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「世界で一つだけの花」を歌って

I'llです。
昨夜は、疲れていたので無理矢理寝ようとして、変な夢を見てしまいました。
夢の中に、昔関わりのあった絵師仲間が出てきました。懐かしい気持ちになりましたが、私はどうにか彼にマウントを取る瞬間を見計らっているような、どうにもぎこちない夢でした。
彼とは疎遠になってますし、今どうしているのか知る由もありませんが、あのまま続けていたら、私とはだいぶ差がついているんだろうな、と思います。絵描きとして、私は人気を捨てている部分もあるので、決して成功しているとは言えません。そんな私でも、何とか上に立ってやろうという敵愾心を発揮する夢は、私の煮え切らなさを象徴するようでした。

「ナンバーワンにならなくてもいい、もともと特別なオンリーワン」

槙原敬之さんとSMAPの曲、「世界で一つだけの花」の歌詞の一部です。
「世界で一つだけの花」で最も重要な部分は、「その花を咲かせることだけに、一生懸命になればいい」のフレーズだと思います。誰もが持っている種は、誰もが咲かせていると歌詞にはありません。皆がナンバーワンになれる花ではなくて、一人ひとり違う種子を持っているだけだ、という歌詞になっています。
昔、SNSで「ナンバーワンがオンリーワンなんだ」と言っている人がいました。ナンバーワンであるくらい優れているから、量産型の有象無象からオンリーワンでいられる、という指摘ですが、確かに理解もできます。
ただ、この曲は花を咲かせられた人がオンリーワンになれるのであって、種の状態で良い、とは一言も書かれていません。ナンバーワンになることに執着する意味はなく、オンリーワンだからと言って努力しなくて良いわけではない、そして花を咲かせられるかは本人次第、だから他人と比べずにとにかく一生懸命やろう、そういう歌なのだと思います。

私は、今になって「世界で一つだけの花」という歌の良さがわかります。
競い、勝利することに価値があると思っているうちは、自分の真価を見つけ、発揮することができないのかもしれません。
ナンバーワンになるためには、同じ条件、同じ審査基準で、同じトラックの上で競争するから明確になります。ただし現実はコンテストではないですし、一回グランプリになったくらいでナンバーワンになれるとは限りません。
ナンバーワンになるためには、そのジャンルの優れた要素を取り入れ、一長一短を選択し、ほんの少しオリジナルテイストが必要です。それは、確かに業界の中では一番だと認められるかもしれませんが、自分をわざと類型化し、そのジャンルに特化した評価を得ることだけを目的としています。お山の大将になることは、大変な功績には変わりはないのですが、その後も大将の地位に君臨し続けるのは、実に大変そうに見えます。
自分が裾野の隅で日の目を見ないとしても、私は自由を選択したはずです。自分の思うようにステータスを伸ばし、いずれ花を咲かせることができれば良いと、頭では考えていました。

しかし今朝見た夢は、他人に対して優位に立ちたい、という正直すぎる邪心です。結局は、私はトラックからは降りないまま、別の角度から追い越してやろうと思っていただけなのかもしれません。何だかんだ言って、勝つことを捨てられない自分に、矛盾を知ってガッカリします。

評価されたい、負けたくない、という気持ち自体は、人間に備わった心理的機能なのでしょう。それは打ち消したと思うこと自体、自己欺瞞になってしまうのかもしれません。
おそらく、感じる分には感じてしまうものなのだと思います。それでも、他者に勝つことを強烈な軸として生きるべきかは、各々が決められることです。実際、勝ち負けではない世界に生き、成功も失敗も表裏一体であり、どのようにすれば楽に生きられるか、幸せであるかは、一人ひとり違うものです。
ですから、人間が互いに戦い、競い合う世の中で生きているとしても、勝ち負けのために生きることをしない選択ができるはずです。

「グラップラー刃牙」より ©︎板垣恵介・秋田書店

「グラップラー刃牙」24巻、敵の戦術に寄ったビスケット・オリバに対して、範馬勇次郎が放ったセリフです。
今の私には、身に染みる言葉です。自分の持ち味で戦うことで、結果的に勝つこともあるかもしれません。勝つことも大事ですが、自分なりのベストファイトをすることも大事、ということなのだと思います。



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