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努力のススメ

I’llです。
遺伝子によっては、努力ができるタイプとできないタイプがいるという説があります。
私は、努力が人間にとって重要であるとは思いません。努力せずできるに越したことはないし、努力だって好きでやれば、ただの探究です。
頑張れば夢が叶うとか、努力すればできるようになるとか、学校教育が子供の嫌がる勉強を美化するために生み出した、学歴社会に最適化された言説だと思います。
どんな綺麗事を並べても、人間は生まれ持った家庭の資本や、生まれ持った能力でスタートダッシュに差が出ます。これは紛れもない事実で、その後の人生において、全てが努力で埋め合わせられる保証はどこにもありません。

しかし私は、自分自身に与えられた資質や環境が恵まれていないからと言って、もしそこで諦めることができなければ、やれることは努力しか存在しないと思います。
目標があるならば、目標の達成のために結果を出す準備をするだけです。言わんやライバルを罠に嵌めるとか、高い地位の人を買収するとか、汚い手を使って目標に達しても、いずれ強烈な力で引きずり下ろされるので、やるだけ無駄です。
自分の今持っている条件で目標を達成できそうになければ、何かしら手を打たなくてはなりません。それを努力とか言うのでしょうが、そのバイアスのかかった表現が、努力を嫌う風潮を作っているのではないかと思います。

向上や成長のために必要なステップに対して、努力はつらい、努力はなるべくしたくない、努力はカッコ悪い、そういったネガティブな色眼鏡で見るせいで、持ち前の才能とセンスで楽してパッと結果を出すのがカッコいい、という幻想が作り出されてしまったのだと思います。
確かに、ごく一部にはそういう天才やラッキーマンもいます。しかし、ほとんどの人間は凡人として生まれてくるし、大して運も良くないので、甘い願望を抱いて閃きに頼って行動しても、惨憺たる結果になるわけです。
万が一それで運良く成功できたとしても、実力と知識と人格が備わっていない人間が、第一線で居続けられる世界は、どこにもないのが現実です。

努力が良いとか悪いとかではなく、実際、世の中にはやりたくないことが多すぎるのです。
私が学生だった頃、面白くない勉強は努力以外の何物でもなかったし、お洒落をするのも、人付き合いも、毎日学校に通うのも、努力が必要なことばかりでした。それは、苦行をやり切った先の目的がわからず、そのためにやる準備の一つひとつが、とにかく面倒臭かったのです。
子供の頃は特に、大人が先回りしてアレをしろ、コレはするな、と指図して回るので、自分がやるべきことの大半の意味が理解できません。だから「努力」が必要な行為を、嫌なことだと刷り込まれていきます。子供にとって、大人たちが「努力」を当たり前のように行い、嫌なことに囲まれ、曇った眼差しで生きている姿を見て、確信に変わります。そして、生きるために必要な準備の時間を、苦しいものだと錯覚するのです。

目標の意味、目的の価値を予め理解しているかしていないかで、努力の感じ方が異なるのではないでしょうか。A地点からB地点へ向かう時、B地点が遊園地だとわかって行く場合と、なんかよくわからない場所だが行くしかない、と思う場合では全く足取りが違うはずです。
私たちは、良い結果を出すことだけは求められますが、結果に何の意味があり、それが実現したらどうなるか、それがわかっていなければ、リスクは取りたくない生き物です。だからこそ、やる意味のわからない勉強や訓練が、できたら避けたいものであると認識してしまうのです。

世間の「努力」に対する捉え方が歪んでいるせいで、自分の人生を充実させられず、成功を逃してしまった人が多いのではないでしょうか。
毎日食事をすることは、努力とは言いません。それは、必要なことをやっているだけだからです。例えば勉強もトレーニングも、生きるために必要なことなら、同じことのはずです。食事はお腹が減るからだ、食べるのも楽しいからだ、と思われるでしょうが、勉強もトレーニングも、やりたいと思えば趣味になり、生活習慣になります。
つまり、自分の成長や向上のために必要な行為を好きになるか、嫌いのままでいるか、ということなのだと思います。
私の知っているプロや一流の人ほど、息をするように地道な日課を淡々とこなし、それをわざわざ人に言ったりはしません。他人からは、ものすごい苦労を買っているように見えるかもしれませんが、当人からすれば当たり前の習慣をこなしているだけだと思います。しかし、こういうところで二流三流との差がついてしまうものです。

おそらく、成功するかしないかに、いわゆる努力は必要ではありません。しかし、成功している人は、努力を努力だと思って、惜しみながらやってきた人ばかりではないと思います。それが他人から見れば楽にこなしてきたように見えたり、やりたいことだけやってきたように見えるかもしれません。やるべきことを淡々とやってきたら、いつの間にかそうなっていた、という人もいるのではないでしょうか。
努力というより、向上のための行動は誰にとっても大切なことです。それは嫌なことばかりではないはずです。目標の意味と、目的の価値がわかれば、今まで嫌だったことも、必要な準備だと思えるようになるかもしれません。


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