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「どくとるマンボウ航海記」北杜夫

 私は、世の中の本をエラそうに評することができるほど本を読む人間ではないが、私がこれまで読んできた本の中で、この本ほど知的なユーモアに溢れる本はない。

 出だしの「アタオコロイノナ」の話から、この本にのめり込んでいった。北杜夫が1958年秋から翌春まで、半年間に渡って水産庁のマグロ調査船の船医を勤めたときの航海記であるが、船内での話や、世界各地に寄港した際のエピソードが彼独特のユーモアを以って実に面白く書いてある。頭に風景を想像せしめるような繊細な描写や、船医としての仕事ぶりが書かれたと思っても、たちどころにふざけた文章が出てくるのである。北はとても照れ屋さんだったのではないだろうか。

 この面白さの源は、北本人の気質、彼の博識の二つだと思う。

 彼は好奇心が旺盛で、かつそれが少年のように大変素直であるのが感ぜられる。港に入ったとき、街に繰り出した時の描写は細かく繊細で、人々のこともよく観察している。一人で街に出て回ったり、同僚とともに遊び歩くなど、精力的かつ、しっかりと見て様々体験しているため、それぞれの寄港地のエピソードが大変興味深い。また、好奇心だけでなく、彼の行動には彼の大胆な気質も垣間見え、これもまた面白い。彼は己の思いを行動に移すことができる、強い心の持ち主である。

 さらに、見たこと、体験したことを、彼の博識と結び付け、彼の学びをもう一歩深くしているようで、またもう一歩深いユーモアを以って読者を楽しませてくれる。

 寄港地でのエピソードに目が行きがちだが、大西洋に行ってから帰り始め、先の寄港地が尽きてからも読みどころである。彼は、寄港予定地がなくなり、ナマケモノになってしまう。ところがインド洋で大航海時代のことから宇宙空間のことまで思想始めたところや、特にマラッカ海峡の見事な凪のときに、海の上のすばらしさを堪能するところなどの文章は彼の思想、心情を素直に表しているようで美しい。暇な航海で気力もない中の彼の過ごし方もまた良いものである。

 この航海の時代背景は私は詳しくないが、どんな時代だったのだろうか。日本社会はどんな性格で、どんな人々が社会を引っ張っていたのだろうか。そのようなことも分かれば、この本の良さ、意義ももっと分かったのかもしれない。

 彼の少年のような精神を、私も持っていると信じているので、これを失わずに人生を過ごしたいと強く思った次第である。

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