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2023/11/02 いそいそとミルクコーヒーをテイクアウトする私

マヌコーヒー20周年とのことでパーチーには行けないが富貴のお茶々饅頭を西岡さんにお届けする。
周年イベントの準備で賑わう店内をいそいそとミルクコーヒーをテイクアウトする私に不満げな視線をくれる。

薬院から大手門まで夏みたいな陽気の中歩いて、リブリスコバコの富澤大輔個展「遊回」を見に行く。
自意識とかリアリティとか投射物とかユーモアとか過ぎゆく時間とか日常の麗しさとか展示はその時その場でしかないものだ等、近頃考えていたことや感じていたことの全てがそこにある展示だった。
富澤くんからはこの世の全てを忘れたくない「幽霊のお散歩」がテーマと聞いていたが作家は何かを足がかりに想像だにしない現実を作り出すものだ。
圧倒的な明るさと、平等性を感じるモチーフの並び。
言葉にしがたいものを扱っているという点では、リブリスコバコ自体がその確かな視点を持っているけれど、この作家とのシンクロの仕方は素晴らしすぎる。
いくら言葉をつむいでも、この展示そのもののことをうまく表せそうにないというものを見るのは本当にいい経験だ。

他にもギャラリーを巡り人と話し天神を方々歩くうちにずいぶん疲れた。
思考や欲望が頭をぐるぐる回る。
都会すぎる。

浄化のためにブックバーひつじがに行きたいが、現在は夜8時頃からのオープンらしくそれまで適度なカフェで時間を潰す羽目になる。
この数日は吉田健一の「酒肴酒」を読みながら、同時に吉田暁子「父吉田健一」を持ち歩き読むということをしている。

 父は酒豪として名を馳せた。しかし酒豪と呼ばれる飲みっぷりは相手がある時の飲み方のはずで、もう一つ、一人静かに飲む酒というのがある。父はこの両方に親しんでいたのだ。そしてどちらの酒にも共通なのは、精神の自由な動きである。私にとっても酒はなくてはならないものだが、この十年のうちに、一人で長々と飲むことを覚えた。飲んでいると自然に色々なことを考えるというか、想うのだ。そういう自分に気がついた時、『時をたたせる為に』という、父のエッセイ集を思い出した。退屈だから時間を潰すために、と誤解されては大変で、日々のいろいろな雑念から離れ、自然に湧いてくる想いに身を委ねられれば、我々の日々の営みとは別に絶えず流れ続ける時間と、意識が一つになるということだ。一人静かに飲んでいると、時が経っていく。生きている自分が過不足なく、ただそこに在る。

「父吉田健一」吉田暁子 河出書房新社 70-71頁

結局ひつじがには寄らずに夜道を自転車で遠回りして帰る。
遠回りしてその前の道を通ることになった昔アトリエを借りていた所は、また貸事務所の貼紙が出ているから中のあのがらんとした空間が夜に沈んでいることを思う。
自転車を漕ぐうちに都会の毒っけが抜けて、余計な邪念が風に流れていくように感じた。
感じるとその一方ただ腹が減っていることを感じて、普段あまり行くことのない那珂川でも自宅からは遠いジョイフルでハンバーグを食べると、今日はこのためにあったという味だった。
ハンバーグと付け合わせのポテト、ブロッコリー、コーンも全て満足した。
ゆったりした広い席の座り心地も最高だったし、窓の外を流れる車の影も見飽きない。

自宅に戻って、吉田健一がやったように一人で茶を飲むうちに、時間が過ぎることの楽しみが感じられ、すっかりリラックスしていつの間にかソファで寝ていた。

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