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自己紹介〜理学療法士になるまで~

いずみの代表です。
今回は、
「自己紹介〜理学療法士になるまで~」という記事で、
私が理学療法士になるまでのことを紹介出来ればと思っています。

自分で言うのもなんですが、結構壮絶な経験もしているので、良ければ最後まで読んでいってください。
#よろしくお願いします

*他にも自己紹介記事がありますので、良ければどうぞ。

理学療法士を知って学校に入るまで

生まれは大阪。

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大阪の堺という場所で育ち、
高校は泉陽高校に通い部活動(陸上)に明け暮れ、
そこで理学療法士という職業を知って目指すことになります。

部活では顧問の先生がおらず(名前だけ)、
自分たちで練習メニューを組んだりしていて、
それがすごく楽しかった、というのがあります。

筋トレやストレッチを効率よくするには?とか、
心肺機能を高めるトレーニングの仕方はどんなの?とか、
試合前に摂取する栄養素は何が良いの?とか、

体育会系でスポーツを中心に生活していた学生だったので、
そういったことを勉強して仕事に出来る理学療法士という職業があると知ったときは、もうこれしかない!という感じでした。
#今ではメタボ体型

理学療法学科のある大学を調べて、
センター試験や私立大の試験なども受けましたが、
当時は狭き門であり悉く落ちてしまって、
何とか受かった大阪リハビリテーション専門学校(現、大阪保健医療大学)に入学します。

この入学したばかりの頃は完全に黒歴史で、
よく遅刻をするわ、
茶髪にするわ、
原付で事故るわ、
色々と問題を起こしていたことを今でもよく覚えています。
#ほんまにPTになりたいの

そういった日頃の行いのバチが当たったのか、
バイト先のラーメン店で事故が起こり、
両側の下肢全体と両手掌に重度の熱傷を負いました。
体表30%のⅡ〜Ⅲ度熱傷でした。

入院生活のこと

救急車で大学病院に運ばれて、
3ヶ月以上の入院と、2回の手術。

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自然に皮膚は再生しないレベルの熱傷で、
自分のお尻やお腹の皮膚を移植して、
移植に失敗したら足を切断するみたいな話もあって、
とにかくとんでもない事態を経験しました。
#茫然自失

この、入院しているときの記憶は、
すでに20年くらい経った今でも鮮明に覚えていて、

例えば、
・入院当日に担当してくれた看護師さんの名前とか
・ガーゼ交換があまりに激痛で失神したときのこととか
・ナースコース押しても全然来てくれなかった看護師さんの顔とか
・当時治療に使われていた軟膏の名前とか
・同じ部屋に入院していた戦友(患者さん)の話とか
・両手が使えずに食べさせてもらったうどんの味とか
・主治医が韓国へ旅行して持ち帰ったキムチの匂いとか

いつまで経っても忘れることはありません。
#患者さんは意外と根に持ってる
#医師や看護師さんにはホントにお世話になりました


あと、ICUのベッドの上でボンヤリ思っていたこともあります。


「元気なうちに色々とやっておきたかったな・・・」です。


なんか、やり残しているなと思うことがたくさん頭の中に浮かんで、
めちゃくちゃ後悔しました。

病院のベッドの上で、
動けなくなってから、はじめて気づくこともあります。

熱傷で入院したことは決して起きてほしくないことですが、
この起きてほしくないことを18歳という年齢で経験できたからこそ、
得られたことはとても大きかったと思っています。

この出来事により、一気にスイッチが入り、
見違えるほどまじめに勉強をして、
無事に理学療法士となることが出来ました。
#もともとまじめなんです

今では会社の代表という役割もありますが、
やっぱり理学療法士として現場で働いていたい、という思いもあって、
プロフィール紹介文に繋がります。

あと、
やりたいこと・したいことをなるべく経験して、
いつ死んでも後悔しないように、
今を一生懸命生きることを心掛けています。
#我が生涯に一片の悔いなし

今回も長文にお付き合いいただきありがとうございました。
今後ともよろしくお願いいたします。


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