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宮城事件とある歴史学者–––「諫死」の論理

前回、宮城事件と歴史学者・平泉澄との関係について簡単に述べてきました。今回は、事件首謀者を支えた平泉のイデオロギーと、その影響について述べていきたいと思います。表記などは前回記事と同じ基準です。前回記事は、こちらから。

忠誠の対象は「天皇」

「平泉史学」にとって絶対的な忠誠の対象は「天皇」でした。平泉にとってそれは戦後も変わらず、少年向けに書かれた日本通史『物語日本史(中)』(単行本原題は『少年日本史』)にその思想がよく現れた一節があります。時は鎌倉時代、後鳥羽上皇が鎌倉幕府執権の北条義時に対して政治の実権を取り戻すべく、兵を起こした際の話です。いわゆる「承久の乱」ですが、この時北条政子が武士たちを集めて次のようにいい放ちます。

「一同の者、よくよく承れ。汝ら、今日の収入といい、官位といい、すべて頼朝公のおかげではないか。その御恩は、山よりも高く、海よりも深いであろう。それを忘れて、京へ参り、官軍に付くか、それとも頼朝公の御恩を考えて、鎌倉方として御奉公するか、態度をはっきりきめて、ただいまここで申し切れ。」

この言葉に武士たちは感動し、鎌倉方に忠誠を誓うのですが、平泉はこの場面を次のように批評します。

<彼らは学問が足りませんので、大義を理解することは困難です。ただ直接自分の生活に利益を与えて貰った恩義にだけ感動するのでした>(平泉澄『物語日本史(中)』)

普通であればこれは北条政子の面目躍如たる場面で、その堂々とした姿が印象に残るはずです。しかし、平泉はここで主家への忠誠を表明する武士たちを「学問が足りない」とこき下ろすのです。学問が足りないとは、一体どういうことでしょうか。

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