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コリン……(2023/04/26の日記)

・投稿してたと思ったら下書きに保存してただけだった。そういうとこだぞ、自分。


・コリン・カリー・グループのオール・ライヒ・プログラム、行った。ライヒをして「今まで聴いた中で最高」と評価せしめたグループが歩いていける距離のホールに来て演奏するなんてことはなかなかないので、行くっきゃない。

・実際、無理をおしてでも行くべき公演内容だった。やっぱりミニマルミュージックの執拗ともいえる繰り返しはどこか人智を超えている感があって、それを人間が演奏することで一種の「超越性」みたいなのが立ち上がってくる。

・ライヒのフェイズ・シフト手法なんかはもともと磁気テープで録音された同じ内容の二つの音楽が、片方が速度を上げながら再生されていくことによって非同期を生ずるという試みが発端だったはずだから、「ライヒを演奏する」という行為には「機械の模倣」という性質が少なからずある。ただ、コリン・カリー・グループそれは単なる「テクノロジーの再現」にとどまらず、人間的な音楽の歓びに満ちていた。ミニマルな一音一音にしなやかな肉体性とあたたかな精神性が宿っているのを感じ、それが音の波となってホール中に響き渡り、その中で揺さぶられる感覚。こちらの精神に音が直接語りかけ、どこかへ連れていかれるような、ほぼトランス状態だ。

・今回のコンサート、招致や宣伝にかなりの苦労を要したという。そもそも小さな自治体のいち文化施設で開催するものなのだから、これだけのビッグネームを呼び寄せてくる大変さは想像に難くない。奇跡の上に成り立った奇跡のコンサートだ。


・伴奏の依頼を受けて、5, 6曲やることになった。がんばるぞ。今週末までに。ほんとにがんばるぞ。


・嘘の語源をいいます。

・「訓読み」はもともと「邦(くに)読み」と呼ばれていたが、室町〜江戸時代ごろに「くに→くん」と訛ってしまったので、「くん」という読みをもつ「訓」の漢字を当てることになった。しかし、「訓(くん)」は音読みなので、「”訓”読みは”音読み”」という不思議な現象が起こっている。


・それでは!!!

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