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年の瀬に聴きたい落語といえば

立川談志、古今亭志ん朝、柳家小三治

「500万円入った財布を拾う魚屋と女房の噺」

酒に溺れ商売を怠けている魚屋が、女房になだめすかされて芝浜の魚河岸に出かけたが、時刻を間違えて起こされたので、まだ問屋があいていない。浜で夜明けを待っていると、大金の入った財布を拾ってしまう…。

年末や大晦日に演じられることが多い落語といえば「芝浜」ではないでしょうか。

江戸八景・芝浦の帰帆

芝浜のはじまり


「芝浜」は、三遊亭円朝が幕末のころに酔っ払い・芝浜・財布の三題噺としてつくった古典落語の演目とも言われていますが、正確な作者は不明のようです。3代目桂三木助の改作が有名で、夫婦の愛情を暖かく描いた屈指の人情噺として知られています。

「芝浜」は、酒浸りで仕事を怠けている魚屋が、朝早く女房に起こされて出掛けた芝の浜で大金を拾うという内容です。拾うお金は50両か42両で、50両だと500万円に相当するそうです。

年末定番の噺


噺のヤマと呼ばれるクライマックスが大晦日であることや、仕事を怠けた魚屋が女房の一言で一念発起するていうスジ・ストーリーから一年に一度位は個人的な「こうありたいものだ」という気持ちから、定期的に聞きたくなる落語の演目の一つです。


本芝(ほんしば)周辺地区の説明板

芝浜の場所


芝浜は地名としては、現在の東京都港区芝4丁目の第一京浜の南側にあたる地域にあった海岸線でのことで、江戸から品川へかけての海は「袖ヶ浦」と呼ばれ、この芝付近の陸側を芝浜、海上を芝浦と呼んでいたと言われています。

江戸時代の主要な魚市場は二つあり、ひとつは日本橋、もうひとつが芝であったと言われます。芝は主に江戸前(東京湾)の小魚を扱っていたことから雑魚場とも呼ばれていました。

芝では朝と夕の一日2回の市が立ち、新鮮な江戸前の魚は「芝肴」と呼ばれ重宝されていました。

2018年には、JRの新しい駅の名称が「高輪ゲートウェイ駅」に決定しましたが、落語にちなんだ「芝浜」も公募数で第3位につけていたそうです。

2022年の4月に港区芝浦一丁目に新規開校した小学校の校名は、港区立芝浜小学校というそうなので、名前からしてとても粋な小学生が通っているのではないかと想像してしまいます。


落語に登場する言いまわし


落語には現代では馴染みの少ない言葉や、昔の言い回しが多く登場します。

主人公の魚屋の勝五郎(または、熊さん)の職業は、棒手振り(ぼてふり)の魚屋で、冷蔵設備のなかった江戸時代は、毎日行商人が市場から魚を仕入れ、鮮度が落ちないうちに売り歩くという形で商いを行っていました。木製の容器を紐で吊るし、天秤の要領で前後に売り物を担いで売り歩くその形を棒手振り(ぼてふり)と呼んでいたそうです。

魚屋が時を間違えたことに気付く場面で鳴っているのが、時を告げる「切通しの鐘」と呼ばれる鐘の音です。噺家によっては、「増上寺の鐘」と演じる場合もあるようです。

当時は増上寺と青松寺の間にある「切通坂」という道に時を告げる鐘があったと言われており、その道の名前から「切通しの鐘」と呼ばれ、庶民にも親しまれていたようです。

芝浜を演じた噺家


登場人物がシンプルで、噺のスジも分かりやすく、万人が共感できる普遍的な人情噺の定番として芝浜は多くの人に愛されている落語の演目のひとつです。

一方で、芝浜は、解釈や噺家の了見、聞き手の好みが分かれる噺でもあります。

これまでも、さまざまな名人が芝浜を演じており、ここでは、それぞれ特徴的な立川談志、古今亭志ん朝、柳家小三治の芝浜について触れてみたいと思います。

(落語を聞いた感じ方は人それぞれなので、その点の解釈はご了承ください。噺家の呼称も敬称略とさせていただきます)

立川談志は、駄目な夫婦を人間臭く、ダメなものをダメに演じたというような、人間味がある芝浜を演じました。「談志の芝浜」とも呼ばれ、終盤の妻の人物像がそれまでの芝浜で演じられてきたしっかりした妻ではなく、素直に「嘘をついて悪かった」と演じることで、胸に迫る迫真の演技というか、憑依したような鬼気迫る現実味をもった熱演も記録に残っています。

「ダンシガシンダ」あとも立川流の名だたる弟子たちによって語られることも少なくない演目のひとつです。

「落語とは人間の業(ごう)の肯定だ」と語った談志曰く、人間とは所詮どうしようもないものなのだという味わいを感じられるのも魅力のひとつです。

https://youtu.be/AjWBp89hNMw?si=iSE7aW7e34OLHOZo


古今亭志ん朝は、軽妙な語り口と綺麗な江戸ことばが印象的な、テンポと切符の良さが特徴の芝浜を演じました。

時間を間違えて魚河岸に行って浜辺で革財布を拾う場面、そこから家までの駆け戻り、心機一転酒を断って一生懸命に働く三年間、演者によっては細かく描写を行い聴かせるところではありますが、これを省略や語りで軽めに切り上げることが多かったとも言われています。

魚屋が浜で煙草を吸いながら夜明けの海を見る場面をカットするのは、志ん朝だけではなく、父の志ん生も、兄の金原亭馬生も同様で、古今亭の型とも言われています。これは、財布を拾うくだりが後に女房に話すシーンとの重複することをさける意図や、夢の話に絡んで、財布を拾う場面があまりリアルになってはいけないという趣旨だとも言われています。

その分、夫婦のかけあいも威勢がよく、江戸っ子らしく啖呵を切る魚屋に対しておかみさんも負けてはおらず、切り返すやりとりも聞きどころです。

https://youtu.be/rm1VPgEGxVk?si=8LaoP-iOozD5aYzl


柳家小三治は、独特のおかしみや人間味を丁寧にすくいとった芝浜を演じています。

くすりと笑えて、ほろりと泣けるのも、飄々とした語り口に聞き入ってしまうのは噺家の名演があってからこそなのかもしれません。

小三治の芝浜は、浜の夜明けの描写も残した形で演じられています。

元々の噺の主人公が江戸っ子なのでサゲを照れた様に言う演じ方も多い一方、小三治のしみじみという『また夢になるといけねぇ』も味わいがあります。

https://youtu.be/CilxIiL6mrs?si=ANhfDae6k-FTnyb6

おもしろさの了見


噺家の個性や解釈で同じ噺でも様々な楽しみ方があるのも、落語のおもしろさの一つです。

今時に言うと多様性があるとも言えますし、それだけ人生色々、人それぞれの感じ方があるということです。それを受け止める懐の深さがあるというところも古典落語のすごさなのかもしれません。

落語にはよく「了見」という言葉が出てきます。意味合いは、価値観、ポリシー、考え方、行動様式、人間性などを合わせた意味合いで広く使われる言葉が「了見」という言葉なのだそうです。

演じる噺家や聞き手の了見によって、感じ方や印象が変わるところもまた落語の魅力なのかもしれません。

夫婦の情愛や、怠ける、働く、嘘をつく、お金が欲しい、真っ当に生きる、といった普遍的なテーマを扱っている芝浜ですが、

聞いた時の自分の年齢や、その日の気分、自身の置かれた状況によって、魚屋に感情移入したり、女房に感情移入したりも変わってくるので不思議なものです。

とにもかくにも、年に一度は芝浜を聞いて、真面目に生きようと思いながら、ユーモアも必要だとか、駄目でもいいじゃないかとか、

自己肯定と否定を繰り返しながら、今年や来年やその先のことをあーだこーだ考えるのも、また一考なのだと、書きながらゴタゴタ考えて、年末に田舎にも帰らずに日本酒が飲みたくなるのでした。

いや、よそう・・・かな。

もうひとり、芝浜を十八番にしていた三代目の桂三木助が、昭和36年に亡くなった直後の寄席で、志ん朝の父、古今亭志ん生が三木助を偲んで「芝浜」を演じたという記録も残っています。

その桂三木助が良く色紙などに書いた言葉が次の言葉だそうです。

「芝浜の そのあしたから 早く起き」

おあとがよろしいようで。

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