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ブックマンションでの一年 <後編>

選書と棚づくり

選書という言葉を聞いて、馴染みを感じる方はいるだろうか? 普通はあまりないかと思う。私は小学校の読み聞かせボランティアを5年程やっており、聞いたことはあったが、「つまり本選びだよね?」くらいにしか思っていなかった。私が所属するボランティアには、学年ごとに合った絵本を選び、その組み合わせや時間配分などを考えてくれる選書担当がおり、お任せしてきた。そんな私が「選書の奥深さ」を考える機会が訪れた。

9月、ブックマンションでTV取材を受けた。私のような初心者棚主でよいのだろうか、と思ったが、「投げられたボールはキャッチしよう」というのが、私のこの一年のテーマだったので、引き受けさせていただいた。TV取材は10年程前に経験はあるものの、端的にポイントを話すのが不得手なので、とても緊張した。取材は生放送ではなく、事前にいくつか質問をいただいていた。

・棚主になった理由
・絵本に特化しているこだわりについて
・面陳(顔出し)している絵本『ライフ』を目立たせている理由
・ブックマンションの魅力について

4つだけであるが、この質問は言い換えると「絵本の魅力は何であるか。また、どういうコンセプトやこだわりで選書し、ここで本屋さんをしているのか」ということになる。 これは、、考えた。逆に言えば、今まで適当な選書棚を作っていたのである。いや、決して適当ではなかったけれど、そこまで真剣に取り組んでこなかった事実を突きつけられた気がした。

ブックマンションにある棚の中には固定ファンがつく棚が存在する。私も何人かの棚主さんのファンで、お店に行くと必ずチェックし、いつの間にか購入している。売っている側なのか、買っている側なのかよく分からなくなる。

なぜそうなるのか。その理由は、一つは棚主さんの人間性が大きいように思う。ブックマンションの棚主さんは所謂有名人ではないけれど、何かに秀でている方が多い。がそれだけではなく、あの方が選んだ本であれば良本に違いない、という安心シールが本に貼られているような感覚があるのだ。そして大体において「やっぱりいい本だった」と後で思う。

本を選ぶとき、私達はその膨大な数に圧倒される。本選びをしているだけで日が暮れてしまう。そんなとき、自分が尊敬する方だったり、好きな有名人が推薦していたりすると、積極的に手にすることがあると思う。それが選書の力である。

そして、棚主さんの人間性だけでなく、人気のある棚には選書のワザのようなものが作用しているように思う。私が好きな棚には、ただ良い本が並べられているのではなく、そこには空間作りのテクニックが確かに存在している。例えば一つのテーマに特化したとする。それが「実りの秋」だとしよう。テーマが「実りの秋」から選んでくる本は無数に存在する。新旧の単行本、写真集、絵本や図鑑、冊子まで幅を広げて並べたら、一部屋分はすぐに埋まってしまうだろう。

が、選書のスペシャリストはその中から選りすぐりだけをセレクトし、本の背の部分の高低差や色まで工夫を凝らしている。決して小さな棚の中で本が窮屈になったりはしなく、ヴィジュアル的に目を引くため、自然に手が伸びる。気になる本の隣にある本までも見てみたくなる心理が働く。それが選書の奥深さだと思う。

お客さんで棚の写真を撮っていく方が多いのだが、それは棚ごとに店主が異なる面白さだけでなく、棚の背後にみえる主の人柄に惹きつけられる部分があるのではないかと思う。

TV取材は、私に選書の奥深さを気づかさせてくれた。本来であれば選書マイスターの棚主さんが取材対象としてあるべきで、素人の私が取材に応じることは順番が逆行しているわけだが、大変貴重な機会をいただいた。結果的に日々どのような棚にするか、右往左往しながら学び中である。(↓現在、りんごをテーマに展開中)

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「本」が人を繋ぐ、「好き」が人を繋ぐ

慣れなかったお店番もすでに7?回を越えた(基本的にお店番は月1でしか予約は入れられない)。おぼつかなかったレジにもだいぶ慣れ、開店前に掃除をする余裕までできた。掃除はお店を営む側が開店前にする基本中の基本だと思うのだが、その基本をする時間が最初の頃はなかった。

掃除はいい。私は掃除機の音が苦手なので、箒で床の埃をとっていく。自宅でもそうであるが、掃除はくまなくその空間の隅々まで見るので、お店を開ける前に一周見ることで、自分がその場の空気を纏う心構えが自然に生まれる。良い意味でその場の主になる覚悟ができる。そして、埃やゴミを集めていくと、自分の心にある戸惑いや雑念など、そういった負のエネルギーも取り払われていく。そして自分の心が整った状態でお店を開けると、自然な笑顔でお客さんに挨拶ができるようになった。こちらが自然体だとお客さんもリラックスしてくれ、最近は話すことがとても多い。

前は、購入された本について質問したら不躾かな?とか、熱心に本を見ているので声かけしたら迷惑かな? など色々考えていたのだが、今は余計なことは考えておらず、頭はほぼからっぽである。ブックマンションのお店番のルールはドアの開閉、BGMを流す、空調管理、レジ以外に接客の面で決められていることは何もない。自由であることは不自由であり、自分でゼロから作り上げていかなければならない。何も話さないでいることもできれば、人生相談にのることも可能なわけである。もちろん私相手に人生の相談を持ちかけてくる人は皆無だと思うけれども。

緊張がなくなると、人は自然に言葉を発することができるもので、些細な問いかけから色んな話を聞くことができ、それがとても楽しい。日本民藝館で棟方志功展を見てきた方に「民藝の方はないですか?」と聞かれ、民藝本を一緒に探しながら版画の魅力について語ったり、「クマムシ」の方を買われた方に質問したら、「クマムシがどれだけ最強な生物なのか」を教えていただいた。先日は、ZINEイベントの2回目が開催され、イベント後の流れで来た方が多く、作ることの楽しさを嬉しそうに話してくださる方が多かった。私は接客は不向きだとずっと思ってきたが、それはマニュアル通りに人と接することが不得手なだけで、人が苦手だったわけではなかったのだ。

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お客さんとの一期一会、多方面に秀でている棚主さんとの話は、全部「本」という存在が繋いでくれている。「本」とは不思議な存在だなあ、と思う。人が本を手にするとき。それは興味があるもの、知りたい(学びたい)内容のものだったり、言葉や絵からエネルギーが欲しかったり、多種多様の目的があるわけだが、その根底にある思いは「好き」という感覚なのではないかと思う。「好き」という言葉に集約してしまうのはいささか荒っぽいが、「好き」はいろんな類いの要素を含意しており、そのどれもがポジティブなものだと思う。

自分と1冊の本との出会いも素敵なことであるが、その本を通して、誰かと繋がれたとき、それは本自体がもたらす以上の喜びがある。棚主も、お店番も、読み聞かせボランティアも、私は本を通じて誰かと素敵な時間を共にしているのだと思う。

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「好き」という感覚は人の心を繋ぎ、結びつける。それは相手のことが「慕っている」という大げさなものではなく、暮らしの中でもっと頻繁に連続して起きているものだと思う。面と向かって話さずとも、本を媒介し、自分の「好き」が誰かの「好き」と繋がる。

先日のブックマンションは賑わっていた。私が今までお店番をした中で一番の来客数だった。本を静かに見る人。本を通じて会話をする人。本を持たずにおしゃべりをする人。その様子はとても微笑ましく、私は入り口側からしばし見とれていた。

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