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【コラム】なぜ、人は進んでバカになろうとするのか?

「老害」と反知性主義


I'llです。
人間は、不思議な生き物だと思います。
子供の頃から勉強しろと諭され、良い学校で優秀な成績を残すように急かされ、賢くなければ生きていけず、しかし歳を重ね良い大人になればなるほど、考えず学ばず楽に生きていこうとするのは何故でしょうか?
先日、父が3日前のお弁当を夕食に食べました。家族がいくら注意しても「大丈夫だ」の一点張りで、結局1時間に1回トイレに行ってうなされていました。ナチュラルに痴呆が入ってきているのかもしれません。なぜ子供でも危ないとわかるようなことを自信満々でやることができるのか、老いというものは想像以上に恐ろしいと思います。
近年よく議論されるようになった「反知性主義」も、実に不思議な概念です。知性に欠けているのですから、主義でも何でもないと思います。党内議論をスルーしたLGBT法やロシアの侵攻理由、なぜ妄言としか思えないような言説が正当化され世の中に罷り通るのか、そのプロセスを考え原因を知らなければ、世の中は愚かさによってさらに悲惨な状態になりかねません。
なぜ人間は率先してバカになろうとするのか、私は不思議に思っていました。賢さや真実に向かうのはこの世界で生きていく唯一の術であるはずなのに、わざと愚かになる選択をするのは、一体なぜなのでしょうか。

バカになったほうが得をする社会構造

反知性主義の発するところを見れば、彼らは必ずしも社会生存圏の下部に位置していて、毎日学校に行くことも生活することもままならないような人たちではないことに気づきます。
言わば、バカになって組織思想に従順であることで生存手段を獲得しているか、あるいはバカでも十分満足できる生活ができるゆえに、努力を最小化し向上意識を捨て去った人たちにこそ起こり得る事象のような気がします。
つまり反知性主義に走る彼らは、賢くなり他者を理解し、切磋琢磨して生存手段を得るような競争社会には属さず、利権に依存することで自動的に利益を得られるからこそ、知性を求める必要がなく、エントロピーに逆行する必要もないのです。
生物に適者生存の法則がある以上、楽をして何も考えず生きることに傾向していくものだと思います。むしろ競争原理から逸脱し、バカになることで利益を増幅させるような環境にこそ、全ての原因が潜んでいるのではないでしょうか。
人間が集まれば集まるほどIQが下がるのは何故か、いつも不思議に感じていました。これには心理学的な理論があるはずだと調べたところ、「集団浅慮」という社会心理学の用語があるそうです。大変わかりやすい記事を見つけましたので、貼っておきます。

人間は意識を集約する時、同調し周囲に思考を委ね、複雑なロジックをより単純化していくことで、妄言に近いスローガンに取り込まれていく危険性があります。
無思慮であればあるほど利益を得られる社会構造は、当人たちは最適化した結果かもしれませんが、そういった安定搾取のシステムが社会に対して良い影響を与えているとは限りません。競争原理に反し自浄作用を失えば、人や組織が必ず腐敗することは歴史が証明します。
そういった社会悪に染まった組織が、いわゆる「反知性主義」に傾くのではないか、と私は思います。いや、反知性主義に傾倒するからこそ、人や組織は悪に加担するのかもしれません。

「非合理的な利権」の解体こそ、反知性主義に抗う手段である

この現象について逆に考えれば、集団の利権に依存すればするほど知性を求められなくなる一方、個人に分散すればするほど思考力は高まり、批判能力を発揮できるということです。
これまで歴史上、腐敗した特権階級は民衆の蜂起によって、武力で引き摺り下ろされる出来事が頻発していました。それには一点突破というか、怒りが最高潮に達して起こる現象でもあります。しかし今日のネットが発展した民主主義国家は、個人の告発によって問題化することが可能になりました。近年ではやりすぎの傾向もありますが、これまで上流社会や特権階級が行ってきたような、不条理な慣習を批判することができるようになったのは、紛れもない民主的進歩であるように思います。
個人の反知性主義は、遅かれ早かれ痛い目を見れば自ずと更生する可能性は高いです。しかし組織が巨大で資本力があり、強権的であればあるほど、そういった社会悪から反知性主義を取り除くことは困難になります。
しかし反知性主義に妥協し、妄言としか思えないプロパガンダを有り難がるような風潮に向かえば、今日の東アジアの先制国家のような、集団的自滅を招いてしまいます。
だからこそ、おかしいことはおかしいと批判し、時に叩いては引きずり下ろすような攻撃性も、社会にとってどうしても必要です。しかし一方、社会を健全化するための環境を整備することも重要であり、自由化された組織群が、利権の代替システムとして構築されなくてはなりません。
今の世の中は逆におかしいことはおかしい、と言いすぎる節もありますが、本当の巨悪に対しては押し黙る空気があるのも事実です。
私たちが巨大な既得権益に沈黙し、利益にすがり得をすることを許す風潮があるとしたら、それこそ反知性主義に取り込まれてしまっている、と言えるのかもしれません。

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