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【違和感チューニングその8】大人に保健室を。

こんばんは。さあやです。

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「違和感チューニング」という日頃の違和感についての雑記を書いています。よかったら読んでいってください。あわよくば「スキ」もお待ちしております。
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みなさんは、保健室っていったことありますか?

行ったことある人とそうでない人で保健室の印象は違うかな。

私もそこまでお世話になったことがあるわけではないです。でも利用したときのことは鮮明に覚えていて、今でもたまに思い出すことがあるんです。どうして覚えているんだろう、それが今回の違和感チューニング。

私が保健室登校などしていたわけではなく普通の利用者。予防接種とか健康診断を除くとそこまでお世話になったわけではないのが正直なところ。まずは、どうしても思い出す2つの保健室エピソード。

episode1~HELP!初の肩こり事件~

自分でいうのもあれだが、それなりに真面目で長期休みに学校の教室で勉強していた。大学受験を控え1日に何時間も机に向かっていると訪れるのが「肩こり」。社会人となった今では少々の肩こりは友達、居ない日がない、みたいなところがあるが、高校時代の私には「肩こり」は対処方法のわからない天敵だった。

いよいよ、私の肩こりは、腕や手首、頭まで痛めつけてきて限界だった。一体、私はこの痛みにどう対処すればいいのか。一人ぼっちの教室で天を仰いだ。

「あ、保健室・・・・!」突然思いついた。そしてそれ以外の選択肢が見つからず廊下を駆け出した。

「あの、肩が凝って気持ち悪いです…!!!」

「あはははは、肩こりできた子はじめてよ〜」と笑いながら、保健室の先生が迎えてくれた。保健室的にも特に処置ができたわけではなかったようで、2人がかりで腕をさすり肩を揉み「ほんとに勉強頑張ってるのね〜休んでってね。」とひたすらにねぎらってもらった。「またきてね〜」とお別れした。

あんまり、肩こりで保健室っていかないんだね。

episode2~恋の貧血~

話は遡り、中学校の保健の授業。怪我の対処方法をならう授業だった。ハキハキとした体育の先生は「止血」や「包帯の巻き方」を教えていた。私は、正直、怪我とか血は大嫌いだったので少し遠目で授業を聞いていた。

どんなに遠目で聞いていても、妄想スイッチが入ると止まらない。骨折の種類を話し始めたとき、私の妄想が大変なことになっていた。「自分の骨が折れたら?」「交通事故にあったら?」机に座っているだけなのだからそうそう何も起きないのに、脳みそは色々な事故や事件に巻き込まれてしまった。

その話の途中に先生が剥離骨折のレントゲン写真を見せた。

実はそのとき、お付き合いしている人が剥離骨折していた。ああ、あの人の骨はこんなことになってしまっているのか、さけるチーズみたいにペリペリっと…ああ痛いよね。試合も出られないし、笑顔いっぱいだけど実はすごく痛いのかもしれない…あのままボキッと骨折してしまうかも。下手すると複雑骨折に進化しちゃうかも…

「〇〇、顔が青いぞ。保健室に行ってきなさい」

妄想の果に先生にバレるほど顔色が悪くなっていたらしく、保健室に向かった。これ以上あの授業を受けたくなかったので正直助かった、サンキュー貧血。

保健室の先生は「顔色が悪いわね、寝てね」と、最低限の声をかけてベッドに促した。

聞かれる訳はないのだが、なんだか色々聞かれやしないかと思春期の私はドキドキしていた。お付き合いしている人の剥離骨折を思い出して貧血に、なんて恥ずかしくて言えない。

レースのカーテン越しに走りまわる少年少女よ、元気で何より。

大人に保健室を。

保健室エピソードを2つして思うのは、保健室の先生は、成績や素行に対して評価を下さない。圧倒的な味方になるかはわからないが、「絶対に敵にはならない」存在。

大人になってそういう場所ってあるだろうかと考える。

仕事をしていると、肩が凝るのは当たり前だし生理がきて気持ち悪くても堂々と項垂れるわけにはいかない。(最近はリモートワークなのでお腹痛かったら横になれて最高だが。)ちょっとやさぐれてしまっても、大人を演じる必要があったりする。

相談に乗ってくれる家族、同僚、先輩に幸い恵まれることはあっても、そっとしておいてくれる、でもそばにいてくれる人って少ない。どうしても協力してくれるし、アドバイスもくれる。下手をすると悪口を言われる。同僚、上司、後輩は時には敵になることがあったりもする。それは思い込みに過ぎなくてもね。

そんなときに保健室があったらどうだろう。

辛いとき逃げたいと思う。思い出せば歩いていける保健室。かといっていかなくてもいい。怪我をしたらいく、怪我をしてなくてもいい。体調が悪い時に相談する、悪いふりでもいい。

そう、「お世話にならない」けど「在る」の偉大さを感じる。大人はいくつかのコミュニティに所属していてそれぞれの顔をもっている。その複数のコミュニティを気分や目的に合わせて行き来することは精神の安定をもたらすだろう。

でも、なんか違うんだよね。

私には誰のための顔もしたくない日があるのだ。

そんなとき、お世話にならないかもしれないけど、絶対に受け入れてもらえる場所が少し歩くとある。そんな保健室は素晴らしい。そして体裁は「怪我・体調不良」でOKなのだ。他をALLシャットダウンして、傷口開いたまんまの自分でいけるのだ。

医者には「治す」という目的がある、保健室は応急処置と休憩なのだ。日頃感じるストレスや心の傷は、保健室さえあれば悪化しないかもしれないなあと思う。

正直、保健室サービスをつくろうと思っても「来るか来ないかわからない」人に期待はできないね。誰か作ってくれたら、私広報がんばります。誘ってください。

それまでは、誰かの保健室の先生みたいな存在になりたいな。なれるかなぁ。

違和感チューニング完了。