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立場が変わると見えてくるもの

今日、PCのデータを整理しようと、過去に制作したもの、関わらせてもらったものを見たり、いらないファイルは削除したり、していました。

そのなかで、一緒にワクワクしながら楽しくつくって、これを使っていったら絶対いい仕事できるね!って、完成させたものがあって。
思い出したので、あれどうなってるかなー?って彼女のSNSを見に行ったのですが、ここ数ヶ月全くSNSが更新されていなかったのです。

あれー?って思って、そのときは終わったのだけど。
なんか、わたしにとっては、すごいショックだったみたいで、いつの間にか気分が落ち込んでいました。
noteを書こうとして、全然書くことが思いつかなくて、なんでこんなに気分が落ちてるんだろう?と思って、やっと気がついた。

わたしの中に湧いていたのは、後悔。
「もっと潜在的な部分まで話を聞いてから、制作に取りかかったほうが良かったのだろうか?」
「もしかしたら、ほんとうは気に入ってなかったのだろうか?」
「なにか困ったことがあったのだろうか?」
「せっかくお金出して、時間使ってがんばってたのに、申し訳ない」

彼女になにがあったのかは、わかりません。
まだ聞いていないから。

でも、自分を省みて、わたしも、人にお願いして、お金を支払って、アドバイスをいただくということをけっこうやってきたのですが、いただいたアドバイスを実行しないことが、こんなにもアドバイスをしてくれた人を傷つける行為なのか、とびっくりしたのです。

アドバイスをいただいたけど、実行するのが怖すぎて怖気付いてしまうこともあったし、面倒で後回しにしているうちに忘れてしまうこともあったし、やってみたけどわからなくてやめてしまうこともあったし、やりたいと思ってたけどそうでもなかったなーと気が変わってしまったこともあったし、そうは言っても自分には合わないかもしれないとなかったことにしてしまったことも、あった。

なんて今まで、失礼なことをしていたんだろう!と、ほんとうにびっくりしました。
この方からアドバイスをいただきたい、この方の話を聞きたいと、自分が感じて、敬意を元に自分から聞きに行ったはずが、”自分で実践する”という一番大切な部分が抜けてしまったことで、逆にその人を軽視するような態度になっていたなんて。
これは、”自分との約束を破る”とかいうレベルではなく、アドバイスをいただいた方にめちゃくちゃ不誠実な態度だったんだと気がついたら、ほんとうに恥ずかしくて、穴掘ってもぐりこみたい。

立場を逆にして改めて見たら、アドバイスをする人は、そのとき言うべきことを言うだけで、それをするかどうかはアドバイスをされた本人が決めること。だから、いちいちそれに心を動かす必要はない、ってことがよくわかりました。
実行するかどうかは、アドバイスをする側ではなく、アドバイスをされる側の問題だし、アドバイスをされる側の自由、なのですよね。
これをわかったうえで、次にどうあるべきか、をこれから考えてみようと思います。

でも、なんか、自分のことしか考えてなかったんだなーって、ちっさいちっさい自分を見つけて、さらに落ち込みましたー。
ここに書いたから、若干昇華されたけど。

立場が逆になってみて、やっと気づくことがあるんですね。
このことに気づくために、これが起こったのなら、ありがたいことです。

『”アドバイスをいただく、それを実行する、結果を報告する”これはもう、セットの行動です。
このセットができないなら、人からアドバイスはもらわないでください。』
と自分にインプット!

あーまた恥ずかしい自分をさらしてしまった。
でも、読んでくださった方の、なにかの気づきになれば、幸いです。

Enjoy your life!
イズミ

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