自民党の改憲案(いやものすごいんだから)

今から現行憲法と自民党の改憲案を自民党がネットに載せているPDFで逐一覧ていく。自民党が載せている文章であるから、勘違いや読み違いは無いと思う。



まず前文。現行憲法にある苦渋に満ちた重要な一文、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないように決意し」が削られている。いきなり来ましたね。政府の行為によって再び戦争の惨禍をもたらせるように憲法を変えるというわけだ。



更に重要で情けない点。

「われらは、いづれの国家も自国のことのみに専念して他国を無視ししてはならないのであって」という重要な一文が消されている。これは大国が競って自国のことのみに専念して他国を無視している今、日本国が発信する理念として極めて重要ではなかろうか。それとも自民党は日本も「自国のことのみに専念して他国を無視」したいのだろうか。


第一章 天皇

天皇は象徴から元首になっている。日本国の元首は誰かというのは法学上の議論があり、概ね「国民総体」と言うことになっているのだがそれを天皇にするというのだ。さらに、

「天皇はこの憲法に定める国事行為を行い」となっており、現行憲法の「この憲法に定める国事行為のみを行い」の「のみ」を削っている。天皇個人の意志で、憲法を離れて国事行為を行えるという含みを持たせている。


国旗国歌を定めたのはまあ良いだろう。だが日本国民は国旗国歌を尊重しなければならないは大きなお世話である。大事なことだが、憲法というのは主権者たる国民が国家権力を縛るものである。そこに国民は何々しなければならないというのは書くべきでない。憲法は主権者たる国民を縛るものではない。



第九条の二

国防軍。国防軍の最高指揮官は内閣総理大臣としているが、これは日米秘密合意による「自衛隊の指揮権は在日第七艦隊司令長官が握る」と矛盾している。日米地位協定を破棄してこの条文を入れるなら大いに歓迎するが、米国とのすりあわせは可能なのか?



最も重要な点。「国防軍は国民に銃を向けない」が欠如している。この憲法下ではいつでも内閣総理大臣の指示があれば国防軍は自国民を殺傷できると読める。


九条の三


国は主権と独立を守るため、とあるが主権者は国民であって「国」なる架空のものではない。主権者が自らの主権を守るために戦うのは当然だが、国が主権を守るために国民に戦えと指示する権利を認めてはならない。



第十条


日本国民の要件は、法律で定める。


これは日本の主権者は誰かという事であり、法律ではなく憲法で定めるべきである。



第十二条


この憲法の定める権利を国民が行使する際に、新たに「公益ならびに公の秩序」が加わった。これは抵抗権の否定に他ならない。これでは国民はゼネラルストライキも大規模デモも出来ない。直接民主制の否定であり、断じて容認できない。



第十三条

「全て国民は、個人として尊重される」という現行憲法の文字が「人として尊重される」に変わった。猿ではないことは分かってもらえたらしいが、これはあからさまな個人主義の否定である。現代民主主義は個人尊重の論理を貫いてこそ成り立つ。村社会の論理を憲法に持ち込むな、バカ。



第十八条

地味に狡猾な変形。

何人も、(中略)社会的または経済的関係において身体を拘束されない。



現行憲法では、「いかなる奴隷的拘束も受けない」。となっていて、現在の外国人に対する扱いなども違憲なのが明らかだが、自民党案では社会的または経済的関係」に要件が限局されている。



第二十一条

非常に問題のある条文。自民党案では集会、結社、及び言論、出版の自由は「公益、公の秩序に反する」場合は認められないとなっている!公益、公の秩序に反するかどうかは当然政府が決めるわけで、これは一切の反政府活動の禁止に他ならない。



第二十四条


自民党案では家族が社会の基本的単位と定められている。では家族を持たない人は社会の一員では無いのか?社会の基本的単位は個人であるべきだ。自民党案は個人を徹底的に排斥している。



第七十二条3

内閣総理大臣は最高司令官として国防軍を統括する。

→米軍の指揮権との齟齬はどうするのか?



第八十条


下級裁判官の任期を現行憲法の十年から「法律の定めるところにより」と含みを持たせている。これは法律で裁判官の任期を左右できることを意味し、司法権独立を犯すものである。



第九十五条


「地方自治体は、その事務を処理する権能を有し」となっていて、現行憲法にある「その財産を管理し、事務を処理し、及び行政を執行する権能を有し」と言う文言から大幅に地方自治体の権限が削られている。特に財産を管理する権限が取り上げられることは、つまり地方自治体から予算決算の権限を取り上げることを意味する。地方自治の大幅な制限になっている。



第九十八条

自民党案のキモ、改憲案のもっとも危険な「緊急事態条項」だ。内閣総理大臣が外部からの武力行使のみならず内乱による社会的秩序の混乱、地震など大規模な自然災害による緊急事態において「閣議にかけて」緊急事態を宣言することが出来る。つまり緊急事態の宣言には「国会の承認は不要」だ。閣議で出来てしまうのだ。それで出来ることとは、「内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することが出来る」。つまり国会の同意無しに事実上法律と同じ事が閣議だけで決められるという事だ。しかも緊急事態が宣言されると、「何人も(中略)国その他公の機関の指示に従わなければならない」のである。要は戒厳令だ。日本でもミャンマー同様の戒厳令をやるという事で、言語道断だ。しかもその期間「基本的人権は最大限尊重されなければならない」と来ている。最大限というのは法律の逃げ口上で、「尊重しないよ」と言っているのと同じだ。ここは欺されてはいけない。



びっくり仰天なのが現行憲法の第九十七条だ。

「全文削除」。


削除された現行憲法九十七条はこうだ。

「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。」



これがそっくり削除されたという事は、基本的人権も憲法が保障する国民の権利も、未来永劫保障されているものではないぞと言うことに他ならない。主権者たる国民がこれを言うなら良い。主権者が憲法に定めた権利も人権も、国民の不断の努力で守られなければならず、紙切れの上で保障されただけでは安心できないことは事実だ。しかし政権党である自民党がこの条文を削除するというのは、「基本的人権も権利も未来永劫お前達のものというわけではないぞ」と権力が恫喝していることになる。これは僭越至極以外の何物でも無い。



以上現行憲法と自民党の改憲案を条文ごとに比べたが、「公の秩序」で人権を縛れるなど、人権軽視が甚だしく、しかも緊急事態宣言はあからさまな民主主義の逸脱だ。どんなときも国権の最高機関である国会が国を統治しなければならないのに、閣議だけで法律と同じ効力を有する政令を定められるというのはクーデターに等しい。この改憲案はクーデターの準備そのものだ。



こんな危険な改憲案が国会を通りそうだというのに、国民の関心は0に等しい。やはり日本国民は基本的人権などにふさわしくない猿なのだろうか。


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