ピクチャー・パーフェクト


空から雪が降ってくるその様を真下から眺めていると、気が遠くなるような気分だ。
最初は目の前に降ってくる雪の粒の数を数えたりもしていたんだけれど、見る間にその数は膨大なものとなりすぐに計測不可能となった。雪が顔の凹凸に沿って積もり、皮膚感覚はもうどこにも見当たらない。数時間前に逃亡してしまった。だからといって今更掌でどけようとも思わない。もしかしたらこのまま俺は雪に埋められていくんじゃないか、とさえ思う。これも生き埋めの一種なんだろうか。
数十分に一人の単位で俺の前を通り過ぎていく厚着をしすぎた馬鹿な通行人たちは、俺の姿を目の端にも入れようとしやがらない。
当たり前だ。こんな雪の日に、外で寝っころがって今まさに雪に埋もれ尽くされようとしているなんざ。
そこで気づく。ああ、俺はたぶん、

「頭………おかしいんじゃないか?きみ」

俺が今思っていたことが、声になって降ってきた。
喋ったのはちらちら降る雪の粒だっていうのか?いや、俺の脳みそがいくらクスリ漬けだっていってもそれくらいは分かるぜ。雪は喋りはしない、無機物だからな。言葉なんてけったいなものを使うのは馬鹿な人間だけだ。そして、声を降らせた人物のことだって。俺は分かるのさ。
だって俺はこうやって馬鹿みたいに雪を眺めながら、コイツを待ち続けていたんだから。棒のような足で立ち、今まさに俺を見下ろしているこの男を。
雪みたいに白い肌をして、華奢な手脚を分厚いコートで覆っている、俺の幼馴染を。

「おかえり、ジョエル」
「……いや、言い方が悪かった。きみはいつだって頭がおかしい」
「ああ、まあな」
「頭がイカれてるのはきみに初めて会ったときから知っていたけど、まさか真冬の道路で寝てるなんてね。しかも人の家の玄関前で。ここで行き倒れか?」
「長い付き合いだっていうのに、予想もしなかったか。昔お前からパクった鍵を忘れたんだ」
「きみは本当に馬鹿だな」
「ああ、お前は本当に綺麗だ」

出会ったのは15の時。馬鹿な両親の影響で当時から薬漬けだった俺と、学校一の優等生だったジョエル。人形みたいに表情のない男はただ、教室の隅でじっと地学の本を読んでいるようなつまらない奴だった。
会話のきっかけなんて覚えてない。流行りのレコードを借りたとか貸したとか、ラジオで流れてた流行りのバンドの好みが一緒だとか正反対だったとか、そういう、小さいことだ。
オセロの白と黒のように正反対な俺たちは、いつのまにか表裏一体になれるほどの仲になった。しかしそれは、十代だから許されたことだったのだ。

「お前は今病院で療養中じゃなかったか」

ジョエルが俺の傍にしゃがみこみ、掌で乱暴に俺の顔の上に積もっている雪を払う。俺はああ、冷たいと思った。ジョエルの掌は、雪よりも冷たいと。

「ああ、そうだったっけな」
「抜け出してきたのか?」
「散歩に出ただけさ。患者は病院にこもってるだけじゃよくならねえんだよ」
「………ここに来る前に一発キめたな?」
「そうだったかな。そんな気もするな」
「何の療養中だよ、ファック……」

俺の髪の毛に絡まった雪をざかざかと振り払っているジョエルの指を横目に眺める。相変わらず細い腕だ。鳥の足みたいな掌をしていやがる。
ジョエルはこちらを見下ろし、心底つまらなそうな表情を浮かべた。
そう、こいつは昔から、ずっとこんな顔だった。変わってない。十代の頃から全くだ。
俺がコイツに近づいたのもそれが理由だった。興味があったんだ。この、心底つまらなそうな顔をした男が、どんな情動によってその表情を変えるのか。それに興味があった。そして俺は見つけたのだ。コイツの表情を、心を揺さぶるものを。

「ここにいたらお前に会えると思ったんだよ、俺はヤク中だからな」
「ああ、ヤク中考えそうなことだ。単純すぎて笑えるね」
「だははは!!でも会えたじゃねえか。お前は来た。俺にはいつも女神がついてるからな」
「そりゃ大層ビッチな女神だろうな。偶然だ。僕は家に忘れ物を取りに来たんだ。暫く家を空ける予定だった。来なかったらきみ、凍死してたんじゃないの」
「病院で死ぬよりそのほうがマシだ。冬の間の保存食にでもなんでもしたらいいんだ、俺なんて」
「180センチのデカイ冷凍マグロが見れなくて残念だ。あと数時間、遅れてきたらよかった」

降り続く雪のせいで濡れたジョエルの前髪が、しっとりと額にはりついている。俺は腕を上げ(どうやら俺の身体は完全に凍っちまってはいないらしい)、その前髪を指で横へよけてやった。するとジョエルは俺の指の動きを目で追う。静かに。
ああ、ああ、そうだ。
俺が触れると、この男の体温が上がるのを、俺は知っている。知ってしまった。

「……病院で寝てるとよ、無駄にお前の顔ばっかりが浮かぶんだ」
「………」
「ヤク中の親友捨てて、大学の助教授だとかわけのわからねぇ偉そうな仕事してるお前のよ」
「勝手に妄想されても迷惑だね」
「妄想でマスくらいかかせろよ。それとも今ここでセックスさせてくれるのか?」
「黙れヤク中!冷凍マグロになる前に病院に連れ帰ってやる、立てよ!」
「お前が連れてってくれるんなら本望さ。さあ!やれ!俺を病院にぶちこめ!あのブタバコみてえなところに!」
「きみは本当に馬鹿だな」
「ああ、お前は本当に綺麗だ」

ジョエルに両腕を引っ張り上げられ、俺は立ち上がる。まるで死後硬直していたみたいに身体はガチガチだ。まともに立っていられるわけもなく、俺は大きくよろけた。すると、ジョエルが細い腕を俺の身体に回して支えてくれた。
おかしな話だ。
きっと俺の半分しかないんだろうその細い身体で、コイツは俺を支えるなんて。




end.


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