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ナティア

むかしむかし、バルハシ湖のほとりに小さな国がありました。
豊かな水源に守られているおかげで、人々は活気ある暮らしを送っていました。その国の王様にはながらく子供がありませんでした。しかし、老年を迎えてやっと、側室との間に男の子が生まれ、民衆は世継ぎの誕生にほっと胸を撫で下ろしたのでした。 

生まれた王子は王様に溺愛され、何ひとつ不自由のない暮らしを送って、やがてなかなか端正な顔立ちの青年になりました。王子は聡明で馬に乗るのも得意、王様自慢の息子なのですが、ひとつだけ、家来たちを困らせていることがありました。王子は好奇心が非常に強く、家来たちの目を欺いては、ふらっと城下に遊びに出かけてしまうのです。お城は彼にとって少しばかり退屈な場所であったのです。

季節は年の瀬、城下のメインストリートは喧騒でごった返していました。商人たちが異国より持ち寄った珍しい品々を道端に並べています。極彩色の織物やどうやって握ればいいのか分からない変てこな刃物、一年中消えない火の塊、はたまた羽の生えた鼠。その日も退屈のあまり城を抜け出してきた王子は、活気づいた街の様子にすっかり心を奪われ、時間の経つのも忘れてあちこち街を歩き回ったのです。

ふと気づくと行きかう人々の影が商人たちのテントに伸びて、辺りはすでに夕暮れ、そろそろ城に戻ろうとした王子の目の前を、ひとりの美しい娘が通りすぎました。娘のあまりの美しさのせいで、王子は城下で見た様々な品々のことなどすっかり忘れてしまいました。一目惚れです。

その日を境に、王子の様子は以前とすっかり変わってしまいました。何事にも集中せず、得意だった乗馬も、馬の背中から振り落とされ危うく大怪我をしそうになりました。王様は王子が何か大変な病気に罹っているのではないかと気が気ではなくなり、王子を問いつめました。すると件の娘のことを打ち明けたので、子煩悩の王様は家来に命令して街中をくまなく調べさせ、ついに娘を見つけました。

王子は隣の国のお姫様と許婚の関係にあったので、王様は見つけ出した娘を王子の側室として城に迎えました。長らく跡取りのできなかった自分を省みて、できるだけ早く王子に子供をつくらせたかったのです。

さてさて

側室となった娘は名をナティアと言いました。ナティアは赤子のおりに街はずれに捨てられていて、子供のなかった老夫婦に育てられたのでした。なるほど王子が一目惚れしただけあって、城中のすべての人間がおもわず見入ってしまうほどの美人で、そのうえ、とても美しい声をしていました。ナティアが歌いはじめると城の人間はもちろん、城下の民衆たちも仕事の手を休めて聞き入ってしまい、料理人は作りかけの料理を焦がし、馬番は馬に逃げられ、鍛冶屋は作りかけの包丁を釜の中に落っことしたのです。

あっと言う間に王子の側室の評判は近隣の諸国にも伝わって、その姿を一目見ようと来訪する者が後を絶ちませんでした。ナティアが来てからというもの、王子は城を抜け出すことをぱったりとやめてしまいました。以前にまして学問や武術にはげむ傍ら、暇を見つけてはナティアの歌を聞いたり、ふたりで城の中を散歩することが楽しくて仕方ないのです。

ただひとつ、王子には悩みごとがありました。ナティアが床を一緒にさせてくれないのです。今日こそは、と意気込んでいても、夜になると、体よくはぐらかされてしまうのでした。王子は自分が嫌われているのではないかと思い、率直に聞いてみました。ナティアはくすくす笑いながら、

「そんなことあろうはずがございません、御子さまは頭もよくて馬も上手に操るし、なにより優しい方でございます」

と言ったのでした。その言葉に王子はすっかり嬉しくなったのですが、夜になるとやっぱりナティアは自分の寝室に戻ってしまいます。途方に暮れた王子は、そのことを王様に相談しました。王様は王子の深刻な表情を見て笑い、

「お前は何でも器用にやってのける自慢の息子だが、まだ若い。そういう場合は勇気が必要なのだ」

と言いました。そして王子はナティアの寝室に潜りこむ決意を固めたのです。

次の晩、いつものようにナティアにふられた王子は、自分の部屋で悶々としながら待ちました。ナティアが寝付いた隙を狙うという心づもりなのです。時間が過ぎるのがとてもゆっくりに感じられました。

すっかり夜が更けたころ、待ちに待ったとばかりに王子は冷え冷えとした廊下を進みました。そして彼女の寝室の扉をそっとあけ、中の様子をうかがったのです。

つぎの瞬間、王子は驚きのあまり「あっ」と叫びました。寝台には一匹の狼が寝ていたのです。王子の声で飛び起きた狼は、部屋の窓から逃げ去ろうと走りだしました。王子は、とっさに護身用の短刀を抜き、逃げる狼の後ろ足を一本、切り落としました。

足を切られた狼が苦痛のうめき声をあげたとき、王子は青ざめました。狼の発した声が、まるでナティアの声のように思われたのです。血で濡れた刀がぽとりと床に落ちました。その隙に狼は窓から逃げていったのです。部屋にはナティアの姿はなく、その後、彼女の姿を見たものは誰一人としてありません。王子の聡明な気性は、以来すっかりなりをひそめてしまいました。それからすぐに病に倒れ、この世を去ったのです。湖のほとりでは、王子の住んでいた城を眺めながら鳴く、三本足の狼を見かけた旅人がいるということです。

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