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音沙汰なくとも音まみれ【インドア目線】

前回のnote以来、
列島ではステイホームが提唱されましたが、
何の便りも寄越さず、noteの更新まで自粛してしまっていたイザワです。

さて、此度の新型コロナウイルスのことで、
家族の中で僕だけが、
日中のお仕事(テレワークは無し)が停止になり、

名実ともにインドア生活をしていた期間がありました。

おや、自分の時間が増えた!
この機会に、好きなことができる…!

当初は僕もそう思っていました。

しかし、いざ一日一日を過ごしてみると、


・家族のぶんの洗濯
・洗濯機が終わるまでに皿洗い(朝)
・洗濯1回目が終わって2回転目
・洗濯物を干す(1回転目のぶん)
・ネコの餌やり、トイレ清掃
・ネコのケンカの仲裁
・洗濯物を干す(2回転目のぶん)
・昼食
・皿洗い(自分&ほかの夜勤帰りの人のぶん)
・掃除機がけ
・16時までにデイサービスから送迎されて帰ってくる祖母を迎える準備

・帰宅後の祖母が食いつく番組や、録画してある番組を流す 

・17時過ぎ(母の帰宅)まで、祖母と同じ部屋にいる
・トイレ同行(祖母一人で正しい場所に行くのが困難)

思いついたものだけ書き上げてみたのですが、
これらをやっていると、



自分がずっと家にいる事実に対して、
家で自分の時間を過ごせている実感が 
ものすごく低かった
のです。

むしろ新型コロナ騒動以前よりも、
1日が過ぎていくのが何倍も早く感じていました。

次第に、他にやりたいことや読みたい本などもあったハズなのに、
「家で家のことをしていないと落ち着かなくなる」モードに入ってしまいした。

頼まれたからやっていること…のハズなんだけど、
一度も洗濯機を回してなかったら、
後で不安な何かが起きるような気がする。

一度も皿を洗っていなかったら、
自分の存在意義がなくなる気がする。

他の家族が帰ってきても祖母のいるスペースにとりあえずいないと、
何かわかんないけどアカンような気がする…。

考え過ぎだと分かっていても、体は健康でいても、何かを蝕まれているような心持ち。

TVを見ている祖母を横目に、
何か別の作業をしたり、それこそnoteを書いてみようかと思っても、

耳にはいろんな音が入り込んでくるからか、
自分と向き合う類の作業に対しては、手がほとんど進みませんでした。

17時30分頃には家族もぞろぞろと帰ってきて、
祖母のことをバトンタッチして、
昨年初めてできた、自分の部屋に戻ることもできるのですが、

その頃には、僕の中の電池が切れて
少し労力を使う作業や趣味などは後回しになりがちでした。

※美味しいご飯を作ってくれたり、
見えないところで温かい場所を作ってくれる家族の存在、

僕が一人暮らししていた頃よりも、
そのありがたさを何倍も感じた期間ではあったのですが(笑)

そんな中のステイホーム生活だったので、
自分の中で2種類の時間を設けることにしました。

●13時〜14時は
家のことをしない時間にする

日中に何か家のことをしていないといけない…という謎の不安を、
1時間だけでも無視する時間を作りました。

この時間だけはゆっくりします。エネルギーが余ったなと思ったら、自分のことをします。
通り雨が振らない限りはゆっくりできました。

結果的に、「他の時間に必ず洗濯物を取り込もう!」などとメリハリをつけることもできました。

●オンラインで人と話す・会う約束をつける

・携わっているWEBマガジンのミーティング、
また主催しているイベントのミーティングもこの機会にオンラインに。
結果的にこれも、家にいる生活の中でも
“○時からは自分の時間”と決めることができ、
また家族以外の人と話せる貴重な時間でした。

・海外で生活されている方とリモートでお絵描きをしないかと誘われたのをきっかけに、
1時間弱の中で描いた絵を見せ合ったり、それぞれの住んでいる場所の状況を喋ったりしていました。
新型コロナは格好の“共通の話題”のひとつにもなりました
(ただし使い方には気をつけましょう)。

・学生時代からの知り合いと通話を繋いで、
ゲームで対戦したりもしました。

…恥ずかしながら、僕はゲームに関して、
パーティーゲームや複数人対戦などの
皆で楽しむものより、

RPGや戦略立案などの
一人でマイペースに進めるものを好んでいたのですが、

この歳になって、誰かとゲームすることの楽しさを、再確認しております…笑

読んでいただきありがとうございます。いただいたサポートは、鳥取のアートシーンで活動されている方々を応援する際に使わせていただきます。