夏海_01

ぼくはコミュ障だった

先日、知り合いから「私も岩崎さんのようにコミュニケーションが上手ければ――」と言われ、びっくりした。その人は、ぼくのことを「コミュニケーション能力が高い」と見ていたのだ。そのことが驚きだった。
なぜなら、ぼくは自分のコミュニケーション能力が高いなどと思ったことがなかったからだ。ぼくはコミュ障だった。そしてそれを、ずっとコンプレックスに思っていた。

ぼくが自分のコミュ障を意識しはじめたのは、中学生になってからだった。小学生の頃は、他者とのコミュニケーションが上手くいかなくても気にしなかった。しかし中学生になって自我が芽生えるようになると、その壁に突き当たった。
何か伝えようとしても伝わらない。面白い話をしようと思ってもスベってしまう。場を盛り上げようとしても、気持ちばかりが空回りして、かえって白けさせてしまう。

それでぼくは、高校生になる頃にはすっかり自信をなくし、いつしか誰とも口を利かなくなってしまった。特に高校1年生のときは、1年間学校でも家でも口を利かなかった。2年生になると幾分かやわらいで、ごく親しい人とは口を利くようになったが、それでもコミュ障は変わらなかった。

だから、高校の同級生でぼくと話したことのある人はほとんどいない。コミュ障以前に、どういうコミュニケーションをするのか、みんな知らないのだ。彼らにとってぼくは、無口な変わり者に過ぎなかった。

その状況が、ぼくには本当に苦しかった。そして高校を卒業するくらいに、「この問題を解決しなければならない」と考えるようになった。
自分のコミュ障を改善したい。できることなら根治したい――そう思うようになったのだ。

そこでぼくは、こう考えた。
「誰か話が上手い人のそばへ行き、その人を徹底的に真似てみよう」
子供っぽい発想かもしれないが、それしか思いつかなかった。

ぼくが秋元康さんに弟子入りを志願したのは、そのことも理由としてあった。ある意味日本で一番コミュニケーション能力が高い秋元さんの弟子になれば、ぼくもそれを身につけることができるのではないか――そう考えたのだ。

その後、運良く秋元さんの事務所に入ることのできたぼくは、そこでコミュニケーション能力の高い人たちと日常的に触れ合うようになる。特に、ぼくが所属していた放送作家チームの先輩たちは、面白い話をさせたり場の空気を読んで気の利いたことを言ったりすることにかけては、日本でも指折りのスキルを持っていた。放送作家とは、コミュニケーション能力の高い人が就く仕事だったのだ。
そこでぼくは、丸ごと身を投げ出そうとした。24時間事務所に駐在し、その環境にどっぷりと浸かった。家に帰らないのが当たり前の、住み込みの丁稚のような働き方をしたのである。

その状況は、約3年続いた。
その間、ぼくは先輩たちのコミュニケーションの取り方をじっと観察していた。すると、やがてコミュニケーションにはもって生まれた才能とは関係ない、誰にでも習得可能なさまざまな「テクニック」があるということが分かってきた。

例えば、先輩たちはおしなべて「聞き上手」だった。人に話を「させる」のが上手いのだ。
特に、話題の引き出し方が上手い。相手が話したい内容や、話すのが得意なことを察知して、そちらへ水を差し向けるのである。

また、先輩たちは「全体への目配り」が上手かった。それは、すぐれたサッカーの司令塔にも似ていた。その場にいる全員に目配りができているので、的確かつ意外性のあるパスが出せるのである。

例えば、合コンでずっと喋れずに疎外感を感じている女の子がいたとする。すると、その先輩は突然その子に会話を振るのだ。
急に会話を振られたその子は、びっくりするからリアクションが面白くなって場が盛り上がる。一方その子も、疎外感から解放されて楽になる。そういうふうに、周囲も、またその子も、先輩の差配によってその場のコミュニケーションを楽しめるようになるのだ。

そうしたスキルは、いちいち系統立てて教えてもらったわけではない。ただ長い時間一緒にいると、やがて岩に水が染み入るように、段々と分かってくるのだ。
この経験を通じて学んだのは、「誰かのそばに長時間いてその技を盗むというのは、人が成長するための最高の環境だ」ということだ。ぼくは、これまでの46年の人生の中でも、その丁稚をしていた3年間が最も成長した期間だった。そして、いつしかコミュ障に悩まされなくなったのは、そのときの修行があればこそだ。

しかし今、社会状況の変化で、そうした「丁稚制度」は難しくなってしまった。ブラック企業が社会問題となる中で、ある環境に身を丸ごと投げ出すことはなかなか許されなくなった。
それは、一般企業では当然かとも思うが、しかしエンターテインメントの世界にまでそれを持ち込んでしまうのはどうかとも思う。ぼくは、丁稚があったからこそコミュ障から脱せられた。そういう教育システムを、自分の周りのエンタメの世界だけでも、もう一度築くとはできないか――そんなふうにも考えているのだ。

「岩崎プロデュース」は、そういう思いからも企画した。
誰かと長い時間を共にすることで、ぼくが先輩から受け継いださまざまなテクニックを受け渡していきたい――そう考えたのだ。

その「岩崎プロデュース」の詳細は、こちらの記事に記してあります。
「岩崎プロデュース」参加芸人募集のお知らせ

もしご興味のある方は、ぜひこちらまでご連絡いただければと思う。
huckletv@gmail.com

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