お天気の話でもしときなさいって話|映画日記
13歳の頃、本と映画共にハリーポッターに夢中だった私は、イギリス映画にどハマりしていました。
当時同居(なぜか離れで一人暮らし)していた祖父は、とにかく本と映画好きで
廊下や地下室に床が抜けるのではと心配になる程、びっしりと本とビデオが並んでいました。
ので、当時の地獄のような実家でも、映画と本なら母の了承を得ず、時間を決めてなら観てもいい読んでもいいことになっていたの。
そんな時、祖父がBSの映画チャンネルを発見。「このチャンネルは、24時間映画館にいるみたいだなあ」と嬉しそうに番組表に印を付けていました。
祖父はその勢いでPCも購入。初めて我が家にPCが来ました。
本や映画作品の詳細を調べるにはPC、本編を楽しむのはテレビと本棚、といった感じ。
冒頭のハリーポッターに戻ります。PCが来てから、大好きなスネイプ先生役のアラン・リックマンはダイ・ハードのあの人で、落下シーンはガチのびっくり顔だったのか!とか。
占い学の先生役のエマ・トンプソンって女優さん、実はめちゃくちゃ美人やないかい!とか、情報の海。
そんな中で今回紹介する映画と出会いました。
家出してから初めて買ったDVDもこの映画。
なんでこんなに惹かれるのか、子供の私は直感でしか感じてなかったと思う。けど、今回やっとわかっちゃった。
いつか晴れた日に
公開日: 1996年6月1日 (日本)
監督: アン・リー
原作: 分別と多感
原作者: ジェーン・オースティン
映画脚本: エマ・トンプソン
受賞歴: アカデミー脚色賞、 英国アカデミー賞 主演女優賞、 ゴールデングローブ賞 映画部門 脚本賞、 金熊賞、 ゴールデングローブ賞 映画部門 作品賞(ドラマ)、 英国アカデミー賞 助演女優賞、 全米映画俳優組合賞助演女優賞、 英国アカデミー賞 作品賞 他
そんなラブロマンス作品として見てなかった件について
初めて見たのは13歳。地味で真面目で暗い女子中学生は、上記のような「とろとろ恋愛煮詰めました」みたいな作品として受け取ってなかったの。
子役事務所に入れられていたこともあって、主役級の俳優陣の細部にまで気持ちを巡らせてる演技、飽きさせない展開、数世紀前の人間の話とは思わせない親近感の作り方がすっごい!みたいに観てた。
だって湖水に秘めるような恋心も、燃え盛る炎のようなお相手もなかったし。
そして何よりも好きになったのは『観る小説』だからなの。
彼らの台詞、表情のひとつひとつに、彼らの人生が反映されている精密さ。
小説って、ぼーっと読んでると伏線にも回収にも気づかなかったりするじゃない?
あれがこの映画では多発する。回想シーンなんか野暮なものは挟まない。
思い出話も噂話も、すべてワンカットで俳優の口から、体からしか出てこない。だから、常に心が動いてないと。自分でその昔話を、噂になるような場面を、想像しないと。
これがすごく楽しかった。
で、この「観る小説」状態が、最後の叙述トリックを作ることになるんだけど。
ぼーっとしてられない、心が動かされまくってるから、私は最後の最後までそのトリックに騙されて楽しめたの。
この作品の中に自分がいる感覚
定期的にDVDで観ていたのだけど(どんでん返しが分かってても観ちゃう)、去年のクリスマスイブ、往年のスターや名作だけを放映する映画館「新文芸坐」のスクリーンでパートナーと観たの。パートナーはDVDで一回、スクリーンでは初見。
私も初見の気持ちで、観てみた。
恋愛によって自分が成長していく様、わかった。やっとわかった。
その人に好かれたいから変わるとかそんな浅はかなものじゃないの。
現代でもよくあるでしょう、「お金がないから一緒になれない問題」や「家の期待の相手と、自分の好きな人が違う問題」。
「ここで自分の気持ちを出したら相手は幸せか」とか「本心か世間体か」とか「愛かお金か」とか。(当時結婚の際、女性が家から持ち出せるお金『持参金』によって結婚を決める男性もいたみたい)
それらを鑑みてよくよく思い返してみた。自分はこの作品の中にいたらどんな人物なのかなって。
多分、<マリアンヌ(自由)の皮をかぶったエリノア(不自由)>。私にはどっちもいる気がした。
こういう人、男女問わず多いんじゃないかな?
建前だけしか言わないんじゃなくてさ、「偽物の本音」で自分を守るっていう。
そんな建前の使い方をする人。
天真爛漫で嬉しかったら大リアクションして、嫌だったらNOと言って、大勢の前で臆することなく歌ってピアノ演奏して、好きなら好きとはっきり伝えるマリアンヌ。
の皮をかぶって、本当は全然違うことを思ってる。
心が動かなければリアクションは取れないし、好きなものを嫌っていうのは辛いし、たった1人で舞台の上に放り出されるのは怖かったの、本当の私は。
私、偽物を喜ぶ人とばかりいたんでしょうね。親も元彼もお客様もそう。
本心を曝け出される側は楽ですよね、自分の中身を見せるって怖いことだけど、相手の本音は丸見えって心地良いと思うの。
だから子供の頃からずっとそれをやってきちゃった。
偽物の本音を丸見えにさせて、本物の自分を守ってきたの。
裏を返せば、理性的に、計算しながら、建前とマリアンヌの演技で乗り切るエリノア。
本物の心は、今のパートナーと心療内科の先生とカウンセラーさんと、リスナーさんにしか見せてない。
今でも本音を言うのは怖い。リスナーさんに「それは失礼だからやめて」って言ったり「その発言は悲しいな」って言ったり。
だから本物を見せるってこんなに怖いことなんだと思いながら、この文章も書いてるよ。
本音が悪いことだと言い切れる?
この映画のワンシーンでマリアンヌが「姉さんには心がないんだわ、だから理性的なんだわ」とエリノアに吐き散らすシーンがある。
私はそれを、毎回自分に言われているように感じてた。
心は、ある。
今すぐ泣き出したい時だって、好きな物を見つけたら駆け出したいときだって、むかつく人間には「あんたのそういうところ大っ嫌いだよ」って顔面に唾かけたい時も。
でもそれを許されない立場があったの。
妹や弟って立場が羨ましい。長女はいつだって小さなお母さんを任されるから、自分の心に構ってる暇がない、心がすぐにどっかに行っちゃう。そのまま、大人になる。
で、そんな酷いことを言ってしまったマリアンヌ。
エリノアは「私がどんな思いでこの心を隠してるかあなたにわかるの?」と映画後半も後半にしてやっとブチギレ返す。
あんたが自由な恋愛をして男に遊ばれて泣いてた時だって、
お母さんが田舎暮らしが辛いってこぼすからいつも慰めてあげて、
ご近所付き合いだって誰がうまくこなしてるの?
なのに持参金なしの行かず後家って噂されて。
心がないなんて思わないで!「私」じゃなくて「私たちのこと」を考えて動いてると私の心、ないみたいに見えるでしょうけどね!
って。
「そんなふうには見えなかった」と泣き出すマリアンヌ。驚かせてごめんね、なエリノア。
私からすれば、いつだって心が傷ついている時に言われるのは「そんなふうには見えなかった」。
でしょうね、そんなふうに見せてませんもの。
でもエリノアは妹を抱きしめてあげるの。優しい。
だから、本音って悪くないと思える美しい場面。「自分たち」じゃなくて、もっと「自分」を考えても良いと思える名シーン。
これで去年の年末に、やっと答え合わせができました。なんで13歳の私がこの映画の虜になったのか。
<私は私の心を隠したくない、嘘も演技も辛い>
<そんな私が嫌いならコントロールしようとしないで、嫌なら近くにいないで>って直感で思ってたからみたいです。
今だったらいつでも言える言葉になりつつあるのが嬉しいな。
もう映画終了の数分前。エリノアが初めて他人の前で泣くの。
いつからかわからないけど、ずっとずっと心を抑えてきて
風船が破裂するみたいに、我慢が「思わず」って感じで溢れ出した人の慣れてないんだなあって泣き方。
そしてその後の、慣れてないんだなあって笑顔の作り方。
エマ・トンプソン、凄すぎる。そしてなんであんなに複雑な設定だったのかわかる、全部のトリックが解ける話の流れ、全てが繋がる、鳥肌が立つ。
愛でもお金でも建前でも世間体でもなく自分を取り戻す、とっても素敵なシーン。
自分を後回しにしがちな人、ぜひ観てほしい。
かなり英国上流貴族のラブロマンス❤︎な紹介文でゴリ押しされてるけど、私には恋愛はおまけくらいに思えたので、「貴族のとろとろ恋愛物語」が苦手な人でもいけるはず。
今回はエリノアとマリアンヌ姉妹に着目したけど、男性陣やお母さん、末の妹やライバルなんていう他のキャラクターから切り取ってみるのもおすすめです。
で、あなたは登場人物の誰に似てる?ちゃんと自分で心を握ったまま、観てくださいね。
もしよくわからなかったら、事実で無難な「お天気の話でもしてなさい」って話。
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