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いつかの日記

落ちてる千円を届け出る勇気もあるけど、アスファルトに落ちてる一円を拾う勇気もあると思う。

歯磨き粉を買って帰ろうと毎日考えてるのに、家を出る時には忘れていて、ギターコードを押さえるときより力を入れて歯磨き粉を絞り出す。そんな風にして毎晩気合を入れて、たかが300円のチューブの前で悪戦苦闘する。絞り出てきた歯磨き粉は、驚くほど白くて、生活の中で目にする白色の中で最も白い。

毎日何かしらのメールが届き、毎日何かしらのポイントが失効する。中には、自分で稼いだ覚えのあるポイントもあるが、大体がボーナスや入会といった言葉に彩られた、手にした覚えのないポイントだ。スイカでピッと改札をくぐる時にさえお金を払う実感のない俺が、どうしてこんなポイントに実感を得ることができるんだろう。

タバコ一本につき、寿命が5分縮むという。死に際の俺はどんなことを思うだろう。愛する人に囲まれたベッドで、あと5分あればと思いながら、今火をつけたタバコのことを思い出すだろうか。

こないだガストに友人と入った時、友人は勿体無いからと、ハンバーグのそばに添えてあるパセリを食べていた。その友人は刺身についているツマも完食する。何かを残していることが勿体無いという。そして、それはとても美しいことのように思う。あえて安易な言葉で言うのならば。

実感のない生活が、ただただ回っていく。人を乗せないままのメリーゴーランドのようにクルクルと空虚に回転する。俺はそれを見ている。

生きてる感じが欲しいんだと思う。落ちてる千円を届け出るような回りくどいものじゃなくて、あらゆる人に踏まれた一円を拾って使うような。

そしてそれが足りないと感じている。


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