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汗かき肉まん&クソ甘ヤクルトと祖父の墓のこと

さっ!
昨日毎日投稿が私にとってのアイデンティティーだといったくせに、もうこんな時間になってしまいました。小骨に二言あり!小骨トモである。
今日中に二つアップできたらと思います。
アイデンティティーが、なあああい…♪

今日は母方の祖父の一周忌の法事であった。
先日父方のおばが亡くなってしまって、まさかの法事かぶりだったのだが、私と兄は祖父の方に出席させてもらった。

祖父は昔小学校の校長をやっていた。

現職から退いてしまっても、勉強を常にしている人であった。

私が小学校1年生からから4年生までの間
自転車で実家のはなれにある、私の部屋に夕方、毎日来てくれていた。
兄と私の勉強をみる「勉強会」を開く為である。

私が最低限漢字や計算が出来るのは
この祖父のおかげである。

今日も学校が終わって、夕方4時頃、

兄はもう中学生で塾に通っていた為、私一人で祖父が買ってくれた「学習ドリル」をもくもくと解いていた。

ふと、祖父が机の隅に置いたヤクルトを見つけて私は少々げんなりした。

(またヤクルトか…)
そんな風に思った。

「明日からこれない」

………シーンと静まった部屋に、祖父の穏やかな声が響いた。

数字から顔をあげて祖父の方を見た。
優しい顔。

「…なんで?」

そんな風に聞いたものの、私のない頭でも本当は薄々わかっていた。
父の新しい再婚相手、
私の新しい「はは」がもうすぐ私の家に来ること。

祖父は
自分が私の部屋へ通っていることを、新生活を始める新しい小骨家から嫌がられ煙たがられ
そして家族から、私が責められることをわかっていたのだ。

「…新しいお母さんと仲良くね」

私はただ、わんわんと泣いた。
私は何を言われても平気なのに!私が頼んで教えてもらってるのに!
なんで親の勝手で、おじいちゃんが来れなくなるのかがわからなかった。
寂しくて、悔しくて、祖父がこの家にくることに(申し訳なさ)を前から感じていたのではないかと思うと、やりきれなくて、涙と鼻水が止まらなかった。

いやだ、いやだ、と私は赤ん坊のように泣きじゃくってしまった。

困った顔で祖父は肉まんをコンビニの袋から取り出して、端に置いていたヤクルトと一緒に
いつものように机の真ん中に置き直した。

「小骨ちゃんまたね」

はなれの木製の階段をギッ…ギッ…ギッ…ゆっくりと降りて行く音がした。
その後、庭に停められているだろう自転車のスタンドが祖父の靴にはじかれてガッシャンと鳴いた。

祖父はいつも勉強会が終わると
あの頃はこの街に、一軒しかなかったセブンイレブンで買った
肉まんやおでんを兄と私にくれた。

自分がいつも飲んでいるヤクルトのビニールをむしり、それと一緒に
「食べなさい。」とほほえんだ。

私たちにとって
未知なるコンビニのほのかに残る温かさと、優しく笑った祖父の顔が本当に嬉しくて
私と兄はいつもニコニコしてこれを食べ
しめにヤクルトをグッとやる。

これがあたりまえの夕方であった。

私は机に置かれた最後の肉まんにかぶりついた。

冷めていて、蒸気で濡れていて、めちゃくちゃまずかった。
涙と鼻水もずるずると一緒に口にすすりこみながら、ただただ食って、ぬるくなってますますクソ甘いヤクルトを無理矢理流し込み、それでまた泣いた。

私は最近、ヤクルトが若干苦手になっていた。
甘ったるくて喉に謎のカスがたまるからである。
学校のみんなも誰もヤクルトなんて飲んでいなかったし。
…祖父からみた私は「これ、うまいー」といった昔の小さな私のままでなのだなと思うと、それがまた私の涙腺の蛇口をイカレさせた。

しょうがないことである。
ずっと一緒にはいられない。

それがわかっていても、
私は過ぎて行く子供時代に
必死にしがみつきたっかったのである。

今でもヤクルトを見ると、祖父の顔を思い出す。

(私はへにゃちょこな大人になってしまったけど、
今でも計算の早さだけは誉められるよ。
昔誉めてくれた作文も、みんな好きっていってくれるよ。
それだけできっと生きてゆけるよ。)

今日もお墓の前で、お線香をあげながら
まったくの駄目人間になってしまった孫の私であるからして、ずっとそんなことを語りかけていた。

祖父の安心できる言葉を一年前から探しているが、
まだ見つからない。

まったく足りない孫なのである。

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