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2018.2.4

半分妄想だけど、たぶん私は今でも、行くことが叶わなかったカナダの大学のことを根に持っているんだと思う。


転職と3週間のセブ島行きを決めて少し経ったひどい雨の日に、三宿でフィリピン人のパスポートを拾った。夜で、雨で、ちょっといそいでいたので交番や大使館に届けるという選択肢はいったん保留してfacebookで名前を検索したらヒットしたので拙い英語でメッセージを送った。もしかしたら本人はパスポートを落としたことでパニックになっていてSNSをひらく余裕なんてないかも、と思い、家族ステータスに記載されていたパートナーにも同じように下手な英語でメッセージをした。

そうするとすぐにパートナーの方から返信がきて、その後本人からも返信がきた。それで翌日、渋谷のハチ公前で待ち合わせして本人に直接渡した。
日本人が親切って本当ね。と言われた。

セブ島と聞くとリゾート地をイメージすると思う。日本で売られているガイドブックやインスタの検索結果は美しい海や綺麗なホテル、本格的だけど格安だというスパなどの写真を見ることができる。けれど実際はそこはやっぱりアジアの発展途上国。平均年齢が24歳で(ちなみに日本は46歳くらい)給料が1年で1.2倍も成長していて、中流家庭が急激に増えているという地域だとしても、国力や民度という点ではまだ弱く低いようにうつった。
日本で生まれ育ち、清潔な環境で生きている私からの勝手な目線であるのだけれど。


宿はエアビーでブッキングした、街の中では比較的高級なレジデンスの一部屋で、オーナーはマイラというドバイに住むフィリピン人だった。エアビーのページの部屋の説明の最後に「宿泊のあいだ、私の叔母のテスがゲストをケアします」とあったので、入居の時にテスおばさんを待っていたら30分くらい遅れて小柄な女性が現れた。テスおばさんは歯が下の2本しか残っていなくて、しゃべると空気がもれるので滞在2日目の英語聞き取り能力低めの私にとっては試練だった。大事な入居のタイミングなのに。重要事項が聞き漏れてしまう。

テスおばさんの案内で部屋に入る。おばさんはハフハフ英語で一通り部屋の説明をすると、最後に「Good?」と言った。下手に質問してハフハフ英語で返されても聞き取れないのであきらめて「Good!」とだけ言って、私のセブ島生活は始まった。


それから3週間後。
帰国する前の日の自分の日記に、こう書いた。

『twitterでサントリーの成人の日への広告が目に入った。独りで旅に出なさい。という広告。あたりまえのことだけど、世界は広く思ったよりも素敵だったりひどかったりする。素敵でもひどくてもそこにはたいてい人が住んでいて、恋愛や人生について私たちと同じような悩みを持っている場合もあれば、文化や宗教が違うせいで常識が通じない場合もある。そしてその国独特の匂いや温度や音がある。それらはインターネットや本だけではわからない。ここに3週間暮らしてみて、当たり前だと頭ではわかっているそういうことを実感としてわかっただけでも収穫だったと思う。』


日本から持って行ったガイドブックは日記を書いたあとにゴミ箱に捨てた。



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退職して海外に行って帰国して新しい会社へ、という順番でやってきたのは事実だけれど実は物事はそんなにテキパキ進んでいるわけではなくて、なんとなくグラデーションのようになっているのだと思う。もしかしたら明日起こることのきっかけを作ったのは、5歳の時の出来事だったかもしれないな、とか。そんな、グラデーション。
きっとカナダの大学に行きたかった私も、グラデーションしていまこの選択をしている。いつか本当にカナダに住むかもしれない。


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セブで住んでいた自分の部屋からの眺めは、質素だけどカラフルな屋根の家々が階段状にひしめいている借景だった。そして夜になると奥の方の一軒のベランダがホリデーシーズンを祝うイルミネーションでキラキラと光るので、私はいつもそれを見ていた。


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