見出し画像

「知りたい」は愛に勝るか。--- 映画「未知との遭遇」レビュー

午前十時の映画祭にて、久しぶりに劇場で「未知との遭遇」を見ることができました。

「あなたは何か一つの事に夢中になると、周りの事が一切目に入らなくなってしまう。あなたはそれで良いのかもしれないけれど、周りにいる人は迷惑してるってことも考えて。」

これは私がよく家内に言われる台詞です。私はそんな自分の欠点に30歳近くになってうっすらと気付き初めていたので、それを私にきっちり指摘してくれた女性にカミさんになってもらいました。

「未知との遭遇」の主人公ロイ・ニアリーも、元々そんな感じの人間だったのだと思います、おそらくUFOに出会うずっと前から。

妻のロニーは、そんなロイの無邪気な一面を受け入れて結婚したんだと思います。子供のまま夢を追い続けている大人は時に魅力的だったりするのかもしれません。君がそばにいてくれたなら夢ばかり見ないで真面目に暮らしていけると告白されたのかもしれません。

でもいざ結婚してしまえば、待っているのは退屈な日常。大人子供の夫はリビングに拵えた鉄道模型のジオラマに夢中だし、家の中は子供たちのおもちゃで散らかり放題、もう片付ける気力もない。私の居場所はリビングのシングルソファの上だけ。週末の予定はピノキオ!?私もピノキオにつきあわされるの?ああ、子供が狂ったように人形をフレームに叩きつけている。ガン!ガン!ガン!ガン!うるさい!うるさい!うるさい!

改めてニアリー家のシーンを観ると、ストレスの描写が実に的確で、もう最初の時点でロニーもギリギリだったのだというのがよくわかりました。ロイがUFOに遭遇した丘でも、ロニーは一生懸命ロイとの気持ちの繋がりを立て直そうとします。とても健気です。これまで何度もこの映画を観てきましたが、こんなにロニーを愛しく思えたことはありません。

しかし当のロイ、そんなロニーの誘いに付き合いこそすれ、ぜんぜん上の空。気持ちはUFOです。とても直視できないまばゆい光を放ち、猛スピードで目の前を通り過ぎていったアレは一体何なのか、それが気になって仕方がない。

最初の遭遇シークエンスを改めて観ると、空からやってくる知的生命体(便宜的に異星人とします)は、まず自分たちの送るメッセージをより敏感に受け取る相手を決めるためのサンプリング調査をしているように思えます。無作為にメッセージを送りまくって、反応したあいてを交流相手として受け入れようとというのが狙いです。そしてそのサンプリングに引っかかってしまったのが、「無邪気で夢中になると周りが見えなくなってしまう困った大人子供」のロイでした。ロイの中では頭の中に残されたメッセージが何を意味するのか知りたい、その欲求に脳内を支配されていきます。

未知との遭遇が描いているドラマの中心にあるのは、この地球上でおそらく人間だけが持ち得る「知りたい」という欲求です。例えば母性や父性、あるいは伴侶に対する愛情というのは、ある程度の進化を遂げた動物であれば人に限らず持ちあわせているものです。しかし物事を知りたい、という欲求は人だけが持っている本能です。これは愛情というベクトルとはまったく別の存在です。暴論と笑われるかもしれませんが、人類にとって愛情は繁殖という横の広がりを生み、知的欲求は進化という縦のベクトルの広がりをもたらしているとさえ、私は思うのです。

もちろんロイ・ニアリーがこの映画の中で人類として進化したとかいう話ではありません。ですが、この映画ではその知りたいという欲求の姿がヒロインのジリアン・アンダーソンを通して極めて美しく描写されます。私は今回の上映で初めてそれに気がついて、劇場で涙を流しました。

話をジリアンの物語に移します。
まず、彼女の最愛の息子、バリーが連れ去られるシーン。扉の向こうの光の中に出て行こうとするバリーの足を、ジリアンは掴んで引き戻そうとします。ところがジリアンは意外なほどあっさりとバリーを手放してしまうのです。なぜ彼女はバリーを放してしまったのか、それはバリーからジリアンの手を引き剥がそうとする相手の手が、思いの外優しく、柔らかなものだったからではないかと思うのです。そして相手の手に触れた瞬間に、ジリアンにも邂逅のイマジネーションが与えられたのではないでしょうか。

そしてその後ジリアンの心の中ではバリーを取り戻すという目的以上に「知りたい」という気持ちが膨れ上がっていくのです。母と息子の愛とか絆とかそんなものすら吹き飛ばしてしまう「知りたい」という欲求、それこそが本作品のテーマなのだと私は思います。私が美しいと感じたのはデビルズタワーの謎が解明されたその時のジリアンの笑顔!その涙でぐしゃぐしゃになりながらもどこか恍惚とした笑顔がすべてを物語っているのです。邂逅の場面での音による会話がかわされる場面でも、まだバリーを取り戻せていないにもかかわらず、彼女は泣きながら笑顔なんです。あまり触れられることはありませんが、本作のメリンダ・ディロンの演技は本当に素晴らしい。

この映画の評価には、妻子を棄てて宇宙に旅立ってしまうロイ・ニアリーはひどい奴、という声が一定数存在します。私もそれは否定しません。ですが、やっぱりその評価は違うと言いたい。少なくとも「何か一つの事に夢中になると、周りの事が一切目に入らなくなってしまう。」と言われる私のような人間にとっては、痛いほどロイやジリアンの気持ちがわかるからです。家族への愛情と好奇心のどっちが優先するかという問いに応えるのはとても苦しいし、人としては間違っているのかもしれないけれど、でも一定数そんな人物を内包しているからこそ、今の人類は存在しているのではないかと。

多分私は少しだけそちら側に近い人間なのだと思います。でも恐らく少しだけなので夜空を見上げてこう言うしかないのです。

「ニアリー、君がうらやましい。」


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?