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節約お鍋パーティーの手引き(後編)

前編はこちらから

手引き⑶ 「パーティーにしない」

「これは節約お鍋パーティーだと言ったのはお前だろう。パーティーにしないとはどういう了見だ。」と襲いかかってくる血気盛んな若者も居るだろうが、まあ落ち着いて。
ほら、おたまを置きなさい。白菜を投げない。
タラバガニがカニでは無いように、女の子の「大丈夫」が大丈夫ではないように、節約お鍋パーティーはパーティーではない。(コンフィデンスマンの音楽)
節約お鍋パーティーは「食事」である。(節約お鍋パーティーの世界へようこそ)
1日に3回、1週間で21回訪れる極めて日常的な営為である食事。
節約お鍋パーティーもその延長線上に属している日常的な生活の一部であるということをここで強く強調しておきたい。

では、なぜ「パーティー」になってはならないのか。無論、金がかかるからである。
参加者がパーティー気分で参加してしまうと、場には酒やお菓子、ジュースが持ち込まれてしまう。これらはおしなべて(鍋だけに)金がかかる。
その中でも特にお酒、こいつは要注意である。酒は人間の財布の紐を自制心に干渉して緩くする。食欲も増進する。
「追加の買い出し」なんてものが生じてしまえば、このお鍋パーティーはご破算だ。
これまで血の滲むような思いで選んできた鶏むね肉や白菜を踏みにじるように、酒とコンビニスイーツがカゴに放り込まれていってしまう。
想像するだけでも悔しくて血涙が流れてくるのだ。
ここまでで、節約お鍋パーティーにパーティー気分を持ち込むことの危険さがある程度伝わったと思う。
もし、呼んだ少食な白いメンバーの中に
「お酒買いに行こうぜ」
などと言い出す輩が居たならば、その胸ぐらを掴み

「節約お鍋パーティーは遊びじゃないんだぞ!!オラァ!」

と恫喝するのが宜しいかと思われる。避難訓練でふざけてたらブチ切れていた小学校の時の先生などを参考にするとよい。

また、人数が増えるとそれこそ雰囲気がパーティーのそれに染まり始める。
高校の同窓会を「お食事会」だと思って飯を食いに行く人間がこの世に何人居るだろうか。
人々は同じ場で食事を取る人間が増えれば増えるほど気持ちがパーティーに寄って行く。
まさにパーティーピーポーと言ったところであろうか。
パーティーパーソンなどいないのである。パーティーピーポーをパーティーピーポーたらしめているのはパーティーではなくピーポーなのである。
スキャットマンの如きパ行の多さに口が破裂し疲れてきたところでまとめに入ろう。
節約お鍋パーティーをパーティーにしないことは節約お鍋パーティーの節約の部分を担保する上で非常に大切である。
そのためには、少人数で開催すること。そして酒類を持ち込ませないこと。
前段で最適な人数が6人や9人ではなく3人だと言ったのはこのためである。
また、パーティーにしないための努力として、お鍋中の話題選びも重要である。
ここでは積極的に政治や哲学の話をしよう。支持政党や好きな哲学者の話を矢継ぎ早に繰り出して俗な話題が介入する隙を与えない。
ここで間違っても恋愛話などには手を出してはならない。
節約お鍋パーティーを無事に始めることが出来ても、ふとしたきっかけが節約お鍋パーティーを節約お鍋パーティーで無くしてしまうことがあるということを忘れることなかれ。
日常的に節約を重ねてきた同士が同じ1つの鍋を囲む。普段の労を労い合いながら、楽しみながら、それでもってその場においても節約のスタンスは崩すことは決して無い。
鍋を囲んでいるその場所は、各々の日常の延長線上の重なった部分である。
それは日常的でありながら、参加しているとふつふつと(お鍋だけに)団結の感情が呼び起され、明日の節約への活力が湧いてくる。
日常でありながら、また特別でもある。
節約お鍋パーティーは現代日本で観察することができる今は多くの場所で失われた祝祭的な儀式の顕現とも言えるだろう。
議論が煮詰まって(鍋だけに)きたところで最後のテーマに移っていこう。


手引き⑷「雑炊で楽しく締める」


ここまで述べた手引きを実践してきたならば、読んでいるあなたは今や、相当な節約お鍋ニストとなっていることであろう。
ここで最後にお鍋パーティーを楽しく締めくくるお雑炊の話をして、お鍋も本稿も締めることとしよう。(うまい(お鍋もね))

・雑炊の写真を撮らせる
節約お鍋パーティーにおける雑炊の役割は、満腹感と満足感の増幅にある。
追加的な材料は、米1.5合と卵1個のみ。
それでもって最後に確かな満腹感を参加者にもたらして帰路へと向かわせてくれるのである。
また、何と言っても締めのお雑炊は楽しい。
「締め」の言葉の響きは「締め」慣れていない私たち若輩者をなんともワクワクさせる。
締めの雑炊は私たちから参加者の喉元へ突き付けるトドメの一撃なのである。(実際に喉元に突き付けると火傷しちゃうので、ちゃんとふーふーしてから突き付けることに留意して頂きたい。)

さて、具材の減ったお鍋にお米と溶き卵を入れた所でひと息ついて閑話休題、とはいかない。
プロの節約お鍋ニストはここにおいても追撃の手を緩めることはない。

「いやあ、今日は本当に最高の会だった。」

しみじみと誰に聞かせるでもないようにポツリと零すのだ。
最高だったと言われれば最高だったのではないかと思ってしまうのが人の性だ。

「ああ、楽しかった」
「またやろう」

本気で思い、そう返してくれるはずだ。
たとえ冷静に思い返した時に、これまで食べてきたのが白菜ばかりであり、メインの鶏肉が気づいた時には鍋から消えてしまっていてもである。(私がそのほとんどを食べたからだ。)

さてさて、本日の会の成功を参加者の脳裏に刻み込んだところで、締めの雑炊の完成、そしてご開帳である。
ここでのポイントは参加者にカメラを構えさせることだ。
蒸気で曇り、中身の見えなくなった鍋は正にブラックボックス。数分前に入れたご飯と卵がどんな様相になって立ち現れるのか、皆が多かれ少なかれ期待しているのである。
そのお披露目の瞬間をカメラに収めさせる。可能であればSNSのストーリー等に載せてもらうと良い。
写真や動画とは物珍しいものに触れた時や楽しい時、その瞬間を残さんとして撮るものである。逆もまた然り、写真や動画の記録は楽しかった出来事の既成事実なのだ。
本日の鍋パーティーのことや入っていた具材のことは明後日には皆忘れていることだろう。
しかし、カメラロールに残された雑炊のお披露目動画、立ち上る湯気、上がる歓声は、数週間・数ヶ月の時を経て、
「楽しかった(気がする)お鍋パーティー」
の記憶として立ち上ってくるのだ。
その記憶が、次の節約お鍋パーティーを呼ぶ。

また、鍋の蓋を開けるのは、あなたが行うとよい。
カメラに収められていることを意識しよう。
後日、参加者が見直した動画からは楽しげな声が聞こえてくる。

「行きますよ!?」
「いよぉぉーーお!!」

(蓋を開ける)

「美味しそー!!」
「イエーイ!!!」
「最高!!またやりたい!」

全部、あなたの声である。

・さっさと帰らせる

さあさ、締めも食べたことですし、ぼちぼち解散としますか。

ここに締めの雑炊のもう1つの強力な要素が含まれている。
そう、締めの雑炊は「締め」なのである。
締めを経たならば何がなんでもその会は終わりである。
昼休みの終わりのチャイム、5時に流れる夕焼け小焼け、カラオケルームに響き渡る電話。
私たちの思い出の中にある楽しい時間には終わりを知らせる「区切り」が付き物だった。鍋にとってのそれが、この締めの雑炊という訳だ。
会はきっぱり、すっきりと終わるに超したことはない。
ダラダラと続けているうちに、二次会名目の酒盛りが始まる可能性だってある。私たちには譲れぬ明日の生活だってある。
締めの雑炊には、楽しい会のボルテージを最高潮まで高め、会をスパッと終わらせる機能があるのである。
それでも帰らぬ不届き者の気配を感じたならば風呂を沸かせ。風呂を沸かして洗顔を始めるのだ。幸せを態度で示すために、手を叩かされた幼児期のあの日のように、「もう遊ぶ気は無い」という姿勢を徹底して態度で示そうよ。帰したいなら風呂沸かそ。(パンパンッ)


終わりに

以上が、節約お鍋パーティーを企画・開催し、成功に導くためのポイントである。
「節約」「栄養」「満腹」の充足を切望する皆さんに対して、ひとつの解答を示すことが出来たのではないかと思っている。
お鍋の可能性は無限大である。
最後に、ここまで読んでくれた皆さんがお鍋文化の担い手、節約お鍋パーティーの継承者としてこれからも数多の節約お鍋パーティーを開催してくることを祈ることで、このお鍋パーティーの手引きの結びとさせて頂きたいと思う。
ではまた、どこかのお鍋パーティーでお会いしましょう。

(あとがき)
沢山の人の支えがあって本稿を書き上げることが出来た。特に母 純子、父 正憲には格別の感謝を述べたい。
本稿を執筆する中で何度も「節約」という熟語を入力したが、「せつ」と打ち込む度に「節約」の隣に「セックス」と表示されるのが非常に煩わしかった。誤って、セックスお鍋パーティーになっている箇所があればこっそりと教えて頂ければ幸いである。

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