンチャン(もしかしたら、一か八か)、わかりみ(わかる)、レベチ(レベルが違う)・・・思ったんだけど、ワンチャン、レベチは「格が違う」とか言うのがかっこよくね~?!
・・・それな


今のうちだから。言葉の大切さはおいおい身に付くものなんだから、若者の成長に期待しましょうよ。と諭すことにした。