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とくとくの水麦士一茶/梅の木のの巻

Berjaln-jalan, Cari angin.
     14

月に鳥鳴より外に物もなし
 山家集あむ秋ハ来にけり        一茶

初ウ八句、月に添えるは西行、これで月の座の空き家も埋まりました。

     〇

山家集 さんかしふ、西行の歌を収める私家集、三巻。四季、恋、雜に分類され、陽明文庫本で1552首、六家集版本で1569首と、系統によって違いがありました。

あむ 編む、この私家集がいつ、誰によって編まれたか分かっていません。(西行自選の歌集に、後の手が加わったものと考えられています)

秋ハ あき・は、従って「ときは」と読むべきですが、句の季が秋ですから、そのまま「あき・は」でも。

来にけり きに・けり、動詞「く」に助動詞「けり」で詠嘆を表す。きたのだなあ、きたなあ、と。

     〇

つき に とり/
        なくよりほかに
               ものもなし

 さんかしふあむ ときはきにけり

月に応えた「山家集」でした。琉球+月+西行、この運びからすれば、従来の西行像とは異なった展開も想定されそうなのです。

     〇

例えば、上田秋成「雨月物語」のような近世「読み本」が描き出す世界が開かれていたのです。

何より、一茶の四国での居所は讃岐だったのですから。

 香川県坂出市の背後の山々が連なって、五色台の美観で知られる観光地となっている。瀬戸内海を展望する景観はみごとである。
 ある年、春浅いころ、この一角を占める白峯にのぼった。白峯の頂き近く、八十一番霊場の白峰寺があり、崇徳院の御陵がここにある。『雨月物語』の読者なら、あの本の最初の短編「白峯」のことはとうにご存知のところだろう。主人公の西行は崇徳院の怨霊を慰めるため荒涼たる白峯にのぼる。院の御陵のかたわらで深夜読経に余念がないとき、感応あって院の怨霊が声を発し、西行との間で論戦になる。両々ゆずらず、最後に院が燃えあがる巨大な妖魔の姿に変じて天空に飛び去るまで、物語は緊迫した明文でつづられ、一読忘れがたい印象を残す。

大岡信「崇徳院、王義之、空海の書」『マドンナの巨眼』青土社(1982)

と。(「ユリイカ」連載「文学的断章」のひとつにありました)

     〇

「雨月物語」白峯、関連

角田文衛「椒庭秘抄 待賢門院璋子の生涯」朝日新聞社 (1975)
ル・クレジオ「来るべきロートレアモン」豊崎光一訳 朝日出版社 (1980)
ル・クレジオ「ル・クレジオ、映画を語る」中地義和訳 河出書房新社 (2012)

などが。

7.11.2023.Masafumi.

余外ながら

 書くことは、眠りの危険な諸地帯の辺境で、意識の諸限界を拡げるあの旅を可能ならしめる。それはもろもろの迷路を探検するにあたって唯一の導きの糸なのである。数々の陶酔の光を言葉にすることによって、夢を延長することによって、書くことは神秘体験の依憑、あるいは催眠にそっくりなこの探検を可能ならしめる。

ル・クレジオ「マルドロールの夢」『来るべきロートレアモン』豊崎光一訳

と。(”Le reve de Maldoror" "Sur Lautreamont" Editions Complexe 1987)

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