「そのうち」なんて存在しないと気づかせてくれたお客様と私の後悔のはなし
私は、30年近く百貨店で働いていました。実は百貨店には色んな部署があって、お店で接客販売することだけが仕事ではないんです。
私は「売り場の販売員さん」という仕事を実はほとんどしたことが無く、旅行事業部で旅行の相談に乗ったり、総務で裏方の仕事をしたり、売場で人材育成やマネジメントをしたりしていました。
外商もそのひとつで、上顧客のお宅に伺い、商品の販売や様々な相談を受けます。
これは、私がその時に出会ったお客さまとの7年前のおはなしです。
こんにちは。いづみんです。
今日は、とあるお客さまとの関わりの中で、私が今も深く後悔している出来事をお話しします。話すのに痛みを伴う出来事ではあるけれど、私はこの痛みを手放さずに覚えておきたいと思っています。
それは、この出来事が私にとって、「そのうち」なんて存在しないという大事なことに気づけた出来事だから。
大好きなお客さま
その方はひとり暮らしの80歳を過ぎたご婦人でした。
街中にありながら、川が見える静かなマンションに住んでいました。
シンプルで上質な家具が置いてあるその部屋を体現するような凛とした方で、私は彼女のことが大好きでした。
カッコよかったんですよねー。
背筋が伸びて、自分というものを確立されている気がしておしゃれでキレイで、そしてとても「粋」な方でした。
一方で彼女は気性が激しいところもありました。
私の前の担当者たちは彼女に嫌われてしまい、何人かは出入り禁止になっていて。
そんな彼女に「好かれている」と感じることも、私には嬉しく感じられました。
外商担当として彼女のマンションに伺っては、営業そっちのけでいろいろな話をお聴きする日々。
失くしてしまったお身内のこと、お嬢さんとあまりうまくいっていないこと。ときどき、子どもの頃のことや初恋のこともはにかみながら話してくださり、そうして何時間もお話しするうちに、ますます私は彼女のことを好きになっていきました。
あるとき、シンプルなお部屋の中でちょこんと椅子に座った"ベビーピンクのウサギのぬいぐるみ"が目に留まったことがあります。
これは?とお聞きすると「さびしいから一緒に寝てるのよ」と話されていたことがあり、彼女の孤独を垣間見たような気がして心が痛んだこともありました。
そのお客さまのことを2年ほど担当したのち、私が外商からお店での勤務に異動になり、担当を外れることになりました。それでも彼女は折に触れて、私に会いにお店に来てくれてはこんな声をかけてくれました。
「顔見に来たよ。元気にしているならいいわよ」
「いつ、ご飯食べに来る?」
「仕事の終わりにでもお茶のみにおいで」
彼女にとてもつらい出来事があったとき、「つらすぎて、とにかくあなたの顔が見たかった」と憔悴しきった様子で訪ねてこられたこともありました。
あのときは、売場の隅で手を握り合いながら一緒に泣いたんだったな。
そんな風に私のことを思っていてくださることに嬉しさを感じながら、つらい時にはそばに居てあげたいと思いながら‥‥。
部署を異動してからは、気が滅入るほどの忙しさを理由に彼女のマンションを訪ねることはありませんでした。
そうして月日がたち、次の担当者から彼女の持病が再発して入院されたことを聞きました。
気になりながらも「そのうち」と先延ばしにしてしまい、彼女が亡くなったことを知ったのは、それから2か月後の事でした。
そのときから、ずっと私の中には心の痛みがあります。
「薄情な私」への恐怖
その痛みは、自分への恐れでした。
私を必要としてくれた方に薄情な仕打ちをしてしまった。
当時、忙しいことは紛れもない事実で。
時間の工面も正直難しかったし、電話をかけるという気持ちの余裕もなかった。
でも、それでも、お世話になって心を許してくれて私を必要としてくれた方を、自分の都合だけで後回しにしてしまった。
もしかすると今後、自分の家族や大事な人たちへも同じことをしてしまうかもしれない。自分の薄情さが恐怖でした。
大事なものはなんだろう
考えてみると、変わらない事なんて何一つないんですよね。
いつもと同じ日常なんて存在しないように、すべてにおいて変化し続けている。
それは私自身も、まわりの人たちもそうだと思います。
「そのうち」なんて、本当は存在しないのではないか?
忙しい日々が相変わらず続く中、私はだんだんと「そのうち」を疑うようになりました。
私は会社が早期退職を募集したときに、周囲がびっくりするような速さで会社を辞める決断をしましたが、そんな決断をしたのにも、この出来事が影響しているように思っています。
私の大事にしたい家族や、自分の価値観や生き方をこれ以上、自分の仕事のために後回しにするのが、嫌だったのかもしれないですね。
だって、「そのうち」なんて言ってると、自分の状況もまわりの状況も変わっていってしまうから。
「いま」うごかなきゃ。
思い出し続けたい痛みもある
そんな偉そうなことを書きましたが、未だに「そのうち」と後回しにする私も健在です。
でも、「そのうち」と思うたびに私は彼女のことを思い出します。
もしかしたら、私は彼女を思い出したくて「そのうち」を残しているのかもしれないとすら思います。
今回お話しした出来事があった当初に感じていた「薄情な私」への恐怖は、その後に仕事を手放し自分や家族と向き合ったことで、今はずいぶんと和らいでいるなと感じています。
でも、自分への恐怖が和らぐと、今度は彼女の気持ちを考えるようになり、実はますます胸が痛んだりしている面もあります。
でも、今こうやって書きながら気づきつつあるのは、「こんな風な私に、彼女ならなんて声をかけるだろう?」ということです。
「死んだ私のことで胸を痛くするなんて、あんたアホやなあ」
「あんたが来たところで私の死期は変わってないけん、気にせんでいい」
彼女は、そんなことを言うのではないか?と。
でもね、私は思い出し続けたいんですよ。
胸が痛んでも、思い出し続けたいんですよ。
だから、「そのうち」が発動しそうになったときに、あなたのことを思い出させてほしい。
「あんた、また馬鹿な事ばかり言うて」
「まあ、勝手に思い出したらいいよ」
あなたは、そんな風に言うかもしれないですね。
でも最後にはきっと
「後悔しないように生きれたらいいね」
そう言ってくれていることを願っています。
本当に、あのときに会いに行けなくてごめんなさい。
今は、先に行った大切な人たちと楽しくしていればいいな。
私はあなたのように、カッコいいおばあさんになるから。
そして私がそっちに行ったときは、あの初恋の話の続きを聞かせてくださいね。
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