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推しの遺髪を見に行ったはなし。

2024年3月31日。
私は表題のとおり、推しの遺髪を見てきた。
この世界に推しの遺髪(ただの髪じゃない。遺髪。ご遺族にとっては遺品なのである)を見られる人間が何人いるだろう。
そのうちの1人に私はなったのだ。

※これは1人の土方歳三オタクによる感想録です。過度な期待はしないでください。

事の発端

事のはじまりは3月某日。
いつもどおりTwitter(Xとは呼ばない)のタイムラインを見ていると、何やら一部のフォロワーがざわざわしていた。
よくよく遡ってみれば、そこには「土方歳三」と「遺髪」のワード。

そのふたつのワードに雷が落ちたような感覚を覚え、普段大河ドラマと朝ドラと昼メシ旅と孤独のグルメ以外あんまり見ることがないテレビを急いでつけた。

そこには土方歳三の実姉、ノブさんの嫁ぎ先である佐藤家の子孫の方の姿。
そしてテロップにデカデカと「メディア初公開!土方歳三の遺髪」の文字。

……マ?????????????

土方歳三のオタク歴、約20年。
「土方歳三の遺髪がある」という話は、子供の頃に関連書籍で読んだことがある。

箱館戦争の折、自分の小姓だった市村鉄之助に写真や刀(和泉守兼定)と一緒に遺髪を託し、この日野の地に住む佐藤彦五郎・ノブ夫妻のもとに届けられたと。

これまで写真はさまざまなメディアや資料館で、刀は土方歳三資料館で見たことがあった。でも遺髪は一度もない。そもそも現存していたの?という思いがぐるぐる駆け巡る。

テレビの液晶越しに見た遺髪に感動していると、なんとその遺髪を佐藤彦五郎新選組資料館にて期間限定で一般公開するとのこと。

え、いいの?????ほんとに?????これまでずっと見せてこなかったほどに大事な遺品を????????

でもこの機会を逃せば今度またいつ見られるようになるかわからない。

乗るしかない、このビッグウェーブに。

(約)二十年ぶりの日野へ

そんなこんなで横浜から電車に乗って揺られ揺られて日野駅へ。

写り込んだ白い線は充電ケーブルの線。相変わらず写真が下手くそ。

私が日野駅で下車したのは、約20年ぶり。
毎年土方歳三の命日が近くなると石田寺へのお墓参りに行くために多摩モノレールの万願寺駅や高幡不動駅に降りることはあったけど、日野駅は本当に久しぶりだった。

20年前から今日までずっと墓参りだけは欠かしていない。
(↑は去年の墓参りのときのやつ)

20年ぶりに降りた日野駅は記憶よりもずいぶん小さな駅舎で「こんなに小さかったっけ?」と思いながら改札を出た。
(後になって思い返せば、当時私は小学生。そりゃ駅が大きく見えるはずだと20年の月日をしみじみと感じるのだった。)

日野駅から歩いて10分。そろそろ「佐藤彦五郎新選組資料館」に到着するかなーと思っていたら、何やら沿道に人だかり。

「え!?もうこんなに待ってる人がいるの!?今日って11時開館じゃなかったっけ!?」と思ってTwitter(Xとは言わない)のタイムラインを見てみると、どうやら私が行った日(3/31)は10時開館だったようですでに入場整理券を配布しているとのことだった。

(本当は資料館全体のお写真を撮ろうと思ったけど、近隣が一般の住宅&待っているお客さんが結構いたので看板だけ。)

11時着を見越していたので若干の肩透かし感はあったけど、そりゃ全国ネットのテレビで放映されたんだから人は集まるよな。と整理券をいただいて時間をつぶすため一旦来た道を戻った。

ここ本当に東京か?〜のどかすぎる田園風景を添えて〜

整理番号の時間まで約1時間。
どこかで早めのお昼でも食べようかと駅周辺に戻った私。

ぜんぜん店がねぇ。

え? まじで言ってる? ここJR中央線沿線の駅だよね?
ちょっと歩いた先にラーメン屋は見えたけど気軽に入れるカフェとかまるでないクソでかいイオンしかないわ。なんならコンビニすら全然ない。

そういえば20年前初めて日野駅周辺に来たときも両親に連れてってもらったのだけど親子3人で昼食する場所に困りに困って結局果てしなく歩いた先にあったカレー屋さんに入ったんだった。だんだん思い出してきた。
※ちなみにこの日、東京の最高気温は27度とクソ暑日である。

なんかどっかお店はないか。気軽に入れるカフェみたいな…と思いながらマップアプリとにらめっこしていると、資料館の方面に1件だけカフェの表記が! ラッキー!

急いで資料館方面に引き返し、着いた先が「cafe 花豆」さん。

「え…?普通の住宅だよね…?ここ入っちゃって良いの…?」と思いながらおそるおそる玄関のドアを開けると、ご主人が出迎えてくれた。

お話を聞いたところご夫婦で自宅の1階をカフェとして営業しているとのことだった。気さくなご主人にお水をいただいたとき、間髪入れず「髪の毛見てきた?」と尋ねられて思わず水を噴き出しそうになったのは内緒。

カフェの中はセンスの良い飾り皿などが飾られていて、とても居心地が良い。外にテラス席もあるようだったので、風通しもとても良かった。

そしてお話をよくよく伺うと、なんとここのカフェのご主人も佐藤家ゆかりの方(佐藤彦五郎氏の子孫)とのことでびっくり! 「今日は歳三さんのおかげでうちも繁盛してます〜」とはご主人談。

アイスコーヒーを一杯。挽きたての美味しいコーヒーでした。また日野に来るときはランチを食べに来よう。

遺髪との対面

アイスコーヒーを飲みながら時間を潰していると、ぼちぼち整理券に書かれた時間。丁寧に対応してくださったご主人と奥様にお礼を言い、資料館へ。

この日は見学時間15分の入れ替え制で、遺髪以外にもさまざまな展示物があるとのこと。

遺髪の他にも興味深い展示物がたくさん。
何年か前にテレビで見たことがあった土方歳三愛用の横笛や鉄扇も「この資料館で展示してたんだ!」とじっくり見学。

他にも近藤勇、沖田総司、明治期に入ってからの永倉新八(杉村義衛)の書簡も展示してあった。(沖田総司の手紙には山南敬助の切腹を伝える内容も書かれていて、たしかに「山南」という字を確認できた)

これは私の感覚ながら、人柄は「字」に現れると思っていて。
そう思って見ていると、近藤勇の書は全体的に力強いけど、特に一発目の書き出しなんかは墨がにじんでいるくらい力が入っていた。

永倉新八はちょっと几帳面なところがあるのか、結構こまごました字を書く。

そういう意味で一番「繊細な字を書くな」と思ったのは土方歳三。万願寺方面の資料館(こちらは歳三の兄・喜六氏の子孫の方が運営)で見た「豊玉発句集」という土方歳三の手書き俳句集を見たときも感じたけど、線の細い字を書く人だったんだなぁと思った。

そして、いよいよ遺髪との対面。

丁寧にガラスケースに入れられたそれは、数日前テレビ越しで感じたものよりももっと小さく。

先ほど見た字のように細くて、150年以上経っているとは思えないほどどの角度から見ても黒々とした艶が残っていて。直毛というよりほんの少し猫っ毛寄りで。頑張って言葉を搾り出そうと思っても、「綺麗」という言葉以外に感想が見つからないくらい。

(館内は写真撮影禁止なので、私の拙い感想では語彙が足りない。実物を見て欲しい。いやほんとに。)

最初に土方歳三の写真を見た時、私は彼の写真でもわかる黒々とした髪の艶に惹かれた。だからもし本当に遺髪が遺っているのなら、この目で見たいとこの20年ずっと思っていた。

これまで土方歳三の足あとを追ってこれまで色々なゆかりの地を訪ねた。日野からはじまり、京都、会津若松、函館。ゆかりの品もたくさんこの目で見てきた。お墓参りにも行った。

でもこの遺髪と対面した瞬間、ようやく土方歳三「本人」に会えたような気がした。

ゆかりの品も確かに本人が使っていた物ではあるけど、遺髪は本人の「一部」。つまり、本人そのものなのだ。

有名な話だけど、土方歳三は2024年現在、遺体が見つかっていない。

箱館戦争で戦死したという記録は残っていて、当時の新選組隊士が彼の遺体(首と胴体)を埋めたけど、具体的な埋めた場所を言うと新政府に見つかったときに荒らされてしまうからと今日まで正確な場所は伝わっていないという話だったはず。(なので石田寺のお墓にも、骨壷などは納められていなかったはず)

この瞬間に立ち会うまで、足あと探しを20年、やめなくてよかった。
ずっと好きでいてよかった。ようやく会えた。

そして、この足あと探しは、私の人生そのものだ。

遺髪と対面したときは頭が真っ白で、気づいたら見学時間が終わっていたけど、帰りの電車の中で今まで行った史跡の思い出が走馬灯のように蘇ってきて、電車の中なのに涙が少し込み上げて。
それが少し恥ずかしくて、下を向いて寝たふりをした。

あらためて、今回の遺髪公開に踏み切ってくださった佐藤家の子孫の皆様、本当にありがとうございました。

遺髪の展示は4月いっぱいまで。
そして土方歳三の旧暦命日である5月11日と5月12日には市村鉄之助が届けたという土方歳三の写真の実物も公開されるとのことです。

ありがとう土方歳三。
次は新暦の命日にお墓参りに行くわね。