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黄色いカド

私の自宅近くに「黄色いカド」がある。

そこはごく普通の住宅街にある角で、そのような名前で呼ばれているわけではない。私が勝手にそう呼んでいる。

最寄り駅までの途中にある場所なので、よく通る。いや、私が好きだから通るだけで、そこを通らずとも駅へはたどり着けるから、他の人には特に意味のある場所ではないと思う。

その角にはじめて「黄色」をみつけたのは春先だったと思う。角に小さな黄色い花が咲いていた。おそらくどこにでもあるような花で珍しい花ではない。が、その角にぴったりと合わせたかのように咲いている姿がかわいかったので、私は足を止め、写真を撮った。

それからその角の近くを通るときは、なんとなく気になり、そこを選んで歩くようになった。そして足下を確認するようになった。

そこはけっこうな確率で「黄色」が出現した。黄色い花が咲き終え、次に足下にあったのは夏みかんだった。その角を挟んだ家にある大きなみかんの木から落ちて転がったのだろう。複数ではなく、まるで誰かが置いたように一個だけポトリと落ちている佇まいが、どこかおかしくて私の心を和ませた。夏みかんの時期はけっこう長く、かなりの確率で「黄色い球体」を見ることは多かった。

「黄色いカド」を通ることがすっかり習慣化した頃、夏みかんの時期は終わった。もうさすがに「黄色いもの」は落ちてないだろう、と思った。いつの間にか、私の中でその角に対して期待する気持ちが育っていた。

しかし、黄色い角は私の期待は裏切らなかった。そこには春にみた花とは違う黄色い花が立派に咲いていた。正確には角ではなく窓であったが、「黄色いカド主」のお宅である。その姿はまるで窓枠に並んで座り、歌っているようであった。また黄色があったこと、そして私の密かな期待が叶ったことが嬉しく、可笑しかった。

私はこの地に30年近く住んでいる。が、その「黄色いカド」があるお家にどんな人が住んでいるのかを知らない。黄色が好きなのか、それももちろん知らない。おそらく住んでいる人は「黄色」を意識さえしていないかもしれない。私が「黄色」をみつけ、いつしか勝手に「黄色いカド」と呼び、楽しんでいるだけだろう。

メジャースポットではないが、自分だけが大切にしている風景や場所、、そんなものを人は一つくらいもっているのではないだろうか。散歩で出会う馴染みのネコとか、夕暮れ時に眺める富士山とか、昔住んでいた場所に似ている所とか。

人は10歳前後に住んでいた場所が「故郷」になると聞いたことがある。そう振り返ると、私は10歳まで栃木に住んでおり、ちょうど10歳のときに父の転勤でアメリカのテネシー州へ引っ越した。ちょうど10歳だったこともあり、栃木もテネシーも私にとっては故郷ような気もするし、どっちつかずな感じもする。故郷を固定する必要はないと思うが、一つの地に深く根っこを張り、その地の良い所も嫌な所もひっくるめ大切にしている人に出会うと「心が還る場所」があるようで、私はちょっと羨ましい気持ちになる。

今、私が住んでいる場所は高校生のときから住んでいる。東京郊外にある埼玉のベッドタウンだ。ここから私は東京の高校、大学、職場に通学通勤した。文字通り眠るだけのために帰ってくる場所であった。昔からの友人や新しくできた知り合いは一人もいない。が、何の巡り合わせか、近所に住む人と結婚した。両方の実家が近くにあるため、他へ引っ越す理由もなく、この地で出産し一男をもうけ、気づけば30年近く住んでいる。子供が生まれ、子育てをしたことで、この地に知人や友人がたくさんできた。今では一歩外を出ると、必ずといっていい程、知り合いに会う。

30年近く住んでも、私の中で故郷感はいっこうに芽生えないのだが、この地が好きである。それは「黄色いカド」のような存在が少しずつ暮らしの中に増えてくるからのような気がする。スーパーで馴染みになった店員さんとか、冬になると咲く蝋梅の木がある家とか、朝の散歩中にいつしか挨拶をするようになった人とか。そして見知らぬものがいつしか自分と繋がりをもつ大切なものへと変わっていく。根無し草の私だからこそ、そんな感覚が好きなのだと思う。

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