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自分が風船をひろったのは親切のためではない

詳しい事情は置いといて、いま自宅で落ち着いてnoteを書ける状況じゃないのである。仕事から帰ってきて、noteにマンガやら文章やらを書いて、ということが自分にとってささやかなストレス発散になっていたのだが、いまはそれがあまりできない。お金持ちになったら自分の書斎がほしい。誰にも干渉されず、没頭できる場所がほしい。

そういう時間って、ほんとうに貴重なものなんだなあ、と改めて思う。いまこの文章を書いている傍らで、死とか、焦燥とか、孤独とか、疲労とか、貧困とかがモクモクと吐き出されている。どの程度それを受け入れるか、その匙加減がとても難しい。私は生来人間の感情があまりよく分からないところがあるので、共感できないところもあるし、ネガティブな感情に接していると、正直に言うと、疲れてくる。

何も不自由していないのに、という言葉で、本当の不自由を見ないようにしている。自分は恵まれているはずだ、という言葉で、どうしても埋まらない飢餓感を必死に押し隠している。誰にだって秘密がある。笑顔で笑い合っている職場の同僚だって、街ですれちがう人々だって、楽しいことと、つらいことを押し隠しながら平静を装っているが。いつ、どのような形でその人が押し隠しているものが噴出するかは分からない。空気が充満した風船に、針を刺すようなものだ。風船は目にも留まらぬはやさで破裂して、秘密にしている感情が、一瞬にしてばらまかれる瞬間があるのだ。

先日、妻と散歩をしていたら、後ろから自転車がやってきた。小学生の男の子が乗っていて、その前のかごには風船が入っていた。その風船が、自転車のかごからふわりと浮き上がって、地面に落ちた。私はそれを拾って、男の子に渡してやった。男の子はひどくはずかしそうに、返事もせず私から風船をふんだくって、自分の自転車のかごにぎゅうぎゅうと押し込んだ。次の瞬間、乾いた破裂音を残して、風船は割れてしまった。男の子は声を押し殺して泣き始めた。私は、自分が風船をひろったのは親切のためではないのだとわかった。親切のためではなく、その男の子に対するすこしの悪意を、自分のなかに認めた。彼の隠していた感情と、私の隠していた感情。

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