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シマフクロウの宿 -知床-

羅臼に「鷲の宿」という名の民宿がある。ここは鷲が出るわけではなく、民宿前にある川にシマフクロウが現れる。

シマフクロウは、日本では知床に100羽程しかいない絶滅危惧種である。体長約70cm、翼を広げると180cm、体重4kg前後、世界最大クラスのフクロウだ。主食はフクロウにしては珍しく「魚」であるため、"Fish Owl" と呼ばれたりもする。

私は鳥には詳しくないが、フクロウだけはとても好きだ。ガイドブックの羅臼のページには非常に小さくだが一応紹介されている。きっとフクロウ好きの撮影隊がいっぱいなのでは? と少し躊躇いながらも、宿に電話をした。

「ああ、大丈夫ですよ~。部屋空いているよ。フクロウでしょ? 最近雛が産まれてね、毎晩餌を取りに来ているよ」

と、のどかなおじちゃんが出た。

民宿というより、遠くに住む親戚の家に電話をしたかのような親しみを感じた。コロナ禍の旅行のため急に行けなくなることもあるので、キャンセルポリシーを尋ねると、

「キャンセル料はないの。うちはとってないのよ。一応前日くらいに、もし来れなそうだったら、連絡は欲しいけど、、原則もらってないの。」

電話する前はやや及び腰だった私の躊躇が一気に吹っ飛んだ。そして手元のガイドブックにある「鷲の宿」の小さかったスペースが頭の中で見開き分くらいに拡大された。今思えば、この時のやりとりで私は「鷲の宿」のことを好きになっていたのだと思う。

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この民宿には、宿泊する棟とは別にシマフクロウを観察するプレハブ小屋(シマフクロウオブザバトリー)が併設されてある。シマフクロウの撮影を目的とした訪問客はバズーカのような望遠レンズやカメラ一式を持ち込み、日が落ちてから翌日の朝まで徹夜で臨む。報道陣ばりの撮影隊が芸能人を待ち構えるような光景になることもあるようだ。

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「鷲の宿」の歴史は50年前に遡る。当時、この場所に入植してきた方はそこで水産加工場を営んでいた。加工する際に出る魚やカニのアラを川に流していた。アラに集まったのがオショロコマという魚であり、そしてそのオショロコマを餌にしていたのがシマフクロウだった。シマフクロウは夜行性ではあるが、魚を捕る際に決して目がよいわけではない。しかし、加工の夜間作業中に点く光は捕食するのに都合がよかったらしい。それから人とシマフクロウは隣にいながら、お互いに干渉せず、生活をする関係性がここで築かれたそうだ。

その後、平成元年に水産加工所の跡地に「鷲の宿」が開業した。宿のしかりとした管理体制の下、人馴れしない関係を維持し、シマフクロウが観察できる宿として有名になった。一方で、多くのカメラマンが訪れるようになり、シマフクロウの居心地が悪くなった時期もあったそうだが、今では徹底した管理下で、シマフクロウと人の関係はよい距離を保っている。

我が家は宿泊組だったので、部屋から観察することができた。宿泊した部屋の目の前にフクロウがやってくるベストポジションであった。とても美味しい夕食(梅ゼリーが最高)を頂いた後、夜7時から部屋で待機した。これから深夜をまたぎ、夜明け前まで観察は続く。

午後7:50、フクロウが鳴き始めた。「ホオ、ホオ、ヴー」。シマフクロウのオスが「ホオ、ホオ」と鳴くとメスはすぐその後に「ヴー」と続く。闇の中から聞こえてくるフクロウの鳴き声は少し不気味な感じがしたが、暗さが増すごとに慣れていき、心が落ち着いてくるから不思議だ。

そして20分後に、オスが川に現れた。 で、でかい! 

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それが最初の印象だった。さすがに世界最大と言われるだけの大きさである。フクロウは夜行性であるから、同じ知床でもオジロワシやケイマフリといった鳥と違い、日中に見かけることはない。こんな大きく立派な鳥が同じ日本にいる、という事実に率直驚いた。そして出会えたことが素直に嬉しかった。

最初に現れたオスは川面をじっとみつめ、素早く魚をみつけ呑み込んだ。その後、また魚を捕らえた後、口に咥えて飛んでいった。大きくて立派な羽根だった。咥えた魚は雛用なのだろう。

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この日は、午後12時までに4回現れた。基本的にはオスが一羽で来ていたが、メスも同時に現れ、近くの木に止まっていたこともあった。翌朝、完徹された方によれば、日をまたいだ後にも2回現れ、午前3時45分まで計6回来たそうだ。その都度、はじめに自分が魚を食べ、雛用に魚を運んで行った。シマフクロウはその大きさの割に一晩で食べる魚は4~6匹と言われる。雛のいる場所まで魚を何度も運ぶ姿は、同じく子を持つ親として、その懸命さに声援を送りたくなった。

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シマフクロウは自然界に彼らの生存を脅かす存在はほとんどいないと言われる。彼らの命の脅威は人間の営みである。車の送電線に接触し、命を落としたり、開発や伐採の影響で生息できる川が減少しているそうだ。シマフクロウは川に棲み、捕食をして生きていくフクロウであるが、知床でもシマフクロウが子育てできる川は20本程度しかなく、それらの川にはシマフクロウの夫婦が既に生息しているため、新しく生まれた雛たちが入り込む余地がないそうだ。(一つの川に一夫婦が生息する)

シマフクロウは、その昔アイヌの人々に「コタンコロカムイ」と呼ばれ、「村を守護する神」として崇拝されていたそうだ。アイヌの人々のように自然と共生しながら生きていく文化を今すぐに取り戻すことは難しいことであると思う。が、こうした「鷲の宿」のような場所をきっかけに何かを感じ、改めて自然との関わりを考えることになれば良いと思う。テレビやネット、本から得る知識も大切であるが、一晩じっくりとフクロウを観察し、時間を共にすることで、感じるものは違ってくるような気がする。

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シマフクロウを見た一夜はとても幸せだった。フクロウをじっと観察していると、自分自身が「本来あるべき姿」に戻されていくような感覚になる。何ごともスピーディに呼吸することさえ忘れているような日々を送る私にとって、彼らの営みはなんとも心地よく映った。

翌朝、宿のおばちゃんが息子にシマフクロウが落としていった羽根をくれた。羽根はとてもやわらかく、鼻を寄せると川の匂いがした。

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「鷲の宿」

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