電波戦隊スイハンジャー#18

第二章・蟻と水滴、ブルー勝沼の憂鬱

梅雨明け

6月某日、匿名の通報を受けて六本木の裏カジノに踏み込んだ警察は、実に気色悪い光景に出くわすこととなった。


失神していたカジノの元締め始め、スタッフ、利用客全員が…


納豆を3万回かき混ぜたような粘度を持つ、異臭を放つ繭の中に閉じこめられていたからである!!


まさに人間が納豆の中で溺れていた。捜査官の一人はそう証言している。



「あれがスタンド『納豆ねばねば』…まさに拷問だべ…おらは向こう半年、納豆食いたくなくなったよ」


「私もです…生きてる間、あんな攻め苦には遭いたくない。金持ちを怒らせると怖い、の典型を見ました…」


事件から約一週間後、週末バー「グラン・クリュ」店内。


隆文と正嗣はカジノ内での惨事を思いだし、けっこう青ざめた顔をカウンターごしに見合わせた。


「たまたま僕の『念糸』が納豆菌との融合に成功してねえー、さらにヤマイモの粘り成分、ムチレージとシルクペプチドを合わせてあのスタンドが完成した…いっぺん使ってみたかったんだ」


バーのマスターで、人間を納豆責めにしたドS男爵、勝沼悟は、上機嫌で鼻歌歌いながらシェイカーを振っている。


曲調からして「ダース・ベイダーのテーマ」であろう。


投網子ことカヤナルミ神の大放水の後、色々ありすぎた。


メンバー全員は銭湯に直行して、オッチーとルリオに着替えを持ってきてもらったり、


(ルリオが女湯覗こうとして、番台と一悶着あったが)波田家の人々に空海が催眠術で「記憶のつじつま合わせ」をしたり…


「そういえば、波田皮革工業はどーなったべ?茜さんの会社は?」


「盗まれた3千万は戻ったので、波田皮革工業自体には問題ない。建物は半壊したが、竜巻と火災の災害保険が下りそうだし、再建は出来るよ。


問題は茜さんの店だが、テナントから撤退することにした」


「勝沼さんのアドバイスか?」


「うん、再建した実家で皮革工房を作ってネットビジネスの通販で商品を売るんだ。

コスト削減した分を商品の値下げに当てて、購入しやすい価格にする。


まあ、銀行に出す事業計画書を作り直さなきゃだが、茜さんなら出来ますよ。家族全員でやり直しです。


日本の町工場もいつまでも下請けに甘んじるのではなく、『攻め』のビジネスでいかなきゃね…」


悟は向かいのロシア人客の女性にモスコミュールを渡した。


スパシーボ(ありがとう)と言って女性は受け取った。白に近い金髪の胸の大きな美人である。琢磨が女性の胸をチラ見した。


「しっかし、勝沼さんが港区に6件のビル持ってるオーナーだったなんてねえ…うへえ、みんな一等地だぁ…」


店のノートパソコンでネットサーフィンしていた琢磨が唸った。


「…主に不動産業です。大学院出てすぐに父さんから『やってみろ』って言われて経営してるだけだよ」


不本意そうに悟は眉根を寄せて、自分は酎ハイレモンをちびちびやっている。


そ、そんな、親がゲームソフトを子供に与えるよーに、ビ、ビルを!?

メンバー全員が、驚きすぎて異星人を見る気持ちで悟を見た。


「でも、捕まった事務長さんの人生って、何だったんだろ?


息子さんの学費のために働いて、その息子さんが突然亡くなって、貯めたお金をギャンブルにつぎ込んでヤミ金で借金して…会社のお金に手を出して…


何のための人生だったんだろ?あたしにはわかんないなー」


大好きなカルピスサワーもあまり手につかず、きららがカウンター表面の木目をぼんやり数えている。


「きららちゃんはまだハタチだからねぇー。人生長く生きてると色々あんだよ。


取り調べによると、事務長はカジノに多額の借金をしており、横領をそそのかされてからはあまり記憶が無いらしい…


カジノの元締め二人を香港系マフィア『花龍(ファロン)』のメンバーとみて、徹底的に締め上げてます…ってさ」


正嗣は意を決したように口元を引き結んだ。


「私にははっきり見えるんです。人々の悪意のもやが、段々、赤く、黒くなってくるんです

…我々の敵は、予想以上に手強く、狡猾です…これからが大変です

…あ、予言めいた事はもうよしましょう」


正嗣はキャスケットを脱ぐと彼の心の目だけが見える赤いもやを振りおとすように首を振り、焼酎のロックを一気飲みした。


「んだな!やな事は忘れて飲むべ!!かんぱーい」


カチン!と5人のグラスとオッチーの枡が合わさった。


「そういえば、投網子さんはあれからどーなったんだんです?まさか、あのまま消えたなんて…」


チーズ鱈をかじる琢磨に、悟が気づいてないの?とでも言うような顔をした。


「彼女は東京の一番目立つ場所にいるのに…数十年ぶりに『本体』に戻ったんでなかなか木霊形態になれないらしいよ。あ、ほら!」


悟が店の奥の32インチ薄型テレビを指差した先には、


夜景に輝く東京スカイツリーにそれを上回る体長のターコイズブルーの龍が、巻き付いていた。


「にじぇ~~っ!!」悟以外の戦隊全員の悲鳴が店内に響いた。



温室のガラスを打つ雨音がいつの間にか止んでいた。


「ま、まるで、おとぎ話のようですね…」

真理子は空になったカップから悟の顔に目線を上げた。


悟はチェアから立ち上がって温室のガラスの天井を眺めながら言った。


「真理子くん…僕は君を妹のようには思っているが、それが『好き』という感情かどうかは、分からないんだ。

つ、つまり…僕は…まだ…恋を…したことがない…」


悟の端正な横顔がみるみる赤くなる。

ああ、やっぱりか。とは思ったが真理子は結構残念にに思っている自分に気づいた。


「でも、いずれ、いや、一年以内には気持ちをはっきりさせますから…待ってて下さい…」


真理子を見る悟は、もう緊張で震えてはいなかった。


たぶん、さっき話してくれた墨田区の事件が彼をわずかながら成長させたのだろう。凛々しくなったな、と真理子は思った。


「はい…お待ちしております…」

真理子はそう答えるしかなかった。19年間想ってきたから、1年ぐらい…


「ところで真吾おじさん、もうすぐ15回忌だね」


「はい、父のこと気にかけてくださってありがとうございます…」


「僕にとって、実の父より慕っていた人だからね。でも14年たった今でも分からないんだ」


「私も、未だに分からないんです…娘のくせに情けないけど…母には話せなくて…何で、父は、自分で…」


悟は「第一発見者」だった。


中3の夏休みだった。


日曜の朝9時過ぎだった。普通に遊びに行った筈だった。


父である社長の片腕同然の部下である真理子の父は、自室の天井の梁からぶら下がっていた。


悟は立ちすくんだが、すぐに真理子がついてきた。彼女は中1だった。


「見るな!」と覆い被さるように、15歳の悟は真理子を抱きしめていた。


守らなきゃ、この人を守らなきゃ…悟は心の中で呟き続けていた。歯の根が合わないほど震えていた…


あれから14年、真理子の面差しはあまり変わっていない。いつの間にか真理子は彼の横に立って、温室の天井を眺めていた。


僕は、守れるだろうか?この人を。


悟は白衣のポケットの中で右手を握りしめた。小さなものが指先に当たった。つまんで取り出すと、一枚の五円玉だった。


だいじょーぶだにゃ。


小さな女神の能天気な笑顔が脳裏に浮かび、思わず悟は微笑んでいた。


「あら、何をなさってるんですか?」


真理子がくすくす笑って聞いた。


「太陽を見てるんだよ」


五円玉の紋様は稲穂と水面、真ん中の穴は、歯車である。


歯車の穴の中から、初夏の太陽がまばゆい輝きを取り戻していた。


「もう梅雨明けですねえ」


少し嬉しそうに、真理子が言った。

第三章、「電波さんがゆく、グリーン正嗣の踏み絵」につづく。













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