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舞台『長い墓標の列』が男女逆転キャストで再演!

はじめに
 2024年1月11日から2024年1月18日にかけて座・高円寺1で「明後日の方向」による舞台『長い墓標の列』と『赤目』の二作品が上演された。本年は『長い墓標の列』の主人公の山名庄策教授のモデルで全体主義に抗した思想家の河合栄治郎(1891~1944)の没後80年に当たる。本作は戦時中に起きた河合栄治郎事件という東京帝国大学経済学部を舞台にした思想弾圧事件を題材にしており、日本学術会議の任命拒否問題や国立大学法人法改正案の強行採決など、大学の自治、学問の自由が脅かされている今だからこそ多くの方に観ていただきたい作品である。

福田善之氏について
 作者の福田善之氏(1931~)は「60年代演劇の旗手」として知られる劇作家で、今年1月に新作『文明開化四ッ谷怪談』を発表するなど、92歳になった現在も精力的に活動を続けている。映画化もされた『真田風雲録』が一番有名な作品かと思われるが、福田氏は「私は高校中退の危機を、親しい先輩の河合武さんの家に居候になることで救われた。彼の父上が河合栄治郎教授で、河合事件、また東大経済学部事件といわれるものの主人公。終戦の前年に亡くなられているから、当然お目にかかったことはないが、私は居候生活を教授の著書に読みふけることから始めた。数年のち、どうやら自分が芝居書きになりたいらしい、と思えはじめたとき、自然に河合家のことを考えた。まず、よく知っていることから書こう、河合家のことなら、私はそこに暮らしていたのだから」と述懐しているように、岸田國士戯曲賞佳作に選出された本作は「60年安保闘争時の学生運動、政治運動の中での作家自身も投影されているような印象を与える」と指摘されるなど、まさに原点というべき重要な作品なのである。

明後日の方向版『長い墓標の列』について 
 河合栄治郎研究の第一人者である松井慎一郎先生が宇都宮大学のオンライン連続公開講座「河合栄治郎とファシズム国家~本物の思想家の覚悟と言動、その新たな真実~」において、本公演について言及され、男女逆転キャストで上演されると知った時は衝撃を受けたが、ヒザイミズキ氏演じる山名教授はまるでロックスターのようなカリスマ性を発揮しており、筆者の目には『ジェンダー・トラブル』の著者である思想家のジュディス・バトラーや、日本学術会議の任命拒否問題で一躍時の人となった加藤陽子先生そのものに見えた。そうツイートしたところ、ヒザイミズキ氏から「加藤陽子氏は、役作りの参考にさせていただいた女性の1人です!」とのリプライがあり、二日後の「こんなやりとりをさせていただいた、と、思ったら、なんと、本日の『長い墓標の列』公演に、加藤陽子先生ご本人が観にきてくださり、なんとなんと、見ず知らずの私にお手紙とお祝いをいただくという奇跡が……!!」とのツイートには心底驚かされたが、奇しくも本公演は加藤先生のベストセラー『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』と松井先生の『河合栄治郎 戦闘的自由主義者の真実』が重要な参考資料だったそうである。

現代的なアダプテーション
 
2013年に行われた新国立劇場版とは異なり、まるでオペラの現代的な読み替え演出のようなアダプテーションが行われているため、最初は違和感を覚えたが、そのおかげで、政府による大学の自治や学問の自由への介入が決して遠い昔の出来事ではなく、現在も進行中の事態であることに気づかせてくれるのである。そうした意味でも時宜に適った再演だったと思う。演出を手掛けた黒澤世莉氏はカンフェティの取材に対し、「当時の価値観で言えば無意識に、男尊女卑や家父長制的な考えが色濃くあると思っていて、そういうものを今回の戯曲で浮かび上がらせるべく、男性と女性を入れ替えたキャスティングにしました。なので大学の先生や学生たちは女性、自宅でかいがいしく家事をおこなう人物に男性を据えています。その場面を通して、僕らが当たり前と思い込んでいた光景が、いかに家父長制的な思考に支えられていたかを浮き彫りにできたらと考えています」と語っており、後日、「名作戯曲を現代に演出すること、集団創作をアップデートすること、どちらもきっちり時代に応答できたと思う」とツイートしているが、本公演はバトラーが唱えたパフォーマティヴィティによる攪乱を通じた社会変革の演劇的実践とも言えそうで、「未来に観に来る誰かのために、チケットを買っておいてあげる仕組み」である「カルチベートチケット」を導入するなど、様々な点において先進的な取り組みだったのではないかと思われる。

登場人物のモデルについて
 
私事に亘るが、筆者は河合栄治郎研究会の川西重忠会長(1947~2019)のご招待で2013年3月に新国立劇場で上演された『長い墓標の列』を観劇することができた。福田氏は当日行われたトークイベントで、城崎啓は実際の大河内一男を参考にしていないとご説明されたが、川西会長は公演パンフレットの中で「劇であるので当然脚色はされているものの、どの役がだれであるのかは、事件を知っている関係者が見ればすぐわかるキャスティングである。後に東大総長になる大河内一男、門弟の安井琢磨、木村健康、新聞記者の土屋清、学生の猪木正道と容易に特定でき、これもこの劇を観る楽しみの一つになっている」と記している。松井先生は「山名が河合だとすると、あまりにも弱く描かれすぎてはいないかと思いました」との感想を述べていらしたが、山名久子は河合国子夫人(七博士建白事件で知られる金井延の次女で陸軍大将の大久保春野の孫に当たる)、山名弘子は河合純子(河合の弟子の斎藤暹(たけし)と結婚するが1944年に戦死)、山名靖が河合武(埼玉県立浦和西高等学校演劇部顧問を務め、『鉄腕アトム』の初代声優である清水マリ氏の恩師でもある)、花里は安井琢磨、村上学部長は舞出長五郎と大内兵衛の融合、助教授の早川は森戸事件で帝大を追われた森戸辰男、新聞記者の千葉は土屋清、日本評論社からの電話は美作太郎、矢田侯爵は井田磐楠、法学部教授の岡島が蝋山政道、革新派の紺野が土方成美、右翼学生の小西は小田村事件で退学処分となった小田村寅二郎(曾祖母が吉田松陰の実妹で、奇しくも河合の愛読書は徳富蘇峰の『吉田松陰』であった)と浅沼稲次郎暗殺事件の実行犯である山口二矢のイメージが合体したものと推察される(初演は事件前の1957年だが、新国立劇場版の小西は刃物の構え方からしてそう見えた)。関西弁を話す演習学生の飯村のモデルは京都出身の猪木正道と推定されるが、健康上の理由で入隊直後に除隊しており、戦地に赴いてはいない。しかしながら、福田氏が参考にした可能性は低いが、飯村のように戦地で捕虜の殺害を強いられた帝大生は実在する。筆者はその一人である絵鳩毅さん(1913~2015)に取材を申し込んだが、和辻哲郎門下のため、直接講義は受けなかったものの、文部省教学局思想課時代に尊敬する河合の『社会政策原理』の検閲に従事させられ(親友で同僚だった梅本克己も河合の検閲を担当した可能性がある)、うなだれながら警視庁に出頭する河合の姿を目撃したのを機に退官されたそうである。戦時中は山東省で初年兵教育を務め、大隊長の命令に逆らえず「少年捕虜を銃剣訓練の標的」にしたり、苦力(クーリー)を「人間地雷探知機」にしたりしたことを終生悔いており、亡くなる直前まで精力的に講演活動を続け、「若いみなさんには前車の轍(てつ)を踏まないでほしい。そのためにも過去の戦争の実態を知り、平和憲法を守り抜く政権を樹立してください」と語られたのを思い出す(詳細は絵鳩毅著『皇軍兵士、シベリア抑留、撫順戦犯管理所 カント学徒、再生の記』を参照)。

 おわりに
 
本公演の魅力は到底語り尽くせないが、惜しむらくはこれほどまでに素晴らしい芝居にも拘わらず、大学が多忙を極める時期に再演されたことにより、河合栄治郎研究会のメンバー達の多くが観劇できなかった点である。再々演が待ち遠しい限りだが、KANGEKI XR(いつでも舞台が見られるアプリ)の4Kアーカイブ配信期間が3月末まで延長されたため、見逃した方はぜひこちら(https://note.com/asatteno_engeki/n/na7df6c7e4f08)からご視聴いただきたい。

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