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NOTEで疲れるのは需要と供給のバランスが崩れているからでした。

先日こちらのアキさんの企画を拝見しまして、かし子さんも参加されているのも拝見して、私も気になったので考えたことを書いてみることにしました。楽しげな企画ありがとうございます!


当人がやりたいと思って始めたことなのに疲れるんかーい、という矛盾。


NOTEをやろうかな、という考えに至った経緯は人それぞれと思います。稼げそうだったから、趣味の同好の友が欲しいから、友人・知人がやってたから何となく、自分の仕事のことや立場について他の人にも知って欲しいから…などなど、色々あると思います。私は小説を書くためです。

それで、いざ記事をいくつか書いてみます。すると読んだ人からのスキやコメントなどでの反応が来ますね。もしくは「手応えがない・読まれなかった」という反応が来ることもあります。「自分が肝いりで書いた記事よりも、何となくノリで書いたネタの方がいやに評判がいいんだけど、なんでよ?」などということも起こり得ます。

元からNOTE外のコミュニティでファンが多くいる人の場合に「私がやりたいことを見た人が全肯定する=信者がいるので何やっても許されます」とかメンタル強めで「誰に何言われようと関係ないんで」という人もまれにいます。

が、特に「初めてここNOTEで意思表示を始めてみました」という人、SNSや人慣れしていない人だと、「他人から反応が来ること自体」に全く慣れていません。私も慣れていないところがまだあります。

例えば、ある話題に対して「こういう記事スキです!」と突然に大量に数で意思表示された時。やはり人間ですから、反応があったり褒められるとと嬉しく思うものです。

すると自然と読者の期待に応えたいと思ってしまい、記事の内容が「読者がスキそうなもの」にどんどん寄せられていきます。

それが自分も同じく興味があることで楽しく感じられていることだったり苦じゃない場合。その時はいいのです。楽しいだけなので。

問題は、あまり気が進まない・最初は楽しくても継続するうちに労力がかかってくる場合。肯定感が低く人の歓心を買いたい気持ちが抑えきれない性格の場合。無理して「書かなければ」と考えて頑張ってしまい、心に大きく負担を感じることになります。

このように、当初は思いもしなかった需要と供給のアンバランスさが突然に発生することで、人の意見に心が振り回されて精神が磨耗する可能性があります。

「初心」と「現状」のギャップが自分を苦しめているのです。さて、私は今「書きたいもの」をきちんと書けているのかーーと悩みがちです。


そもそも何をしたかった?と初心に帰る重要性。


したいことと現状が異なっているからつらい。であるなら、初心ーーつまり「本来一体何をしたかったのか」を思い出す必要があります。

例えば、私鰯野つみれの場合は2024年3月時点で以下のことをサイトマップに書いています。

サイトマップは↑の伊藤さんの記事などでどういうものかが説明されていますが、これを作ることによって「そもそも自分が何をNOTEでやろうとしているのか」を明確にすることができます。そしてそれが明確になれば「今後どう読者にアピールしていくか」という考え方もクリアになります。

初心のところ。

この通り、当方・鰯野つみれとしては「小説が書けるようになる」が第一目的です。書くというリハビリをするためにNOTEを始めています。

NOTEでやることリスト。

そして具体的にやることはこれです。メインジャンルとサブジャンルがあります。やりたいことは複数ありつつも明確に優先順位をつけている、ということです。

想定していた読者層と届けたい内容。

誰に向けて書いているのか。小説を書いている方や本を読むことが好きな方、猫や植物が好きな方を対象に想定しています。


本来は想定していなかったはずの読者層の存在。


しかし、実際に記事を書いてみると、↑の想定とは違った読者層の方も私の記事を見て下さっているらしいと気づきます。

小説が好きなわけではない(読むけどふつう程度かな?)とか、猫やアガベに強烈な興味があるわけでもない(嫌いというほどでもないけども)、という人たちです。では、その方々は一体私の記事に何を期待していらっしゃるのか。

こういう記事ですね。当記事も同様です。異様に見られていますね。本来の目的の小説や小説談義よりもよっぽど需要は高いかもしれません。

人間って誰しもこういうところがあるよね、という「同じく今を生きる人間としての広い意味での共感」をお求めの方。そもそもNOTEとは、NOTEを書くとは…?という「同じくnoterの書き手としての共感」をお求めの方。あとは文章自体の書き方(NOTE・小説どちらも)という「人のノウハウを知りたい」という方法論をお求めの方。

そういう「本来は想定していなかった新たな読者層」が浮かび上がってきます。

さて、こういう時。「私は小説を完全に捨てて需要がある記事だけを更新していく状況に、意識的に寄せるべきでしょうか」?

結果を言うなら、「そこまではやりません」。例えば「人として苦なく生きる」とか「NOTEの書き方」みたいなもので収益化を目指すような作家に今後なりたい、と思ったなら「全力で寄せ」一択ですけども。

ですが、どこまでも「小説を書くこと」をやりたくて生きてる人間なので、小説を捨てるという判断はありません。例え「その方面のが将来的により稼げるし自己肯定感を得られる」としても、です。もろもろ人生もがいた結果、小説をやると決めたので、そこはなかったことにはできません。

もし自分の思いを無視して「そっちばかりを頑張ってしまった」場合、結局小説を書く機会は減るわけですし「小説を書く人」でなく「人の生き方やNOTEの書き方ノウハウの人」に事実上なってしまいます。そしてノウハウや人間とはの記事ばかりにスキが集中して全く小説関連は見られもしないしスキもつかない、ということに段々なっていくと「私の小説なんて誰も見ないんだ」などと深く悩み出して、小説書きとしては鬱になること請け合いです。

典型的な私の本質に関わるメンタル破滅パターンですね。40年以上生きているとそろそろ「自らの破滅パターン」が分かってきます。なので、その手には乗りません。そうやって心を守ります。

人の意見をほどよく取り入れながら、時には自分の意思を通して心を守る。


ただ、ここのNOTEの一角でこうして語ることに苦はなく、楽しそうだし、反応嬉しいので新たな読者層の方にもとても感謝していますし、交流としてスキなことでもあるのです。

だから私はこうして今「小説や読書関連や猫やアガベではないやつ」をあえて書いています。

あくまでも小説を書くためにと日々のルーティンを定め、隙間時間としてのNOTEの更新。内容は小説自体と書くことメイン。あとは趣味の猫と植物を気晴らしに。たまにノウハウ系や人間のメンタル関連。そして交流。それが私なりの「疲れないNOTEのやり方」です。

つまり「求められていること・したいこと」、その需要と供給のバランスを自分の中でいかに取っていくか。そういう問題になってくるわけです。

自分の行動の優先順位を明確にする。これは「したいこと=意志の有無」で決まると思います。

やりたいことがはっきりしない時、人に好かれたい欲求が強い時、場のノリが強い時。優しさがあり人を愛する気持ちがあるがゆえに、他人に何か求められると判断がフラフラとくつがえされてしまいます。

そう、そうやってバランスが崩れている人はそもそもが「優しい人」なのです。他人の要求にはっきりと嫌と言えないのです。「頼まれた時には明確に嫌とまでは言えなかったけど、やってみたら意外と面倒くさかった」みたいなこともこの世にはあります。

でも、要求を撥ね付けられない。それでも「私がやった方がいいんだよね…?」と自分から空気を読んでしまうのです。「一度自分がやり始めたことだし」などとギリギリまで頑張ってしまう。そうやって人は磨耗していきます。私もそういう意味で意志が薄弱です。

それが仕事なら給料という明確な対価があるわけですが、「NOTEでの対価」はあるのか?という面を考えると難しいですよね。

金銭面な報酬に直結するnoterは何ら問題ないのですが、報酬系でないnoterは「何を自分の報酬とするのか」。交流か、名誉か、楽しさか。何をどこまでやるのか。

そこを明確にしない限り、ある種の冷徹さをもって何らかの線引きをしない場合にはフラフラしてしまう状況が増えると思われます。

どうか皆様、極端な無理をすることなく、ご安全なNOTEライフをお送り下さい。各々の目標や希望はあると思われますが、何も知らない一読者の私としては、ただ末長く皆様の更新を楽しみたいと思っているのです。

継続性というものは、一記事ごとの心身の安全をしっかり確保することの繰り返しによってのみ、成立することと思います。…自戒を込めて。

お読み頂きありがとうございました。よろしければスキ・コメントなど頂けると嬉しいです!

作者・鰯野つみれのNOTEのサイトマップは以下↓となります。



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