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『花束みたいな恋をした』を意を決して観た感想。

公開から1年以上も経ってから、

意を決して観てみた。
 大学生から社会人になりたての頃の恋愛。私は苦虫を嚙み潰したような顔で話し始めることでしょう。今からもう10年以上も前のことです。今思い返すと、傲慢で、恥ずかしくて、でも一方で、自分が世界の中心になったかのように、無敵で、すべてが輝いて何でもできる気がしていた、あの頃。

 そんな時を思い返すのが、何だか気が重いように感じて、気になる映画なのに、ずっと観るのをためらっていた。別にイチ視聴者、イチ観客に過ぎないのに何様っていう感じなんだけどね。『誰にでもある、人生の恋愛の1ページ』というので、当時の心情にのまれることになるかなと身構えていました。

時は過ぎ去った

というのが、率直な感想。特に、泣くでもなく淡々と、大学生の男女の恋愛を覗き見したような気持ちになった。『あー、大体みんなこんなもんか。』良いでもなく、悪いでもなく、一通り経験して、大人になっていく、そんな過程。『感情移入して大泣きするかも。』なんて心配はいらなかった。
 淡々と、淡々としてた。

花束みたい、とは?

花束みたい、とは、どういうことなんだろう。

お花屋さんで横目に見る羨望?
買う時の高揚感?
渡されるまでの期待感?
受け取った時の感動?
持ち運びの鬱陶しさ?
花瓶に移し替えた際の安堵感?
花びらが散った時の、虚しさ?
枯れた、喪失感?

この美しさは永遠ではないと、一時の儚いものだと
そんな恋であったと そういうことなのだろうか。
大輪の大花束ではないが、それなりのブーケのような、
一度ぐらいは、人生の中で手に入れられるかもしれないようなもの。
(結構、花束って高価なんだけどね。。。)
誰にでも、少しの温かさがあって、でもいつの間にか、
ぬるくなる。そのまま飲んでもいいし、淹れ直してもよい。

そして、ごきげんよう、さようなら

 劇中の2人は再会するも、会話をせぬままお互い振り返らずに、手を振ってそれぞれ歩き出す。相手が見ているのかも見ていないかも分からないが手を振る、そんなシーンがある。
 “得た経験”に対して、敬意なのかプライドなのか、そんなものをはらっているように思えた。『どうぞお元気で』と。
そして、あんなに唯一無二に思えた恋愛は、“単なる思い出”になる。そして、ふとした時に思い出す。『あー、こんなんあったなー』って。『っていうか、今頃どうしてんだろう』なんて妄想まで。
 そう、それで終わる。映画も、人の恋愛も。

    そう、そして愛はひとつもない。
    ただの恋。

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