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このnoteが終わる日


ついに書きたいことがなくなった



I’llです。
このnoteが役割を終えつつあるな、と感じています。
このブログは、ポートフォリオサイトを作る際にイラストなどを掲載したり、進捗を公開する目的で始めました。あまり突っ込んだことを書くつもりもありませんでしたし、当初はかなり表現をボカしてポエミーな内容に留めておこうと思っていました。
ただ、あまりに言いたいことが多すぎるというのもあり、心のモヤモヤを書き出して対応策を練るルーティンが好循環に繋がる部分もあり、このnoteを書くことで精神的なバランスを保つ意義は大きかったように思います。
始めたのは今年の1月でしたが、その頃は割り切れていない部分がかなりありました。世の中が不条理に見えてしょうがなかったですし、自分のやり方が正しいとも思えませんでした。それでも少しずつ考えを修正しながら、悪いところは自覚し正しいと思うなら頑固を貫き、悩みながら探り探りやってきました。そして最近、とうとう書きたいことがなくなってしまいました。
私の本業は絵や漫画で人を楽しませることです。だから、いらないことを言ってしまったり、敵をわざと作るような舌禍だけは避けたいものです。これまで多少は過激なことも言ってしまいましたが、言わないほうが良いメリットよりも、実際に表現して自分に対する返りを見つめる方が有意義だと感じていました。しかし、最近の私に考えるべきことがあまり残っていないのもありますし、わざわざリスクを犯して問題に首を突っ込むべきではないとか、そういうことばかりを優先して考えるようになりました。
以前にも書きましたが、私は世の中に蔓延る事象に対して言いたいことはたくさんあります。しかし、自分の立場のためにあえて触れないこともたくさんあります。実は本心から言いたいことほど書いていません。言論でお金を戴くつもりもありませんし、私ごときが物申すのもおかしいのです。ですから、このnoteは書きたいことがなくなったら終わりだな、と常々考えていました。

「口は災いの元」と言うが…

よく、本業の作品以外のところが評価されたり、発言力が強くなりすぎて自身の作品にバイアスをかけてしまうクリエイターを見かけます。
クリエイターは、口先で評価されるほど創作欲を失う傾向があります。幸いにして私に影響力はありませんが、逆に変な注目のされ方をしない方が私にとっては好都合です。
言論や思想の部分と本業は切り離すように注意してきましたし、わざと表現を濁してストレートな物言いを避けてきました。こうすればもっとバズるとわかっていながら、あえてやろうとしませんでした。それは私の思想が大きくなりすぎて、未熟な作品がショボく見えないようにするためです。
私が一番恐れているのは、炎上とか問題を引き起こすことではなく、デカいことを言ってるわりにやってることはしょうもねえな、と思われることです。私の発言が作品の質を毀損することはクリエイターとして最も避けるべきことですし、そう考えると今が潮時なのかな、と感じる部分もあります。
確かにリスクマネジメントとしてnoteを閉鎖するのは得策なのですが、一表現者としてそれでいいのか、と疑う気持ちもあります。このnoteの記事一つひとつは私の成長の軌跡でもあります。間違ったこともたくさん言ってきましたし、誤解されるもの言いもかなりありました。ですが、現在悩みがある人がこの文章に辿り着いて共感したり、もしヒントになる部分があるとしたら、それはそれで表現者としては喜ばしいのです。
私はなまじ失敗や挫折を繰り返してきた人間なので、自分の過ちを語ることが誰かの助けになるとはっきり自覚しています。自分の悩みや道筋を探る過程を残しておくことは、それだけで一つの作品になるのかもしれません。
プロセスエコノミーの見方もあります。自らの試行錯誤と姿勢を見せるドキュメンタリーとして、そのプロセスが自身の価値を上げる可能性もあります。まあ、考えが合う合わないはあると思いますが、人畜無害であることには努めてきましたし、考えが合わない人に私が合わせる必要もありません。このnoteの継続が持つ価値は、自分が思うより大きいのかもしれません。
誰に見られているとか、調べていないので私にはわかりませんが、読まれていないわけではないようです。このブログはいつか消すつもりでいましたが、私が考えてきたことに自ら意味があると思うからこそ、誰かの役に立つこともあるかもしれません。ただ、放置するのはあまり良い方法ではありません。

今後のnoteの方針について

私の身の回りの変化も相まって、そろそろグズグズしていられなくなってきました。自分としてもスタイルや技術が固まりつつあり、勝負を仕掛ける時が近づいているのを感じます。
この心境の変化もあり、自分の生き方や幸せをダラダラ考える暇はないのかもしれません。ですからこのnoteに関して、自分のために考え、文章を書くというフェーズは終わらせるべきだと思います。まだ覚悟のつかないこともありますが、くよくよ悩むほどの問題はありません。あとは勇気を持って、正確にやるべきことを達成するだけです。
今後は、このnoteへの比重はだいぶ軽くなると思います。しばらく更新を続ける気持ちはありますが、もし放置してしまうようなら、潔く消すことになると思います。
自分のためではなく、人様のために文章を書くこともできます。ただ趣旨に外れますし、自分なりに築いた黄金律を崩すことになります。もし利他に走り、善意を押しつけるようなことがあれば、それは結果的に自らの首を絞めてしまうはずです。一朝一夕で方針は曲げられません。
私はあくまで絵描きですから、フワフワした場所からポエミーなことを呟いている方が都合が良いのです。作品より言葉が強くなってしまい、絵を描かずに暮らせるようになるとすれば、それは本末転倒です。クリエイターなら言いたいことは作品に込めるべきで、場外で解説して満足してしまえば、作品を通して何かを伝えようという気もなくなるからです。そういう作家もいますが、私は飛び道具に頼りたくないと思います。

ただこれで良いのか、そうすることで自分の成長を鈍らせることにならないか、続けてきたnoteの真価はどのようなものか、確固とした答えはまだ出ていません。その結論を出すにはまだ時間がかかるかもしれません。
あくまで自分を偽らず、勘違いも間違いも向き合うためにこのnoteを続けてきました。だからこそ生半可なやり方は許せませんし、下手に日和見をせず自分の思った通りの行動をするつもりです。
私の正直な気持ちに100%向き合ってきたこのブログだけに、その時の判断も裏切らないものにしたいと思います。

P.S
姉妹ブログ「I’ll QROQUIS」はブーブー言いながら何とか毎日更新中です。よろしければこっちも見てください。




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