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関東から九州へ移住して見つけた新しい暮らし④


さて、「菊池アートフェスティバル」です。


菊池市の地域おこし協力隊員として、自分自身でミッションを決定し、町の発展に貢献すべしという目的のため、何ができるかと考えましたが、同時に何を楽しめるのか、と自分自身に問いかけました。


ただひたすらな難行苦行では結局発展性がなくて、結果も出ないだろうと思ったからです。


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そんな視点で菊池市を見たときに、豊かな里山が最大の魅力だと思いました。


田園風景があり、背後には阿蘇につながる山地が展開しており、阿蘇そのもののような有名ポイントはないけれど、湧き水が美しく、風光は抜群。


私が惚れ切った理由の最大ポイントこそが、菊池市の里山だったのです。
この里山の魅力を売らなくて何を売る、という気になったのです。


では、その里山をどうアピールして人様の興味を引くか。


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観光課に配属された身としては、人々をダイレクトに菊池に、里山に誘導する方法論は何か、と考えたのです。

で、自分自身絵をかいて余生を過ごしたいとこの菊池市に移住したこともあり、アートがてこにならないか、と思いました。

あまり知識はなかったのですが、アートと里山、というテーマで世の中を見まわしてみると、おりしも「里山アート展」というものが全国的に話題になっていたのです。


アートを美術館という閉鎖的な空間から解放し、日本的な背景「里山」という舞台に持ち出して、アートと風土が直接関わりそこに新たなダイナミズムを生み出す、という手法を先鋭的なアートプロデューサーの方たちが編み出して、日本各地に成功例があったのです。


これだ!と思いました。


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素人の無謀な考えでしたけどね。

自分がどれだけ無謀かも気づかぬまま、割り当てられた活動資金のうちの一部をもう一人の協力隊員と半分ずつ出し合い、秋をめどに実行しようと決めたのです。


それから苦闘が始まりました。


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まず、熊本の力のあるアーティストさんに声をかけていくこと、がミッションの第1課題となりました。


これがうまくいかない。

アーティストさんはそれぞれ自尊心高く、アート展示の意義は何か、自分が参加しなければならない理由は何か、ほかの参加アーティストのレベルは自分に引けを取らないくらい高いのか、開催時期が近すぎて辛い、など、出品拒否が続出、たちまち立ち往生です。


一方で、地域おこしのイベントとするため、ただのアート展示では面白くない、フェスティバルらしいお祭り気分でお客さんを呼びたい、子供が楽しめるアート展示としたい、なんて考えたとき、「マルシェ」を同時開催したらどうかと思いついたのです。


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マルシェなんて、熊本に来るまで知りませんでした。


生産者さんやショップの方が、テントを持って出店し、それぞれの品物を売る。決められた開催期間があってそのポスターやチラシを製作し、主催者は出店料をもらって出店者さんに売り上げを上げてもらえるよう最大の努力を払う。

これだ、と思いましたね。


買い食いをしたり、好きなアート作品を買ったり、お祭り気分を会場に満たそう、そんなお祭り気分の中でアートを鑑賞してもらおう、ざっくばらんで肩の凝らないアートの楽しみを提供しよう、そういう風にコンセプトが固まっていったんですね。


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それで早速お声がけを始めましたが、マルシェにはマルシェの歴史があり、出店の常連さんがおり、売り上げを上げられるかどうか、シビアなまなざしで主催者を値踏みします。


ふつう、主催者の方はそういうことに熟知して上手な方がおられ、こつを呑み込んでおられる。


そんなことがやり始めてだんだん分かってきたのですが、これを私たちが一から学んでやり負わせるにはあまりに時間不足でした。


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さらにもう一つの課題が見えてきました。


資金が足りないのです。会場自体は市のほうから、活用すべき施設があるので、そこを使わせてあげる、ただで、と言ってくれました。

なので会場費は必要ないのですが、ポスターやチラシは作らなければならないし、やがてはホームページも必要、SNSを使った告知活動も必要、なんてことが次々出てきて、なんやかんやお金が足りない、とはっきりしてきたのです。


交通整理の警備員を雇い、会場整理の人員も必要、なんて問題が出てくる出てくる。


そこでそれらの諸問題を1つ1つクリアしていかねばなりませんでした。

まず、アーティストへの参加呼びかけですが、これは奇跡的にあるグループさんと知り合えたのです。


「熊本アートオーガニゼーション・KAO」という若手アーティストの支援の任意団体さんでした。


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熊本地震による被害の折から、KAOさんとしてはかねて予定していたアートプロジェクトが暗礁に乗り上げ、次の活動をどうしようかと考えておられたのでした。

そこへ私からの参加要請が行って、それではと主催者のNさんが若手の女性アーティストさんたちと菊池を訪れてくれたのです。


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そして菊池の里山風景を見て、これは面白い、会場も山間地の廃校が予定されているなら、自分たちのやりたいことに近いことができる、と判断してくれたのです。


NさんたちKAOさんは熊本のあらゆるアーティストに通じ、アート展示のやり方にも精通、そのKAOさんがアーティストさんへの声掛けや名簿作り、会場配分、設置の段取りなど、ほとんどすべてを仕切ってくれたのです。

Nさんとはすっかり意気投合し、会場の龍門小学校をアート発信のベースキャンプ化すべく、フェスの後、市と力を合わせて公的支援を取り付け、NPO団体を立ち上げようじゃないかという話にまで進みました。


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Nさんは私と同い年で、二人とも発想が跳ねており、2人が一緒にいると周りが眉をしかめるほどアイデアが出てしまい、本当に楽しかった。

抜群のパートナーに出会えたわけです。


ただ、二人があまりに夢見がちなアイデアを次々に出すので、周囲は振り回されて本当に辟易したみたいでしたね。

ご免なさい。

二人ともちょっと耄碌が入って記憶が途切れるし、ね。


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さて、次の課題は「マルシェ」ですが、これも素晴らしい協力者を得ることができました。


菊池で元々マルシェを開催していた方で、この方に協力を仰いだところ、それまでもたついて失敗ばかりやらかしていたこちらに代わって素晴らしい手際で仕事を進めてくれました。


だんだん、課題がクリアできる見込みが立ち始めました。


最後の課題はお金ですが、これは市役所の方から助言をいただけました。


市のお祭りでは協力金を市内の各企業やお店にお願いをしている、というのです。


しかし、すでにお金を出すイベントがたくさんあり、企業もお店もいい顔はすまいと予測した人もいました。


どうしようかと考えましたが、そこに賑わいを生み出すきっかけやヒントが得られるはずだし、金額もたくさんは要らない、気持ちだけでいいから皆さんから少しづつ出して頂き、アートフェスの存在を認識してもらい、それをうまく使って地域おこしにつなげるという意識を持ってもらおう、そう考えてお金集めをすることを決めました。


市内の企業さんやお店、旅館さんなどをリストアップし、これはつらい仕事なので、ほかの人に振ることはできず、すべてを自分一人でやろうと決めました。


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片っ端から電話をかけて、説明しに訪ねていいかとアポを取っていくのですが、中にはいきなり怒鳴り始める人などもいて、なかなか大変でしたね。


お金集め以外だと菊池に白竜会というグループがあって、夏祭りや地域おこしイベントで巨大な白竜を担ぐという郷土団体があるのですが、その白竜会さんにも参加してもらおうと考えました。


菊池に根付く郷土のイベントとするには郷土色が強く出たほうがいい、と考えたのです。


この第1回目の「菊池アートフェスティバル」では白竜を巨大風船に作って空中に浮かせようとか、巨大ショベルカーに白竜のマペットを設置し、ねり歩かせたい、などのアイデアを出しまくりました。


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何とか実現したくて必死に考えたのですが、資金的にも技術的にも大きな夢過ぎて頓挫してしまいました。


にも拘らず、白竜会の皆さんは気持ちよく協力してくださり、様々な形で支援をいただきました。


当時の総代の方の男気のおかげです。


ありがとうございました!


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そうやって開催にこぎつけた「菊池アートフェスティバルVOL1」は、結果的に大成功となりました。


成功しすぎて当日はえらい騒ぎになってしまいました。


そのえらい騒ぎについては次回書きますね。


この項続く、です。



※写真提供  菊池市役所 野中秀樹


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