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小説「神津実譚」

実は、有岡城から逃げ延びた村重の子は、居た。ようやく歩く程度の子どもなら、端女でも背負って駆けることが出来た。が、そう長くない。駆けて駆けて、川にたどり着いたとき、端女はもう駄目だと覚った。が、せめてもましな最後をと思い、寝ている幼児を野ざらしの船に乗せて、たまたまあったヤマモモの実をもいで投げ入れると、押し流した。彼女のその後は、分かりきった事だ。桃の実と一緒に川を下った幼児は、洗濯に来た社の下働きに見つかった。彼女は、「桃の実と流れてきたのですから、これは祇人です」と主に伝えて、そうして幼児は神津実丸と名付けられて社で育った。長じて明智家郎党となり、本能寺へ一番槍を立てたとは、誰も知らないこと。

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