電波戦隊スイハンジャー#103

第六章・豊葦原瑞穂国、ヒーローだって慰安旅行

阿蘇2


1940年1月の昼下がり。

スイスチューリヒ市内で路面電車がカーブを曲がり損ねて横転する事故が、未遂に終わった。

なぜなら一人の細身の紳士が旧約聖書に出てくるサムソンの如きの怪力で倒れそうな巨大な車体を支え、一人の淑女を身を挺して守ったからだ。

この時に事故が起こって通りがかりの女性バイオリニスト、フロレンツィア・バウムガルテンが下敷きになっていれば野上聡介はこの世に存在していなかっただろう。地面に蹲ったフロレンツィアと紳士は、目が合う形になった。

黒い髪と瞳…中国人か日本人かしら?と一瞬フロレンツィアは思った。

世界恐慌から11年。イギリス、フランスは経済封鎖でドイツ、イタリア、日本を締め出した。とお父様が言っていた。ここチューリヒでもほとんど東洋人を見なくなったのに、今時珍しい。

紳士は相当無理をしているのだろう。額から脂汗が滴っている。彼はぐうぅっ!!と歯ぎしりをし、そして一気に背負った路面電車を元の位置に立て直した。

轟音が鳴り、次いで地面が揺れた。紳士の前髪がはらりと落ちた。東洋人にしてはコートの埃を払う仕草、帽子を被る仕草も洗練されていた。

紳士は丸眼鏡の奥で彼女に心配かけないようにドイツ語で語しかけてにこっと笑った。

「Ist alles in Ordung?" Fraulein」

大丈夫ですか?お嬢さん。なんとも清々しい笑顔だった。

それが聡介の祖父野上鉄太郎と、祖母フロールの出会いだった。

「鉄太郎さんって、スイス人の奥さんと駆け落ち婚なんですよね!?なんてロマンチック~」

小岩井きららは自宅アパート近くで借りた野上鉄太郎関連の本をカウンターに置いてほうっとため息をついた。

8月23日の夜、

東京下町根津の古民家を改装した安宿「したまち@バッカーズ」の1階、

Barグラン・クリュは今夜は「貸切中」と札を下げて入口を閉め切っており、聡介以外の戦隊全員が揃って野上鉄太郎関連の書籍や書類を読み漁っている。カウンター上は資料と飲み物のグラスでとっ散らかっていた。

いい年した若者6人が、まるで「夏休みの自由研究」に悩む高校生グループみたいに眉間に皺寄せているその様子が、幽霊野上鉄太郎には何やら急にいとおしいものに見えた。

「正確には、奥さんになるフロレンツィア嬢の押し掛け婚だったようです。

この時代、チューリヒまで来る日本人はそういないから所在を突き止めるのは簡単だったでしょう。当時、野上鉄太郎は大蔵省の役人で、ドイツ経由でスイスに入り経済留学中だった…は表向きで、本当はスイス銀行のシステムを調査研究をしていたのではないか?というのが一般的な見解です。

その関連で老舗バウムガルテン銀行の令嬢、フロレンツィアと知り合ったと思われます」

哲学者で民俗学者である野上鉄太郎に憧れて学者になりたくて、大学院で哲学修士まで取ったけど

…大学に職が見つからずに結局中学教師になった男、七城正嗣は大学時代に調べた「野上鉄太郎の生い立ち」の古いレポート用紙を自宅書斎から引っ張り出してその文面を見ながら説明した。

「バウムガルテン銀行!世界に名だたるスイス銀行の大手じゃないか」

琢磨がひゅーっ!と口笛を吹いて次に腑に落ちない、という表情をした。

「と、まあふざけるのはここまでにして昭和15年といえば日本は開戦直前で軍国色が強くなってたし、外国語も敵性用語として禁止され始めた、と死んだ母方の祖父が言ってました。なんで鉄太郎さんはそんな時期にスイス銀行調べてたんでしょうね?」

「当の鉄太郎さん本人が、戦時中の事は何も語らない人でしたからね…
あるいは顧客になっている資本家の情報を得ようとしていたのかもしれません。

その後の事実としては帰国した野上鉄太郎は連れ帰ったフロレンツィア嬢と東京で結婚、彼は調査報告で軍部を怒らせ大蔵省をクビになっています。『日本は開戦をする国力にあらず』と正直に言ってしまったようです」

「うん、そりゃクビにされるべ」

と隆文が書物を読むのに飽きたのか、グラスでビールを飲み始めた。

「ねえ、野上鉄太郎ってなに学者なんですか?図書館で聞いたら経済学、哲学、民俗学どちらの分野で?と聞かれましたよ」

おっと、そこを突かれると痛いねえ。鉄太郎は正嗣の横で頭を掻いた。

「一高、帝大を出て大蔵省に入省してるんで最初は経済学者、終戦後には故郷熊本の大学で哲学を教えているから哲学者。60代後半に産土神研究の著書『日本人はどこから来たのか?』がベストセラーとなり時の人になっています」

「つまりは、飽きっぽくて節操の無い学者さんってことですかあ?」

きららの言葉に誰も異を唱える者は無く正嗣も「それ多分当たってます…」と答える他無かった。

このお嬢ちゃんは、ぼーっとしてるようで案外鋭いな。鉄太郎はきららの邪気の無い横顔を関心したように見つめた。

「ねえ蓮太郎さんは実際に鉄太郎さんに会ってるんでしょ?どんな人だった?」

とカウンターの中から悟が、ひとりあまり関心なさそうに梅酒を飲んでいる蓮太郎に向かって聞いた。蓮太郎にとって野上鉄太郎とは幼馴染の聡介の祖父であり、合気柔術のお師匠であった。

「うーん、6才の頃から知ってるけど…お年を召しても矍鑠《かくしゃく》とした方だったわよ。

稽古の時は鬼のように厳しいけど、普段は優しいおじいちゃん。

でも頭の回転が速くてよく喋る人だったわね…って、何よー!踊りの発表会終わったから打ち上げだーってこの店貸し切りにしたのはアタシなのに。みんな難しい顔しちゃってさ!」

昨日蓮太郎の父が家元をしている日舞喬橘流の発表会が終わったので、蓮太郎はとしては開放感に浸りたいのだろう。雰囲気が暗い!とカウンターに乗った資料を勝手に片づけ始める。

おいおいおい!とメンバー達が止めようとするのを振り切って急いで片付ける蓮太郎は「…だって、さっきlineで聡ちゃん呼んじゃったんだもん」と頬を赤らめた。

げっ!

と蓮太郎以外全員が心で叫んだ。程なく、入口の戸が合鍵を持った聡介によってからからから…と軽快な音を立てて横に滑って開く。

(か、隠せかくせかくせ~!!!)と隆文が大慌てで小声で合図し資料ぜんぶをやたらめったら紙袋に突っ込んで…

「ばんざーい!明日から夏休みっ!」

と両の拳をぐっと頭上に付き上げてわはははは!と笑いながら聡介が入って来た。

彼の黒Tシャツには「I don,t need your freedom(僕は君の自由なんかいらないよ)」と印字されている。

おいバカ孫よ。そのTシャツどこで買った?

幽霊の身ながら鉄太郎はツッコミを入れてやりたくなった。

ここからが勝沼悟脚本、紺野蓮太郎演出の茶番の始まりである。

「や、やあ野上先生。明日から夏休みだって?」

と息弾みそうになる隆文のセリフが、完全に棒読みだった。

「へっへっへ、羨ましいだろー?1週間どころか8日も取れちゃったよ~」

良かった、気づかれてねえ。と隆文は内心ほっとした。しかし、酒も飲んでねえのによくもこんなに浮かれてられるもんだべな!

「へえ、良かったじゃありませんか」

としれっとした顔でグラスを拭く悟の顔を見ると、聡介はさっきまでの緩んだ笑顔から急にすっと表情を冷たくした。

「勝沼おまえ、何考えてる?俺の職場の理事になって俺の仕事やシフトを支配するつもりか?」

「先生の仕事の忙しさじゃとても戦隊に参加は無理、と判断して仕方なく僕が手助けしてるつもりなんですが」

「勝沼やっぱりお前」

と聡介は言葉を切り、やっぱりハッキリしておくべき彼との問題を口に出した。

「…やっぱりパンチングマシーン壊した件、根に持ってる?」

悟はがっしゃがっしゃがっしゃ!と彼らしくもなく乱暴にシェーカーを振って聡介に向き直り、

「ええ、とても」

と答えた。声が本気の怒りで低くなっていた。

「あの機械は大学の研究用でわが社が特注で作らせた機械…

本来なら野上先生には傘下の勝沼記念病院に来ていただき、約10年以上は社畜になって働いて弁償していただくところです」

「八つ当たりで壊したのは悪かったけどよ、な、何億したんだよ?」

答える代りに悟はシェーカーからグラスにウイスキー・サイドカーを注いでレモン色のカクテルを自分で一気にあおった。

「聞かぬが花、知らぬが仏。でも、それでは面白くない。

先生の職場が勝沼酒造が出資している蔓草会系列の病院と知り、ここは理事兼コンサルタントとして職場環境改善するのも一興。

と思って…おじい様に頼んで理事にしてもらいました。僕が意見しなけりゃ先生はまとめて8日も有給を取れなかったんですよ」

たん!と店中に響くほどの音を立ててカクテルグラスを置いて表情その1「ビジネスライクな微笑」を満面に湛えた。

「分かりますよね?先生の仕事は僕の仕事。先生のシフトは僕の意のまま」

出た、ジャイアニズム発言!現実に聞くとなんと恐ろしい響きなんだ。この悪魔め。

じいちゃん。やはり金持ちと偉い人は怒らせるもんじゃねえな。腹が立ったら10数えろって遺言、守れなくてすいませんでした…

聡介は情けない気持ちで古民家を改装した店の天井を仰いだ。

まあまあ二人とも、と蓮太郎が間に割って入るのもシナリオ通り。しかし蓮太郎が聡介の肩に手を掛けて酔った振りしてしなだれかかったのはアドリブである。

「実は、アタシもお休み取ったから聡ちゃんと一緒に阿蘇行くわ」と耳元での囁きを聞いて聡介はけっこう困惑した。

え、また蓮ちゃんと二人きりになるのか?それはちょっと…

聡介は先月、八坂神社の境内で「君が好きだ」と蓮太郎に告白された時を思い出して体が強張ってしまった。ど、どーしよう!?

で、でも榎本葉子戦の後、俺は蓮ちゃんに土下座して「すいません!俺、蓮太郎は親友だと思ってるけど、男は抱けません!」と謝ったけど。

でも親友でいようって俺の方が、ムシが良すぎるのか?

あーもう男と男って、分かんねーよ!

「あ、僕も手伝いますよ。阿蘇のご実家の手入れ」と悟が挙手するのを見て聡介はやっと全身の力を抜いた。

えっと、男3人なら2日で作業済んじゃうな。色んな意味で有難い。でも勝沼細いからすぐバテそうだな。

「あたしも行きまーす!大学休みだし、なんか田舎行きたい気分だし」

きららちゃん、君の故郷の十勝も田舎の方じゃないのかい?まあいいか。

「僕も行きます。有給取れたし」

は、琢磨まで?霞が関どーなってるんだよ!?

ふっふっふ…と隆文までが親指で鼻先を弾いてなんかえばって腕を組むではないか。

うわあ、昔の少年漫画のガキ大将みたいな仕草する奴初めて見た。

「畑の手入れだったら、リアル農家のおらの出番だべ」

お前新婚なんだから嫁の傍にいてやれよ!

これで食費は割り勘だな。

「私も実家は寺だけど、半分農家ですしねえ…役に立てると思います」

あ、正嗣いたんだ。我ながらヒドイ親友な俺。

「これで決まりですね。先生の愛車のランドクルーザープラドはちょうど7人乗りでしょ?」

「勝沼おまえ、どこまで俺の個人情報知ってるわけ?」

ああああ…俺の休暇が、戦隊たちに侵食されていく…ひとりでぼーっとしたいのに。この店に入った時の開放感が、萎んでいく…

「店は、この店の営業はどーすんだよっ、お盆休みの後でまた休業する気かっ?商売っ気が無いにも程があるっ!」

「支配人の柴垣さんと、オッチーさんの妹夫婦で回せます。そのための派遣要員です」

悟が眼鏡をずり上げて斜に構えて聡介を見た。まごうことなきドヤ顔である。

ふふふ、野上先生が明らかに周りに翻弄されて困っている。愉快だよ。今夜はよく眠れそうだよ。

そう、僕達は先生を…

たばかったんだよ!

といい気になった悟のしてやった感を「え、画像ハッキング?」という琢磨の叫びが邪魔した。

暇つぶしにネットサーフィンしていた店のノートパソコンに…

顔を青く塗って、金髪のかつらを被った小人の松五郎がどん!と全身映っているのだ!

「ふっふっふっふ、戦隊の諸君、ごきげんよう…」

まるで往年の地球救出宇宙放浪アニメの、敵ながらモニターで挨拶してくる律儀な悪役総統のコスプレ姿であった。

くだらねー事に高いハッキング能力を使う小人、それが智慧の神スクナビコナである。

「実は戦隊諸君に、いいニュースがある」

松五郎さん、それはシナリオにないよー!!悟は頭を抱え込んだ。

ニュース?戦隊たちは松五郎の青い顔に注目する。

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