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関東から九州へ移住して見つけた新しい暮らし⑤


「アートフェスティバルVOL1」の続きです。

市の観光課の職員さんからは人なんて集まりはしない、やったというだけでミッション成功とこちらは考えているから、しょぼしょぼの結果でも、あまり気を落とさなくていいですよ、と言われてました。

私も第1回は認知度もないから多分、そんなことだろうなと、踏んでいたんですが、ふたを開けてみたらあらびっくり、お客さんがあとからあとから押し寄せて大変な騒ぎになってしまいました。

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とはいっても、ほかの有名フェスと比べるとどうだったかしれませんが、スタッフ一同としてはびっくりでした。

来るわ来るわ、どこからこんなに!?というほどの大盛況となりました。

そこから想定外のバタバタが始まりました。

何しろ会場が龍門地区という山あいの地域で、駐車場は小学校の校庭を当てていたのですが、周辺に空いた土地はなく、道は狭くて車のすれ違いも難しい、という悪条件だったのです。

それで万が一のために2KM程離れた龍門ダムの広場の駐車場も借りて、1台だけリムジンバスを用意しておいたのです。

使うことはないかもしれないが、とにかく用意はしておこう、という感じでした。

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ところがお客さんが押し寄せてきて、あっという間に校庭は車で満杯、遊びに来てくれた市役所の職員さんが自分の車でお客さんをダムの駐車場に案内して送迎したり、市長まで送迎を手伝ってくれたりという騒ぎでした。

リムジンバスはフル稼働で、最後に運転手さんが怒鳴り込みに来られました。

「飯も食えない、バス1台じゃどうにもならんばい、主催者は何を考えて運営してるんだ、人権蹂躙だ!」


こちらは平身低頭して謝るしかありませんでした。

でも、お客さんは大変喜んでくれました。


山あいの昔風の小学校にアート作品がたくさん展示されています。


こちらのコンセプトとして人が触って構わない作品を置こうというのがあり、子供たちに楽しめるもの、というのがありましたので、秋の休日に楽しめるお出かけ先、と認識してもらえたのかもしれません。


同時開催のマルシェでは美味しいものがたくさん食べられるし、手作りの品を購入もできます。


そんな楽しいイベントにみんなが飢えていたのかもしれません。


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アーティストさんたちとしては楽しんでくれた人もいましたし、疑問を呈する人たちもいました。


最初にお断りはしていたはずなのですが、通常のアート展示では黙って静かに鑑賞してもらうもの、という概念があります。

それに対してこちらはアートはかしこまって見てもらわなくていいのじゃないか、楽しい気分で遊びながら感じてもらいたい、という狙いがありまして、それが伝わりきっていなかったために不満を持たれた方もあったのです。

とはいえ、おおむね大成功といえるものでした。

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とはいえ、その陰では実現できなかった企画が山ほどあって、無念な気持ちは引きずっています。


白龍会さんが協力してくれたこともあり、私としては菊池らしさ、という点から、何とか白龍に活躍してもらいたかったのです。


最初考えたのは竹の骨組みを組んで周りに和紙を張り、巨大でも軽い白龍の造り物を作りたい、それを数台のバルーン、もしくはドローンで吊るして上空を飛ばしたい。

会場の龍門地区には九州最大の龍門ダムがあり、その彼方から巨大白龍がダムを超えて飛んできて、会場の龍門小学校上空を舞い、彼方へ飛び去って行く、という企画でした。

それを展示会場の龍門小学校からだけでなく、龍門地区やダムなど、あらゆる場面からお客さんに見てもらう。飛行時間を予告してお客さんを呼び込もう、というものでした。


しかし、これは予算的に、技術的に、人員的に、時間的に全く届かなくて断念しました。

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それなら、というので次に考えたのがユンボに龍の飾りつけをし、しっぽを何人もの人に操ってもらって自走できる白龍を製作する、というアイデアでした。


ユンボのアームの先に龍の顔をつけ、アームを操作して龍に独自の動きをしてもらい、鳴き声の音声を流し、観客を沸かせようという腹でした。


これも結局費用、技術の面から断念せざるを得ず、そういう意味では心残りはたくさんありましたね。


ダム壁面にCGアートを映し出したい、というのもあったなあ。

でも、それを上回って一人一人のアーティストさんたちがいい作品を提供してくださり、お客さんたちが満足してくださって、結果は素晴らしいものだったと思います。

そんな風にして第1回目は終わり、翌年は


期日がずれたことと天候不順で少し動員人数が減りましたが、3回目は新築なった菊池の中央公民館の建物キクロスを全棟使わせてもらって動員人数を大きく増やして有終の美を飾ることができました。


キクロスは1階が図書館になっていて、その図書館はデザインがおしゃれで素敵、館長さんがこの方も先鋭的な考えの持ち主で、図書館をどのように使っても構わない、思い切ってやってください、と言ってくれました。

アートフェスダム広場オブジェ


2回目、3回目とスタッフに厚みが出てきて、3回目は実質Yさんという女性がみんなを仕切ってくれました。

私はやっぱり資金面を担当し、何とか予算をかき集め、赤字を出すことなく終えることができました。


それを支えてくれたのは特に地域おこし協力隊のKさんで、事務や経理面がまるでダメな私をカバーし、きちんと精算まで面倒を見てくれました。市役所の特別職員のデザイナーWさんの協力にも助けられました。


3回目は運営委員長を市民の中からNさんにお願いし、Nさんは全力投球してくれました。


もちろんトラブルは当たり前のようにたくさんありました。


市の上層部と喧嘩もしたし、上司からの指示に思いきり逆らったりもしたし、市民の皆さんから怒鳴られたり、怒鳴りつけたり、あらゆることがありました。

でも、何とか任期3年の間、3回のアートフェスティバルを辛うじてやり遂げることができたのは、気持ちよく協力金を出してくれた地元愛に満ちた企業やお店の方々、ボランティアで働いてくれた皆さん、数えきれないくらいの皆さんのおかげでした。


アーティストの皆さんも、迷惑かけて怒らせてしまった人もたくさんいるけど、楽しんだと言ってくれた人たちもあり、なんとかフェス開催の意味はあったと思ってもらえたのではないかと思います。


アートフェス会場3


アートフェス会場13

アートフェス会場1


そしてなによりKAOのメンバーさんたち、最後まで耐えに耐えて私とNさんの面倒を見ながら、アート面を仕切りとおしてくれました。

途中から参加してマルシェを運営してくれたFさんご夫妻にも感謝しかないです。

この方たちには一部不心得者のためにとんだご迷惑もかけてしまって、本当に申し訳なかったなあ。

思い出すとまだまだ際限なく色々出てきてしまいます。

だんだん頭が下がって上がらなくなってきてしまいます。


本当にありがとうございました。


なんちゃって、だんだん感謝のメッセージになってしまいますね。

当時の感動が胸によみがえって熱くなってきてしまいます。

何しろ、そんな感じで3回のアートフェスティバル、無事にやり遂げることができました。

今、思っても感無量です。

アートフェス看板


アートフェスティバルに関してはそんな風で、地域おこし協力隊のミッションとしてはまずまずの成果ではなかったかと思っています。

そのアートフェスティバルを自分が地域おこし協力隊を卒業した後、地域の若手さんたちに引き継いでもらえたらいいな、と思いながら3年の任期を終えました。


若手の方たちもその意欲は見せてくれていたのですが、問題が山積みで、今のところ実現はできていません。

あまりにも企画運営が大変で、負担が大きすぎるのだと思います。

ちょっと規模を大きくしすぎましたね。

私、なんでもやりすぎる傾向がありまして、反省。


アートフェス会場10


本当なら私が卒業後も主催者として活動し、アートフェスを継続していけたらよかったんでしょうが、やってる最中から、「歳」を感じてしまっていましてね。

やはり、アートは若手たちのものだと思います。古い概念のものには結局ついていききれない。

そういう問題が私自身には残ってしまいました。

運営に関しても、体力的に限界を感じてしまいました。

開催中はごみ箱の清掃とか、イベントごとに会場のしつらえを変えるとか、そのつどの状況に対応して動かねばならず、立ちっぱなし動きっぱなし、足が悪いせいもあって、まじにしんどかったです。

アートフェス会場5


なので、卒業後は別な楽しみ方、田舎暮らしでの遊び方を模索することにしたのです。年寄りは年寄りらしい遊び方をしないとね。

それで何時しかアートフェスから距離を置いてしまいました。

そのうえ、昨年からコロナが始まって、もうイベントどころではなくなりましたしね。

こういうものはタイミングの問題が大きいのだと思います。

さて、それと並行してもう一つの私の任務、


観光資源としての菊池一族の歴史を掘り起こすというミッションを同時に並行して進めていきましたが、次回はそれについて書きますね。

菊池一族の歴史にのめりこんでいったのですが、いやあ、思いもかけず、すごいものに行き当たってしまいましたね。

まじに面白い!

そちらもぜひ読んでみてください。


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