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ものを書く人の幸せって?

私自身、子供の頃から作文なんて大嫌いだった。

なんで自分の日常であったことをわざわざ宿題で提出せにゃならんのだ?

と絵日記も読書感想文もてテキトーに書いて出して来た。

特に「夏休みの宿題でおじいさんおばあさんから戦争体験を聞いて作文にまとめて書いて下さい」

と担任に言われた時、祖父母にとっては人生で1番思い出したくない辛い記憶を聞け、だと?

なんて無神経で「だから戦争をするのはいけないと思います」と文を結ばせたいプロパガンダ臭のする宿題なんだ。と十四の頃一人憤った事がある。

それでも宿題なので聞いてみた相手である父方の祖父は
「年月が経ってしまうってそういう事なんだね」

と自分の体験を語ってくれなかったが、

「食糧が無くて無くて困っていたのは確かだからその事を書けばいいよ」

とアドバイスをくれたのでなんとか原稿用紙2枚にまとめる事は出来た。

その頃の読み物はホラー漫画雑誌とライトノベルの走りとも呼ばれる某コバルト文庫が主流で純文学とは国語の授業で一部抜粋を読まされるもので決して楽しくはなかった。

そんな私を文学好きに変えたのはなんとなく進学した公立高校の現代文の先生の、

「夏休み明けの試験の大岡昇平『野火』で範囲は…全部です!」

と小説一作まるまる読んで覚えろ。という鬼教育だった。

この作品は南方の戦地に送られた主人公が戦友が死んで行く中飢えのために人食いの所業まで行うまでの過程を描いたものだが、

戦友の骸を食うため刃物を使おうとする手をもう一方の手が掴んで止めた。

という一文に道を外れても生きたい本能に抗う理性。が読み取れたので成程、純文も面白いものかもしれない。と初めて思わせた作品だった。

それから教科者に載っていた山本周五郎「内蔵之介留守」と中島敦「山月記」にどっぷりハマり、並行して銀英伝も読んでいた。

二十三でバイトしていた歯医者の院長が貸してくれた芥川龍之介の代表作をほぼ全部読み、

(1番好きな芥川作品はマニアックだけど「古千家こちやです)

二十四までに三島由紀夫の代表作「豊穣の海」四部作まで読んだ。

絶筆「天人五衰」の終わり方がある意味衝撃的なのですが、

四十過ぎたらいや、この終わり方で良かったのだ。自分があの尼僧だったらやはり同じ事を言ったかもしれない。

と書いた人の年齢を過ぎて味わえてくるし、その当時の現実を生きていたくなかったのだなあ…と畏れ多くも書いた人の気持ちも押し測れるってもんです。

現実の滅びや堕落って本当に汚いんだもの。

さて、読むだけの人だった自分が書く側になったのは37才の時。某ブログで自分の脳内に流れる映像をコツコツと書き綴ったのが「電波戦隊スイハンジャー」です。

もし社会人として生きている若者たちがヒーロー戦隊に選ばれたら?というコメディですが、書き進めていくにつれ人間の存在意義を問う黙示録になってきてます。

二作目「嵯峨野の月」はとある漫画を読んでいる時、自分の中の脳内空海が「こんなんちゃうのに」と。描かれている怨霊さん達が「こんな形で描かれたくなかったのに」とめっちゃ怒っているように脳内で聞こえて、よし、せめて素人作品ながら作中で慰霊する形にしていっちょ時代劇書いたろ。

と思ったのがきっかけです。

脳内で流れる映像を文章化するのは本当に大変な作業で時代考証や当時の貴族や僧侶、庶民の生活を書き出すのは本当に大変で気がついたら6年経っていました。

プロになる覚悟も無い、人と関わり過ぎると精神的に負担になる心身の健康が第一な私がなんで、取り憑かれたようにこれ書き続けているんだろ?

と四年前取材の為行った高野山でとある寺のご住職の説法を聞いて、

あ、私登場人物の慰霊のためにこれ書いて来たんだ。と当初の目的を思い出し、さらにラストシーンと最後の一文まで決定してしまったのですから。

さてあと三話、小野篁の物語が終わりこれで政権闘争はもう書かなくていい。とほっとしております。

書き終えた私はどうなるんだろうね?

もう人生終えてもいい。とも疲れて書くのやめてもいい。とまで精魂注いだ題材に出会えただけでも幸せ者なのかもね。




























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