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フリーランスの編集者&ライターです。主に人文系の論文や本、雑誌記事の校閲と留学生向けのネイティブチェック(日本語)を行っています。歴史上の人物の子孫や関係者への取材&直筆資料の収集に明け暮れています。トップ画像はシャルル・ジェスマールが描いたミス・タンゲットの肖像画です(私物)。

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舞台『長い墓標の列』が男女逆転キャストで再演!

はじめに  2024年1月11日から2024年1月18日にかけて座・高円寺1で「明後日の方向」による舞台『長い墓標の列』と『赤目』の二作品が上演された。本年は『長い墓標の列』の主人公の山名庄策教授のモデルで全体主義に抗した思想家の河合栄治郎(1891~1944)の没後80年に当たる。本作は戦時中に起きた河合栄治郎事件という東京帝国大学経済学部を舞台にした思想弾圧事件を題材にしており、日本学術会議の任命拒否問題や国立大学法人法改正案の強行採決など、大学の自治、学問の自由が脅かさ

    • 二宮尊徳と久保田譲之助ー栃木県における報徳仕法と七博士建白事件

       2月24日に開催された鹿沼れきしカフェで2019年に行われた鹿沼まるごと博物館第5回企画展『二宮尊徳と久保田譲之助ー最後の仕法が拓いた未来ー』展の図録を頂戴しました。  久保田譲之助(久保田譲)は但馬国豊岡藩(現在の兵庫県豊岡市)の出身ながら、日光神領で活動していた二宮尊徳の息子である二宮尊行の弟子となり、二宮尊行が相馬中村藩に退去するに際し、引田村(現在の鹿沼市)の仕法を継承しています。戊辰戦争により、一度は中断を余儀なくされるも、下野国知県事の鍋島道太郎(鍋島幹)に願

      • シェイクスピアとジェームズ一世―福田恆存の尊王バイアス

         福田恆存はシェイクスピアの『マクベス』について、ドーヴァー・ウィルソンの説に依拠しながら、「『マクベス』はジェームズ一世に捧げられた作品であり、「作者は「惡魔研究」の著者ジェームズ一世の眼を意識してゐたこと明瞭である。さらに大きな根據は、スコットランド王家の出であるジェームズ一世への讚美が、この作品の筋書と密接に結びついてゐることだ」と述べている。  しかし、ジェームズ一世は大の魔術嫌いであり、即位してすぐに魔女狩りを強化したほどで、『悪魔学』を執筆したのも、妖怪学の井上

        • 【書評】エマニュエル・エジェルテ著、西川秀和編訳『サン-ジュスト伝』が刊行!

          はじめに  「革命の大天使」、「死の天使長」などの異名で知られ、ロベスピエールの右腕として活躍し、自身もテルミドールのクーデターによってギロチンの露に消えた若き革命家サン-ジュスト(1767~1794)の本邦初の本格的な伝記が翻訳された。 訳者について  本書を手掛けた「翻訳工房DOCTEUR」を主宰する西川秀和先生は、建国期のアメリカ大統領を専門とするアメリカ史研究者で、『アメリカ人の物語』シリーズ(悠書館)や『アメリカ歴代大統領大全』シリーズ(大学教育出版)等の伝記

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        舞台『長い墓標の列』が男女逆転キャストで再演!

          私が校正にご協力したエマニュエル・エジェルテ作、西川秀和訳『サン-ジュスト伝』が刊行されました。

           私が校正にご協力したエマニュエル・エジェルテ作 西川秀和訳『サン-ジュスト伝』の見本が今しがた到着しました。とてもカッコ良く仕上がっています!西川先生、どうもありがとうございました!ご購入されたい方はこちらのサイトからお申し込みください。よろしくお願いいたします。booth.pm/ja/items/51089…

          私が校正にご協力したエマニュエル・エジェルテ作、西川秀和訳『サン-ジュスト伝』が刊行されました。

          川上澄生作『夏の夜の夢』

           鹿沼市にある川上澄生美術館の友の会だより『朴花居 第29号』(2023年12月発行)に川上澄生の版画作品『夏の夜の夢』(1925年頃)が取り上げられています。タイトルどおりウィリアム・シェイクスピアの喜劇『夏の夜の夢』が題材になっていますが、坪内逍遙のようにmidsummerを「真夏」とは訳さず、本作を影絵として描いたことからも、最終段落の妖精パックの台詞「我らは影の者」(we shadows)を意識しているに違いありません。英語教師であった川上澄生のシェイクスピアに対する

          川上澄生作『夏の夜の夢』

          しがないビブリオマニアのボヤキ

           本稿は下野愛書会の会報『愛書会通信第29号』(2023)に寄稿した「しがないビブリオマニアのボヤキ」の加筆修正版である。 しがないビブリオマニアのボヤキ  昨年末、ゲンロンカフェで開催された荒俣宏先生と鹿島茂先生と東浩紀先生の鼎談を拝聴したが、荒俣先生が「本を集めているのではなく、集めさせられている」と語っておられたのが印象的だった。私も「大学進学が無理なら、自宅を大学図書館にしてしまえ!」と発想を転換し、読む時間も無いのに仕事でストレスが溜まると狂ったように本を買い、

          しがないビブリオマニアのボヤキ

          「アーサー王伝説:ラファエル前派のラブストーリー」展について—ヴィクトリア朝の女流画家エリザベス・シダルを中心に

          はじめに   2022年10月14日から2023年1月22日にかけてロンドンにあるウィリアム・モリス・ギャラリーで「アーサー王伝説:ラファエル前派のラブストーリー」展(The Legend of King Arthur: A Pre-Raphaelite Love Story)が開催された。ファルマス美術館やタリーハウス博物館にも巡回したが、監修を務めるファルマス美術館のナタリー・リグビー(Natalie Rigby)は近現代の英国美術史が専門のキュレーターで、2023年5月

          「アーサー王伝説:ラファエル前派のラブストーリー」展について—ヴィクトリア朝の女流画家エリザベス・シダルを中心に

          ジャンヌ・ダルクとアーサー王伝説

          ジャンヌ・ダルクのアダプテーション  二〇二二年はジャンヌ・ダルク(一四一二年頃~一四三一年)の生誕六一〇周年の節目であった。そのため、諸説あるものの、本稿では主題化されることの少ないジャンヌ・ダルクとアーサー王伝説の関連性について私見を述べたい。筆者はオルレアンの姉妹都市である宇都宮市で生まれ育ったが、子供時代はジャンヌ・ダルク研究の大家である中世史家のレジーヌ・ペルヌー(一九〇九年~一九九八年)の著作を愛読していた。たまたま小学校の図書室に配架されていたからである。当時

          ジャンヌ・ダルクとアーサー王伝説

          「真理を観察することで精神が高められ、精神を現実のみじめさから解放してくれる」

          「科学は、ファーブルにとってはたんにパンを稼ぐ手段ではなかった。彼は弟にこう書き送っている。「それは、もっとも気高いもののひとつである。真理を観察することで精神が高められ、精神を現実のみじめさから解放してくれる。そしてその精神の領域において、私たちは、私たちに許されている唯一幸せな十五分を享受することができるのだ。」」 マルティン・アウアー著『ファーブルの庭』(NHK出版,2000年)より引用。

          「真理を観察することで精神が高められ、精神を現実のみじめさから解放してくれる」

          ジョゼフ・ニーダムはヘーゲルに於けるライプニッツの影響を強調している。

           「弁証法は、もちろんマルクス、エンゲルスが大成をしたわけですが、マルクス、エンゲルスは、ヘーゲルに非常に多くを拠っている。ヘーゲルがどこに拠っているかを突止めていくと、ライプニッツです。ではライプニッツ以前に、いったいどこに始祖があったかというと、これはどこへつなげていいかわからない。プロティノスにそのつながりを求める人もいますけれども、私はやはり、ライプニッツが、中国から帰ってきたイエズス会の神父たちと非常に密接な関係があったこと、そしてその神父たちから、たとえば中国の伝

          ジョゼフ・ニーダムはヘーゲルに於けるライプニッツの影響を強調している。

          権威主義ではなく、know who

           私は古今東西の文学や哲学の伝統を踏まえた上で、現代的意義のある仕事をすべく、その道のオーソリティーの書いた古典的名著に依拠して議論を展開するのだが、「哲学ではなく哲学史をしている」とか、「有名人の名前や教授のブランドをありがたがる権威主義者である」との人聞きの悪い批判も受けることもある。しかし、こうした意見は私のコンセプトを全く理解していないと言わざるを得ない。  吉本隆明が書いているように、どんな分野でも十年修行してようやくスタートラインに立てるわけだが、権威が権威とし

          権威主義ではなく、know who

          哲学は歴史をとびこえて進むことはできない。なぜなら、哲学は時代の子であり、「思想のうちに把握されたその時代」だからである。

          「社会的現実は、一般的な抗争や利己性や搾取をともない、過剰な富と極度の貧困をともなっているが、まさにこの社会的現実こそ、理性がその上に築かなくてはならない基盤なのである。哲学は歴史をとびこえて進むことはできない。なぜなら、哲学は時代の子であり、「思想のうちに把握されたその時代」だからである」。ヘルベルト・マルクーゼ著、桝田啓三郎、中島盛夫、向来道男 共訳『理性と革命』(岩波書店 1961年刊 P.239)より引用。 コメント

          哲学は歴史をとびこえて進むことはできない。なぜなら、哲学は時代の子であり、「思想のうちに把握されたその時代」だからである。

          「ニコ」と呼ばれた堀口大學

           堀口大學と交流の深かった恩師から、ジャン・コクトーが大學のことを「ニコ」と呼んでいたと伺い、ずっとその由来が分からなかったが、岩波文庫版の訳詩集『月下の一群』に安藤元雄氏の解説があり、父・堀口九萬一の二度目の結婚相手であるスチナ・ジュッテルンド夫人は敬虔なカトリックで、異母弟の堀口瑞典の「文士の護り神である聖ニコライに因んだのでしょう、兄を“ニコ”“ニコ”と呼んで大事にしておりました」との証言が引用されていた。長年の疑問がようやく解けた。

          「ニコ」と呼ばれた堀口大學

          リムスキー=コルサコフとレスピーギ

           十年ほど前にトークイベントで西本智実さんのお話を伺うまでは全然知らなかったのだが、レスピーギがペテルブルグでリムスキー=コルサコフに師事していたとは思わなかった。イリヤ・ムーシンの師は指揮者のニコライ・マルコで、彼はリムスキー=コルサコフに師事しているから、西本さんはリムスキー=コルサコフの曾孫弟子に当たるわけだ。レスピーギと言うと、あんまり聴いたことないし、どうしてもイタリア古楽の復興というステレオタイプなイメージしかなかったので、とても勉強になった。 コメント

          リムスキー=コルサコフとレスピーギ

          ジョーゼフ・キャンベルの「ヒーローズ・ジャーニー」とジョージ・ルーカスの「スターウォーズ」について

           もう何年も前の話だが、神話学のジョーゼフ・キャンベルをジョージ・ルーカス監督に引き合わせたキャンベルの弟子のロバート・ウォルターさんか来日にして都内で講演を行ったことがある。キャンベルが唱えた「ヒーローズ・ジャーニー」の話を伺って、ふと気づいたが、今は亡き今道友信先生も「哲学は自己から始まり、自己へと戻る」とおっしゃっていたのをまるで昨日のことのように思い出す。「永劫回帰」を唱えたニーチェもキャンベルもギリシア悲劇の研究という「ヒーローズ・ジャーニー」(内省が伴う知的冒険を

          ジョーゼフ・キャンベルの「ヒーローズ・ジャーニー」とジョージ・ルーカスの「スターウォーズ」について