見出し画像

【全文公開】第18回テレビ◯日新人シナリオ大賞応募作品 シナリオ 「ゴースト・トーク」

テーマ「初恋」

【あらすじ】

ある日の午後、目覚めた浅野桐人(30)が一階のリビングに降りると、テーブルの上には大量の食料とサプリ、そして母・玲子(57)からの手紙が置いてあり、手紙には「パパが仮想通貨相場で一山あてたので夫婦念願の世界旅行に出る」、そして「この家にはもう戻らない」と書いてあった。
そしてこれは、ここ数年引きこもり生活が続いていた桐人に対しての「最後の愛情」だという。
自宅の解体も始まり、行き場のなくなった桐人は、下町の発明家だった祖父・善次郎(故人)の工房へ身を寄せる。

そこで奇妙な形をしたラジオを見つける桐人。スマホが壊れたこともあり、それを聞きながら外出すると、突如ノイズ混じりに霊の声が聞こえてくる。
そう、そのラジオは「ITC(Instrumental Transcommunication
」と呼ばれる、霊界交信機だった…

様々な霊と交信し、時に彼らの願いを叶えることで対人恐怖を克服していく桐人。だが、この世と同じく、あの世にも悪人(悪霊)が存在する…
ある恐怖体験の後、衝動的にITCを壊そうとするが、その刹那、桐人は最後に会っておきたい「霊」がいたことを思い出す。

幼馴染だった田端麻美(故人・27)
数年前、夫婦喧嘩の果てに双方が死亡した事件はニュースにもなっていた。

街でITCを使っている時に知り合った、霊媒体質の村越雪乃(27)と共に、その事件現場へと向かう桐人。

現在は空室になっているアパートに赴きITCを起動させると、そこでは麻美夫婦の壮絶な罵り合いがエンドレスに繰り返されていた…


【登場人物】
浅野 桐人(30)(25)(9)
田端 麻美(故人・28)(9)桐人の幼馴染で初恋の女の子
村越 雪乃(27)探偵事務所アルバイト・霊能力者

浅野 玲子(57)(52)桐人の母
浅野 直彦(60)桐人の父

田端 結衣(9) 麻美の娘

岡野 康子(56)玲子の親友
老婆  (75) 政治家秘書の妻
赤月 浩司(40)  探偵事務所の所長

<声のみ>
政治家秘書(故人・45)
若い女性(故人・28) 愛人に捨てられた女
田端 剛志(故人・35) 麻美の夫
中年男性(故人・40) 東京大空襲の戦災犠牲者
ほか

○古い団地・204号室・室内
陽の当たらない団地の室内。
リビングには怒りの表情の浅野桐人(30)が立っており、廊下を挟んだ玄関の入り口には村越雪乃(27)が田端結衣(9)を守るように腕で抱きかかえている。
室内にはピシッピシッと鋭いラップ音が響き、風もないのに小さな紙くずや埃がまるで竜巻のように舞っている。

雪乃「(結衣に)ここで、待ってようね…」

小さく頷く結衣。
桐人はリュックの中から奇妙な形のラジオを取り出し耳にイヤホンを挿し、部屋の中央を見据えて手持ちのラジオの電源を入れる。

○タイトル
「ゴースト・トーク」

○浅野家・外観
「テロップ 2週間前」
どこにでもあるような下町の住宅街。隣の家との隙間が50センチもないような戸建ての家が映し出される。

○同・桐人の寝室
カーテンから差し込む日光を顔面に受け、だるそうに目覚める桐人。起き上がろうとするが、指先に痺れるような違和感を覚える。

桐人「(指先を見ながら)…なんだ…?」

ゆっくり起き上がり、身体の各部位をチェックする桐人。

桐人「…風邪…じゃないしな…」

部屋の時計を見ると午後2時をさしている。

桐人「(驚いて)…2時?」

不可解な表情で立ち上がり、寝室のドアを開け、階段を降りていく桐人。

○同・リビング
無人のリビングに降りてくる桐人。
テーブルの上には大量のサバ缶とビタミンサプリ、そして玄米の30キロ袋と手紙、封筒が置いてある。

桐人「(それを見て)…なんだよ、これ…?」

桐人、あたりを見回し、誰かいないか呼びかける。

桐人「おーい、お袋?…いないの?」

全く人の気配がないことを確認し、テーブルの上に置いてあった手紙を読み始める桐人。

玲子(声)『桐人、昨日はよく寝れましたか?あなたがこれを読んでいる時、私達はもう日本にいません』
桐人「(手紙を凝視して)……は?」

リビングの壁には、額装された写真がいくつか飾られており、その中には成人式の時に撮ったと思われる桐人と母・玲子(当時47)と父・直彦(当時50)の姿が写っている。

玲子(声)『あなたが寝ているうちに我々が移動するため、昨夜の食事に強めの睡眠薬を混ぜておきました。ごめんなさいね』
桐人「(痺れる指先に目線を移して)…睡眠薬って…」

○同・リビング(昨夜)
リビングのテーブルで手紙を書いている玲子(57)。

玲子(声)『『あなたが引きこもるようになって、もう7年でしょうか。前の会社であなたが心に負った傷、ダメージは私達なりに理解しているつもりです。あなたは繊細で、優しい子だから…。そして、あなたがまた社会に復帰できるよう、私たちは力の限りサポートし、努力してきたつもりです。でも、この7年でなんら結果を出せなかったことについて、私達は総括(古い言葉ね)する必要があると思います』

○同・リビング
リビングに立ったまま、手紙の続きを読む桐人。

○ 同・リビング(昨夜)
リビングのテーブルで手紙を書いている玲子。

玲子(声)『結論から言います。私達は、すべての、『最後の愛情』を持って、あなたを突き放します。
あなたはかけがえのない、最愛の一人息子。でも、もしかしたら私達の愛情が、あなたにとっての呪いとなり、軛になっていたのかもしれない。大きな後悔と共に、今、それを痛切に感じています。なので、今回、こういう思い切った方法を選択しました』

時折目元の涙を拭いながら手紙を書いている玲子。
そこに、スーツケースを片手に浅野直彦(60)が部屋に入ってきて、玲子の肩に優しく手を置く。

玲子(声)『実は去年、パパが仮想通貨相場で一山あてたの。そう、もう働かなくても老後を十分に過ごしていけるだけの額を』

肩に置かれた直彦の手に自分の手を重ねる玲子。

○ 豪華客船ターミナル(イメージ)
旅装に身を包み、波止場へ向かう玲子と直彦。

玲子(声)『私も昨日でパートを辞めました。そして夫婦長年の夢だった世界旅行に出ることにします。この家にはもう帰って来ません。そしてもう…あなたに会うこともないでしょう』

○浅野家・リビング
桐人「(手紙の内容に驚いて)…なっ…!?」

不安になり、手紙を放り出しリビングから飛び出していく桐人。

○ 豪華客船・船内(イメージ)
船内に入り、豪勢な吹き抜けのフロアの空間を楽しむ玲子と直彦。

玲子(声)『あなたのために、まとまった資産を残すことも考えました。でも、それはインターネットに明け暮れるあなたの無為の日常を延長させるだけであり、私達があなたに望む生き方ではありません』

○浅野家・玲子と直彦の寝室
親の寝室に駆け込む桐人。だが、そこはもぬけの殻。

桐人「(驚愕して)…まじかよ…」


○ 豪華客船・特別客室(イメージ)
特別客室に案内され、うっとりするような目で室内を見回す玲子。

玲子(声)『就職に失敗し、希望を失くしたあなたにとって、すでに世界は終わっているのかもしない。でも、それは間違った思い込み、幻想です。常に世界は開かれているのです』

○浅野家・リビング 
半ば放心しながら階段を降り、リビングに戻ってくる桐人。さっき放り投げた手紙を拾い、再び読み始める。

○ 豪華客船・船首付近(イメージ)
豪華客船の船首付近で映画「タイタニック」のポーズをとっておどける玲子と直彦。

玲子(声)『今後しばらく生存できるだけの最低限の食料と現金50万円を置いていきます。その間に、あなたは自分の人生を生きる為の術、方向性を見つけてください』

○浅野家・リビング 
テーブルの上に積まれた大量のサバ缶の横にある封筒を手に取り、中身の現金を確認する桐人。

桐人「50万…」

○ 豪華客船・レストラン(イメージ)
船内のレストランでウェルカムシャンパンを楽しむ玲子と直彦。

玲子(声)『そしてこの家は明日から取り壊しの工事が始まります。あなたにとっては、この家さえも「安住の呪い」になっていると思うから…』

○浅野家・リビング 
インターホンが鳴り、モニターを確認する桐人。モニターには強面の解体業者A(50)と解体業者B(25)が映っている。
通話ボタンを押す桐人。

解体業者A「…浅野さん?…誰か、まだいらっしゃいますか?明日から工事なんですが…」

○ 豪華客船・レストラン(イメージ)
サーブされた前菜の料理に舌鼓を打つ玲子と直彦。

玲子(声)『とは言っても、この7年、家族以外の他者とのコミュニケーションをとってこなかったあなたにとって、不動産屋へ行って部屋を見つけることも、とてもハードルが高いことでしょう』

○浅野家・玄関
玄関で立ち尽くす桐人に、バッグから書類を取り出して見せる解体業者A。

解体業者A「あの、明日から重機が入るんで…すいませんけど、今日中に退去してもらってもいい?(隣の解体業者Bに)おい、他の部屋も確認してこい!」
解体業者B「はい!」

うまく対応できない桐人を尻目に土足で家の中に上り込む解体業者B。


○ 同・ガレージ
泣きそうな顔でガレージの扉を開け、中からアルミの組み立て式リヤカーを引きずり出す桐人。後ろには迷惑そうな顔をした解体業者Aが仁王立ちしている。

玲子(声)『なので、あなたが自立するまでの間、もし住む場所がないようだったら、二丁目にある、死んだおじいちゃんの工房に住みなさい。場所、覚えてるでしょ?鍵を置いておきます。あそこはおじいちゃんの遺言で2020年までは取り壊さないことになっているから…』

○ 同・桐人の寝室(夕方)
桐人、段ボール箱に荒々しく荷物を積み込んでいく。CDやノートパソコン、衣類、そして一瞬迷った後、昔のアルバムも段ボールに放り込む。

玲子(声)『ガスも水道も開けてあります。二階のおじいちゃんの昼寝部屋も掃除すれば寝れるはず。あなたの好きなインターネットの環境はないけど…』

○ 同・玄関前(夕方)
リヤカーに炊飯器や食料を積み込み終わり、玄関で仁王立ちする解体業者Aを恨めしそうに見る桐人。

玲子(声)『あなた、おじいちゃんっ子だったよね…おじいちゃんはあなたのことをずっと気にかけていました。家から出なくなったことを聞いてからも…。「この子は先々、いろんな人を助ける人間になる」、おじいちゃんはいつも言ってました』

通行人の視線に気付く桐人。慌ててイヤホンを取り出して耳に挿し、外界を遮断するようにスマホから音楽を流して、よたよたとリヤカーを引き歩き始める。

○ 住宅街の通り(夕方)
通行人の視線に耐えながら、汗だくでリヤカーを引く桐人。

玲子(声)『こんな置き去りみたいなことをしてと私達を恨まないでね。でも、これが私たちが考え抜いた末の、最善の選択であったことを、いつか分かってくれたらいいな…』

○ 豪華客船・バー(イメージ)
グラスを酌み交わす玲子と直彦。テーブルに置いたスマホの画面に目を向ける玲子。待ち受け画面には小学校の入学式で撮ったと思われる玲子と桐人の画像が映し出される。
(イメージ終わり)

○祖父の工房・玄関(夜)
古びた木造二階建ての工房の前にリヤカーを止め、息も絶え絶えに、建物を見上げる桐人。

玲子(声)『元気でね、そして、一度しかない自分の人生を生きてね。母より』

○祖父の工房・二階の和室(朝)
布団の上に大の字になって爆睡している桐人。そこに工房のドアをがんがんとノックする音が聞こえてくる。

桐人「(目を覚まし)…は、はーい!…イテテ…」

桐人、筋肉痛の身体をさすりながら、目をこすり慌てて階下に降りていく。

○同・玄関
ドアを開けると、そこに岡野康子(56)が段ボール箱を持って笑顔で立っている。

康子「まぁー桐人くん!!久しぶり!…私、覚えてる?お母さんの友達、岡野!」
桐人「(圧倒されて)…は、はい、なんとなく…」

若干挙動不審の桐人にお構いなく、一歩間合いを詰めてくる康子。

康子「(ひそひそ声で)いいのよ、桐人くん、お母さんから全部聞いてるから…ね。お部屋、どう?住めそう?」
桐人「…あ、はい、なんとか…」
康子「そう?じゃ、ちょっといい?」

狼狽している桐人をよそに、ずかずかと工房に入ってくる康子。

○同・作業場
康子は工具や制作途中の機械が無造作に積んである作業場を懐かしそうに見回している。

康子「…全然変わってないわねー。覚えてる?ここでうちの子とよく遊んでたのよ、桐人くん」
桐人「…はぁ…かすかに…」
康子「(作業場を見回し)なんかまだ善次郎さんが生きてるみたい…おじいさん、すごい人だったんだから…発明家で、気さくな人でね…うち、クリーニングの商売やってるでしょ?うちの洗浄用の機械も作ってもらったりしてね、他のメーカーのより全然性能良くて、つい最近まで使ってたの。ほんと、どれだけ助けてもらったか…」

うまく相槌が打てず、ぎこちなくフムフムと頷く桐人。

康子「…おかあさんにもすごく良くしてもらったし…ね、だからさ、私も出来ることをしたいの。(抱えていた段ボール箱からタッパーを取り出し)これ、煮物。あとね、漬物も入ってるから。さすがにサバ缶と玄米だけじゃ栄養偏るでしょ?ホホホ。玲子ちゃんには余計なことしないでって言われたけど…まぁこのくらいいいよね…お米は炊けるんでしょ?」

段ボール箱からタッパーや野菜をがんがん取り出して机に置いていく康子。

桐人「…はい、炊飯器は、担当だったんで」
康子「あら偉い!うちの子なんてさー、甘やかし過ぎたのか、何にもできないみたいで、お嫁さん苦労してるみたい。ホホホ」

呆然としている桐人をよそにがんがんと積まれていくタッパーの山。

康子「じゃあなんか他にも困ったことがあったら、言いに来てね。うちの店、分かるでしょ?まぁ人生短いようで長いんだから、ゆっくり体制立て直して…ね!じゃあまたね!」

風のように去っていく康子。呆然としつつ、その背に向かって小さく慣れないお辞儀をする桐人。

○同・和室(夜)
古びた蛍光灯の下、イヤホンを挿したスマホで音楽を聴きながら、布団の上に寝そべり、スマホをいじっている桐人。
ふと和室の書棚を見回すと、工学の専門誌から哲学の本まで、多岐に渡るジャンルの本が並んでいる。
次の瞬間、スマホの画面にノイズが出たかと思うと弱い点滅を繰り返した末に電源が落ちてしまう。

桐人「…おい、ちょっと…」

焦って電源ボタンを押したり他のボタンを押したりしてみるが、全く反応が無い。

桐人「…マジかよ…これ、生命線なのに…」

しばらくして、諦めたようにスマホを布団の上に放り投げる桐人。
静寂に支配される部屋。仕方なく本でも読もうと祖父の本棚を漁っていると棚の奥に古い木箱があることに気付く。
その木箱を取り出して箱の側面を見ると「ITC初号機 浅野善次郎・作 1990」と書いてあり、中を開けると奇妙な形の古いワイヤレスラジオらしきものが入っている。

桐人「…なんだこれ?ラジオ…?」

ボタンを押し、電源を入れてみようとするがまったく動かない。桐人はラジオの裏の蓋を開け、錆びた古い単三電池を取り出す。

桐人「…単三か…」

桐人、新しい電池を探しに一階に降りていく。

○同・作業場(夜)
電気を点けると作業場が蛍光灯の明かりで満たされる。桐人は作業机の引き出しを次々と開け、充電式のニッケル電池と充電器を見つける。

桐人「…まだ、使えるかな…」

あらためてしげしげと作業場を眺めると、机の上にはうず高く積まれた設計図や工具、棚には制作途中の機械が転がっている。そして壁に貼ってあるボードに目をやると、そこには3歳くらいの桐人を抱えた祖父・善次郎(57・当時)の写真が貼ってある。

桐人「…これ、俺か…?」

あらためて善次郎が自分を想っていてくれたことに心を動かされ、目頭が熱くなる桐人。その写真の善次郎を指先でゆっくり撫でた後、電池を手に二階に戻っていく。

○同・玄関
恐る恐る工房の玄関を開ける桐人。人通りのないことを確認し、昨夜見つけたラジオの電源を入れる。ダイヤルを回し選局した後、イヤホンを耳に挿し、流れ始めた音楽を聴きながら工房を出て歩き始める。

○携帯電話ショップ・外
壊れたスマホを手に、店内に入る機をうかがう桐人。だが店内で怒鳴っているクレーマーや、来店している人の多さに気後れし、店内に入ることを諦め、とぼとぼと歩き出す桐人。

○コンビニエンスストア・店内
イヤホンを耳に挿したまま、きょろきょろと店内を伺う桐人。新商品の多さに目を奪われながら、迷った挙句、恐る恐るコーラとグミをレジに置き、財布から一万円札のピン札を差し出す。


○住宅街・高級マンション前
コンビニのビニール袋を片手に住宅街を歩く桐人。
高級マンションの前を通りかかったその時、ラジオのチューニングがいきなり狂い始め、ノイズが耳の中に入り込んでくる。顔をしかめてラジオを取り出し、チューニングを合わせようとするが、周波数の針がデタラメに動いており、どの局にも合わせられない。

桐人「…なんだよこれ…」

その時、針が安定しノイズ混じりに若い女性(28)の声が聞こえてくる。

若い女性(声)「…ねぇ、そこのお兄さん…」

ラジオドラマかと思い、怪訝そうにラジオを見つめる桐人。

若い女性(声)「…ねぇ、そこの黒いパーカーのお兄さん、あんただよ…聞こえてるでしょ…?」

驚いて辺りを見回す桐人、だが、周囲には誰もいない。足早に立ち去ろうとする桐人。

若い女性(声)「逃げないで!…ねぇ、ちょっとだけ、ちょっとだけ話を聞いてほしいの…」
桐人「…あの、僕…ですか?」
若い女性(声)「そうそう、他にいないでしょ?」
桐人「(周りをキョロキョロ見ながら)あの、どこから見てるんですか?」
若い女性(声)「あ…見えてない…の?そっか…」

話の噛み合わなさに戸惑いの表情を浮かべる桐人。

若い女性(声)「今、いるんだけど、目の前に」

意味が分からないまま、目の前の電信柱を見る桐人。

桐人「…えっと…?」
若い女性(声)「…これ、あまり言いたくないんだけど…死んでるの…そこのマンションから飛び降りて…」

全身総毛立ち、後ずさりしてこの場から逃げようとする桐人。

若い女性(声)「待って!お願い!行かないで!!何もしないから…」
桐人「(恐怖で立ち止まり)……」
若い女性(声)「ねぇ、調べてほしいことがあるの…お願い、それさえしてくれれば…そうね…別に呪ったりしないから…」
桐人「(顔から汗を噴き出し)…そんな…」
若い女性(声)「…私、ある人の愛人だったの…でも別れ際にモメちゃって…ヤケになって飛び降りちゃったんだけど…いま彼がどうしてるか知りたいの…ねぇ、スマホある?」
桐人「…すみません、いま、壊れてて…」
若い女性(声)「…じゃあさ、家にパソコンあるでしょ?それで調べてきてほしいんだけど…」
桐人「…あの、いまネットもなくて…」
若い女性(声)「(舌打ちの音)…じゃあさ、ネットカフェ?行ってきてくんない?あるでしょ、近くに…ここで待ってるから…お願い!‥いい?彼の名前なんだけど…」
桐人「…あの…ネットカフェとか…苦手で…」
若い女性(声)「(呆れたように)知らないわよそんなの…ねぇ、もし逃げたら…あんたにずっと付きまとってやるからね、マジで…」

○ネットカフェ・個室
周囲の個室の気配を気にしながら、さっき聞いた名前をPCで検索する桐人。

桐人「(画面を見て)…なんだよ、有名人じゃん…」

隣の個室では若い男女がふざけ合うような声が聞こえてくる。気まずそうに顔をしかめる桐人。
PC画面に目を戻すと、そには初老の男性のいろんな画像が次々と表示される。いくつかのページの印刷ボタンを押す桐人。

桐人「(立ち上がり個室のドアを開け)…なんで俺がこんな…」

伝票を持ち、複雑な面持ちでレジに向かう桐人。

○住宅街・高級マンション前(夕方)
イヤホンを耳に挿し、プリントアウトされた何枚かの紙を目の前の電信柱にかざして見せている(ように見える)桐人。

若い女性(声)「…次…」

次の紙をめくって見せる桐人。

若い女性(声)「…なにもう…すっかり老けちゃって…なんでこんなジジイのために死んだんだろ…(泣き始める)…次…」
桐人「(次の紙をめくりながら)…なんか、お仕事、うまくいってないみたいです…」
若い女性(声)「(泣きながら)そりゃそうでしょ!もともとラッキーだっただけで、何の才能もない人だったんだから…周りに助けられてただけ…ザマミロ!って感じ…」

沈黙。

若い女性(声)「ねぇ、他にも記事あったんでしょ?彼、幸せそうだった?」
桐人「…いや、全然そんなふうには…」
若い女性(声)「…そう?…優しいね…(大きく息を吸う音)あー!でも気が済んだわ。女ひとり死なせといてさ…のほほんと幸せになってたら…嫌じゃん?ねぇ…(再び泣き始める)」
桐人「…そうですね…」
若い女性(声)「…お兄さん、いい男ね…もし身体があったら、お礼に寝てあげてもいいけど…こんな感じだしね(泣き笑い)。でも、ほんとありがとう…(大きなため息)もういいかな…行くわ…」

と同時に女の気配が消え、ラジオのチューニングが元の局に戻り、音楽を流し始める。

桐人「…あの…」

手に持っているプリントと、目の前の電信柱に交互に目をやる桐人、ゆっくりとイヤホンを耳から外す。

桐人「…ありがとう、か…」

不思議な充実感に包まれる桐人。

桐人(M)「…何年ぶりだよ、そんなの…」

○祖父の工房・二階の和室(夜)
布団の上に座り、しげしげとラジオを手に取り眺める桐人。電源を入れたり切ったりするが、さっきのような現象は起こらない。
本棚を見つめながら呟く桐人。

桐人(M)「…じいちゃん、これ、何なんだよ…」

改めてラジオの入っていた木箱を見て、側面に書かれた「ITC 初号機 浅野善次郎・作 1999年」の文字を確認する桐人。

桐人「(呟くように)ITC…」

○商店街の通り
ペットボトルの水を抱え、汗だくで商店街を疾走する桐人。
通り過ぎる人々が走り去る桐人を怪訝そうに見ている。

○小さな寺の境内
境内の一角に生える木々の根元にペットボトルの水を注ぐ桐人。イヤホンからは中年男性(40)の声が聞こえてくる。

中年男性(声)「…すみません、この子にも…水を、いただけませんか…」

その声は死後かなり時間が経っているからか、いつもよりもノイズが強く感じられる。

桐人「…あ、はい…」

ペットボトルの方向を変え、別の木の根元に水を注ぐ桐人。
その境内の一角にある石碑には「戦災殉難者慰霊之碑」と書かれている。

中年男性(声)「…なんか、娘の火傷がひどくてねぇ…皮も剥がれちゃって…早く…お医者さんに連れて行かないと…」
桐人「……」

そこに少女(5)を連れた母親(30)が通りがかる。

少女「(桐人を見て)ママー、あの人、何してるの?」
母親「…なんだろうねー。木にお水を上げてるのかな?…(娘を促し)さ、行こ…」
中年男性(声)「…ありがとう…ちょっと楽になってきました…でも…街もこんなに焼けちゃって…病院、残ってるのかなぁ…」

東京大空襲の戦禍に遭ったと思われる親子の様子を想像し、桐人の頬を一筋の涙がつたう。

○図書館・館内
人がまばらの図書館。閲覧室の椅子に座り、机の上にラジオの専門書や霊現象関係の本を山積みにして、無言でパラパラとめくる桐人。

桐人「(独り言)…だめだ、載ってないや…」

桐人、机の横に置いたラジオに目をやり、しばらく天を仰いだあと、ため息をつきながら立ち上がる。

桐人「(独り言)…仕方ない…行くか…」

閲覧室を後にして歩き出す桐人。

○ネットカフェ・個室
周囲の個室からは男性のいびきの音や、男女がゲームに興じる声が聞こえてくる。PCの検索画面で「ITC」と打ち込み、検索する桐人。
その画面に次々と映し出される検索結果。
「ITC(Instrumental Transcommunication)と呼ばれる電子機器等により、死後世界との交信を試みる死後意識存続研究の歴史について」
「1920年代に、トーマス・エジソンは死後の世界との交信を行う機器の開発研究を行った。この機器が完成する事はなくエジソンは死去した」
「1979年、スコット・ロゴは、他界した家族や友人達から電話を受け取ったというケースを収集・研究し、著書「Telephone calls from the Dead」として発表した」
「1997年:ITC研究の二番目の世界ネットワークGAITが結成される」
「1998年:GAITがIONSと協力し、ITC現象その他の他次元との関わりを科学的に検証するためのプロジェクトを始めることを宣言」
等が書かれたページが次々と映し出される。

桐人「(独り言)…これを…じいちゃんが…?」

さらに検索を続ける桐人。


○公園(夕方)
人気のない公園のブランコに、イヤホンを耳に挿し、座っている桐人。イヤホンからは政治家秘書(45)の声が聞こえてくる。

政治家秘書(声)「…悪いけど、もう一度言ってくれる…?先生が、どうしたって…?」
桐人「…あの…10年前に女性問題を起こされて…いまは議員を引退してるみたいです…ニュースでも…」
政治家秘書(声)「(遮るように)あのクズがぁ…!女にはあれだけ、あれだけ気をつけろと言ったのに…!何のために、何のために俺は…ぐふぅ…(泣き始める)」

桐人、気まずそうに話を聞きながらブランコ上部の棒を見上げる。

政治家秘書(声)「(泣きながら)…先生の、先生の夢にのったんだよ私は…『北方領土に、必ず日本の旗を立てる』って…だから私は、汚い、金の汚れ仕事までしてさぁ…それが、女でコケるとか…報われないよ……報われないよこれじゃあ…(再び泣き始める)」

政治家秘書の無念の感情に共鳴し、きつく唇を噛み締める桐人。

政治家秘書(声)「…もういいや…俺が足りなかったんだ…仕方ない…(ため息)…なぁ、ひとつ頼まれてくれないか…?向かいに見える、グレーのマンション…あの812号室に…もしまだ妻が住んでいたら、伝えて欲しいんことがあるんだけど…」
桐人「…あの、全然いいですけど…逆に、ひとつ質問してもいいですか?」
政治家秘書(声)「…もちろん」
桐人「…僕、霊能力とかまったく無いんで…このラジオを通してしか皆さんの声を聞けませんが、こういうのなくても声が聞こえたり見えたりする人っているんですよね?」
政治家秘書(声)「…そうだね」
桐人「…そういう人たちにアプローチというか、声をかけたりはしなかったんですか?」
政治家秘書(声)「…もちろん何度もトライしたよ…でも、ほとんどの人は通り過ぎる。気づかないフリをしてね…」
桐人「…霊能力者って言われている人たちも、ですか?」
政治家秘書(声)「…あいつらは、金にならないと関与しないから…たまに勘のいいお坊さんがお経とか読んでくれるけど…」
桐人「…そういうもんですか…」
政治家秘書(声)「…だから、君みたいな人を待ってたんだよ…ずっとね」


○マンション・812号室・玄関(夕方)
桐人がインターホンを押すと、中から「はーい」という声が聞こえ、老婆(75)がドアから顔を出す。

老婆「(桐人を見て)あの…どちら様?」
桐人「すみません…怪しまないで最後まで聞いて欲しいんですが…ご主人の依頼で来ました」
老婆「(表情が曇り)…あの、主人はもう30年前に…」
桐人「…知ってます。それで、奥様にお伝えしたいことがあると…」
老婆「(キッと表情が変わり)お帰りください。そいうの、結構ですので…!」

ドアを閉めようとする老婆。

桐人「(それを手で押し止めて)あの、本!本です!ご主人が大切にされていた本がありますよね?三島由紀夫の…なんとかの海…あの三巻ってまだお持ちですか?そこ何か、挟んでおいたとのことなんですが…」

老婆、怪訝そうな顔で桐人を見る。

桐人「…それだけ、確認してもらってもいいですか?なんか、亡くなる前にそれを伝え忘れたみたいで…」
老婆「(まだ訝しそうにしながら)ちょっと…一旦閉めますね…」

一度ドアが閉まり、ロックの音がする。しばらくして部屋の中から足音が聞こえたのち、再びドアが開く。

老婆「(本を手に)…これだと思うけど…」

本のページをパラパラめくると、真ん中あたりに古い写真が挟まれている。そこには中年の夫婦が写っており、裏面に『我が人生、最大の僥倖、ここにあり。故郷にて。愛妻と』と書かれている。
それを見た途端、膝から崩れ落ちる老婆。

老婆「(泣きながら)これ、北海道旅行の写真…亡くなる前の…私、ずっと探してて…こんなこと言ってくれる人じゃなかったけど…いつも…怒られてばかりで…」
桐人「…照れ臭くて、最後まで言えなかったそうです…それをずっと後悔してるって…」

座ったまま泣きじゃくる老婆と、もらい泣きしそうになる桐人。

老婆「(泣きながら)あの人に、伝えてくれる?子供たちも独立して…いまは孫が6人もいるって。みんな元気で、よくここを訪ねてくれるから…全然さみしくないって…」
桐人「…はい…」
老婆「…あと、先生はあの後、女性問題で…」
桐人「…あ、それはもう伝えました…」
老婆「…そう…だから、もう『逝っていい』って、伝えてちょうだい…ありがとう、ありがとう…」

○公園(夕方)
さっきと同じブランコに座りながら、手に持った袋を掲げ、中に入っているリンゴを見せる桐人。

桐人「…これ、もらっちゃいました…」
政治家秘書(声)「あぁ、余市のリンゴだろ?それ、甘くてうまいよ…それにしても…そっかぁ、孫が6人もなぁ…なんも出来なかったけど、俺は…」
桐人「…そんな…」

その時、村越雪乃(27)が近くを通りがかり、ブランコに座って話している桐人の方を見て足が止まる。
驚きの表情を浮かべながら、近くの木陰に隠れて桐人を観察する雪乃。

政治家秘書(声)「でも、なんか安心したよ…まだ子供たちは小さかったし…そっか、6人もなぁ…なんか、ここを離れられそうだよ」
桐人「…そうですか…」
政治家秘書(声)「…まぁずっとここにいたから、時間はかかりそうだけど…本当にありがとう…」
桐人「…いえ…(照れ臭くなり)じゃあ、僕はこれで…」

桐人、ブランコから立ち上がり、軽く会釈をして、そこを離れて歩き出す。

× × ×

その様子を木の陰に隠れながらじっと見ていた雪乃がブランコから離れて歩き出した桐人を追い、公園の出口近くで声をかける。

雪乃「あのー、ちょっとすいません」
桐人「(声をかけられたことに驚きイヤホンを外して)…はい…?」
雪乃「…いま、スーツの人と話してましたよね?ブランコのとこで…」
桐人「(驚いて)…え?…いや…」
雪乃「紺のスーツの、身だしなみのいいおじさんと…」
桐人「…紺のスーツ?」
雪乃「(訝しそうに)…あ…もしかして見えてはないってこと…?(桐人が手に持っているITCを指差して)それ、何ですか?」
桐人「…これ…?」

半ば強引に距離を詰め、桐人のITCを手に取って機器を確かめる雪乃。

雪乃「これって…もしかして、ITC?」
桐人「(驚いて)…あの、なんで知って…」
雪乃「…もしかして、これで霊と交信してた?…っていうか、これ誰が作ったの?!…あ、すみません、私、敬語が苦手で…」
桐人「…おじいちゃんの工房に…」
雪乃「…初めて見た…これ、あのエジソンも挑戦してたけど、その後、世界的にも正式な開発例ないやつですよ…すご…」
桐人「…あの、俺、全然わからなくて…」

ITCから顔を上げ、野生動物のように辺りを見回し、眉間にシワを寄せる雪乃。

雪乃「…すいません、なんか、いろいろ集まってきそうなんで…場所変えませんか?たぶん私とその機械のせいだと思うんですけど…」
桐人「……?」

きょろきょろ周囲を見回す桐人。

雪乃「…一応、電源切っておきますね」

雪乃はITCの電源を切り、桐人に返す。

雪乃「…ちょっと移動してもいい?すいません…」


○ファミレス(夜)
客がまばらの店内。一番奥のテーブル席に桐人と雪乃が座っている。

雪乃「(手に持っていたITCをテーブルに置き)そうですか…おじいちゃんの工房で…っていうか、おじいちゃん、何者?」
桐人「…なんか、細々としたものを発明したり…町の人たちの家電を直してたらしいけど…」
雪乃「…これ、世紀の大発明ですよ!…なんで発表しなかったんだろ…(ハッとして)あ、すみません!紹介遅れちゃって、村越雪乃です。名刺名刺…(とカバンを漁って名刺を取り出し)どぞ」
桐人「(名刺を受け取り)あ、浅野桐人です…」

名刺を見ると、そこには「赤月探偵事務所 エージェント 村越雪乃」と書いてある。

桐人「…探偵事務所…?」
雪乃「(桐人に構わず考え込み)浅野さん…桐人さん…(少し悩んで)うーん、じゃあ桐人くんで!…年も近そうだし、いいよね?…すみません、私、他人との距離感がいまいち掴めなくて…で、桐人くんは何をしてる人?」

沈黙。

桐人「…実はここ数年…ずっと家にいて…」
雪乃「…まぁ、そんな感じよね…分かる分かる!…大丈夫!私も似たような感じだったんで」

驚いたように雪乃を見る桐人。

雪乃「…まぁ、誰でもそういう時期ってあるでしょ…それでITCを使うようになって、人助けをするために外に出るようになった、と」
桐人「…そう、だね…まぁやることないし…」

ITCを手に取り、電源を入れる桐人。ITCに挿したままのイヤホンからはラジオの音楽が漏れてくる。

雪乃「さっき公園でも言ったけど、私、『見えちゃう人』なの。声はあまり聞こえないけど…でも、おおまかな感情とかは分かるかな…怒ってるとか、悲しんでるとか…あ、そうそう、あの紺スーツのおじさん、最後、めっちゃいい笑顔してたよ」
桐人「(微笑んで)…そっか…ならよかった…」
雪乃「でも…それ、すごく危険…だと思う…だって桐人くん、見えないんでしょ?そしてこのITCが出してる周波?これって霊にとって合図的なものを出してるの。双方向的っていうか…だからこれ持ってるだけで、悪い奴らを呼び寄せる可能性があるっていう」
桐人「…悪い奴って?」
雪乃「(周りを確認して小声で)悪霊だよ…この世にもタチの悪い奴らがいっぱいいるじゃない?あいつらがこの世に未練残して死んだ後、どうなると思う?」
桐人「…悪霊になるってこと?」
雪乃「そういうこと。例えば桐人くんがさ、渋谷のセンター街で目隠しして『FREE   HUG』のボードを下げて立つとするじゃないですか?どうなる?」

○渋谷のセンター街(イメージ)
人通りの多いセンター街の中央で『FREE   HUG』のボードを首から下げ、目隠しをして立つ桐人。通行人たちがクスクス笑ったりしながら通り過ぎていく。

○ファミレス(夜) 
桐人「…物好きな人が、寄ってくるかも…」
雪乃「その人たちがみんな、善人だと思う?スリとか痴女とかもいるかもしれないでしょ?…あーこれ例えが分かりにくいか…」
桐人「(困惑して)…そうだね…」
雪乃「まぁそういうこと、だから…あ、やばっ…」

近寄ってくるウェイター(20)の気配に気づき、眉間にシワを寄せて身構える雪乃。

ウェイター「…追加のご注文はいかがですか?」
桐人「…あ、僕たちドリンクバーで…」
ウェイター「…だからさ…そういうのさ、迷惑なんだって…客単価、とかさ…」
桐人「(驚いて)…え…?」

テーブルの上のITCがノイズを発しながら周波計が目まぐるしく動いているのに気付く桐人。
ウェイターに視線を移すと、その眼球の白い部分がどんどん黒っぽく濁っていき、それを見て驚愕する桐人。
雪乃は身構えつつウェイターを睨んでいる。

桐人「(恐怖を感じて)…あの…」

眼球の白い部分がほとんど黒になり、異様な形相になるウェイター。

ウェイター「…なんだぁお前…その機械…電波…土足で…こっちの世界によぉ…追ってやろうか…家まで…なぁ追ってやろうか、ケケケ…なぁ…その電波…ふむ、2045357890459873…おぼえた…覚えた…お前…あの、お客様…追加注文…」

目の前の異常事態に、恐怖のあまり硬直する桐人。

雪乃「…行こ…!」

そそくさと荷物を持ち、席を後にする桐人と雪乃。ウェイターはしばらく二人を目で追っているが、やがて正気に戻ったのか、眼球も元に戻っている。

ウェイター「(感じ良く)ありがとうございましたー」


○祖父の工房・和室(夜)
布団の上に胡座をかき、ITCを手に取り、複雑な表情で眺める桐人。

○(回想)商店街の通り(夜)
ファミレスから走って逃げてきたのか肩で息をしている桐人と雪乃。

雪乃「(息を切らしながら)…ああいうことが起こるわけ…分かる?それ持ってると…あ、電源切って…!私も呼んじゃうタチだから…」

ゼーゼー息を吐きながら、力なくうなずき、ITCの電源を切る桐人。

雪乃「…悪いこと言わないから…それ、捨てるか、手放した方がいいと思う…素人っていうか…桐人くんの手に負えるものじゃないから…」

桐人、肩で息をしながら無言で頷く。

雪乃「それか、最後に声聞きたい人とかいるなら別だけど…まぁ大抵の人はそのまま成仏してるから、あれだけどね…」
桐人「(気分悪そうに)…そうだね…」
雪乃「…ただ、それを持ってる限り、さっきみたいなことは起きるよ…悪霊って、単純な人に取り憑いて悪さしたりするから…」
桐人「…そうだね…」

急に吐き気を感じ、道端に吐く桐人。

桐人「オェッ…!」
雪乃「…大丈夫?(と桐人の肩をさする)」

吐き続ける桐人。

○祖父の工房・和室(夜) 
おもむろに立ち上がり、手にしているITCを床に叩きつけようとする桐人。その時、雪乃の言っていた言葉を瞬間的に思い出す。

雪乃(声)「…最後に声聞きたい人とかいるなら別だけど…」

手にしていたITCを床に叩きつける寸前に何かを思い出し、思いとどまる桐人。

桐人「……麻美…」

○(回想)浅野家・リビング
「テロップ 五年前」
リビングでリンゴの皮を剥きながらニュースを見ている玲子(52)。何気なく見ていたニュースに釘付けになったあと、すぐに二階の桐人を呼ぶ。

玲子「桐人ー!ちょっと!ねぇ、早く早く!!」

どたどたと階段を降り、リビングに入ってくる桐人(25)。

桐人「何?」
玲子「(テレビ画面を指差して)ねぇ、これ見て!…これ、あの麻美ちゃんじゃない?昔、近くのアパートに住んでた…」
ニュース解説者(40)「…昨夜、千葉県の流川市の団地において、夫婦と見られる男女の遺体が発見されました。警察の発表によると、夫婦は諍いの果てに鋭利な刃物でお互いを刺し合い、双方が失血死したと見られており…」

画面に映し出される田端麻美(25)と夫の田端剛志(32)の顔写真。

玲子「…麻美ちゃん…これ、あの麻美ちゃんよね…?…うちにもよく来てくれた…」
桐人「…似てるけど…でも‥そんな…」

画面を食い入るように見つめる桐人。

ニュース解説者「…近隣の住民の話では、この夫婦は普段から諍いが絶えなかったらしく、夜中に大きな物音を立てて警察が呼ばれるなど…」
玲子「…親御さんも夫婦仲悪かったけど…まさか、こんな…」

○祖父の工房・和室(夜)
自宅から持ち出した段ボール箱を漁り、古いアルバムを取り出す桐人。
パラパラとアルバムをめくると、そこには小学校の遠足で撮られたと思われる男女の仲良さそうな写真が貼ってある。
その写真の横には母の文字で「初恋の麻美ちゃんと(笑)」と書かれている。

○(回想)小学校の教室
HRの時間。担任の先生(35)がプリントを配り、前の席から後ろの席にどんどんリレーで渡されていく。

担任「よーし、みんなのところいったかな?じゃあ明日は体育あるから、体操着忘れるなよー」

ガタガタと椅子を引き、一斉に帰ろうとする小学生たち。

担任「そうだ、桐人」

プリントを四つ折りにしようとしている桐人(9)が顔を上げる。

担任「桐人の家、麻美んちのすぐ近くだろ?今日の学級だより、届けてくれない?」
桐人「…わかりました」

クラスの数人の男子がヒューヒューと囃すのを尻目に、担任からプリントを受け取り、教室後部の棚にランドセルを取りに行く桐人。

○(回想)木造アパート
古びた木造アパートに到着し、二階への階段を上がる桐人。すると、二階の一番奥の部屋のドアの前の共有通路に置かれた洗濯機に麻美(9)が座って本を読んでいる。
桐人が麻美の方に進むと、麻美も桐人の来訪に気づいたようで、こちらを見る。桐人が麻美に近づくと、ドア越しに麻美の母(28)と父(30)が室内で怒鳴りあう声が聞こえる。

麻美の母(声)「だからさ、なんでそういうの勝手に決めんの?まだ三ヶ月も経ってないじゃん!」
麻美の父(声)「…合わねーもんは合わねーんだから仕方ねぇだろ!それに前に言ったろ…長くないかもって…」
麻美の母(声)「だからってさ、もうちょい我慢するとか、そういう考えはないわけ?」
麻美の父(声)「だからすぐ次探すって言ってんだろ!うるせーなぁお前いちいち…」
麻美の母(声)「もう無いんだよ!貯金も!このままじゃ麻美の給食費も払えないって…ねぇ、恥ずかしくないの?!あんた、ねぇ!?」
麻美の父(声)「恥ずかしいって何がだよ、俺の何が恥ずかしいんだよ…!」

慣れたようにそのやり取りを聞きながら麻美にプリントを渡す桐人。

桐人「…また、今日も派手にやってんね」
麻美「(ため息)…でしょ?」
桐人「今日はなんで休んだの?」
麻美「なんか…今日は…家にいた方がいいかなって」
桐人「ふーん、親、何も言わないの?」
麻美「うん、あたしのこと、あまり気にしてないから」
桐人「…そっか、うちだったら怒られるけどなぁ」

沈黙。

麻美「(閃いたように)ねぇ、お肉屋さんにコロッケ買いに行かない?」
桐人「…でも、金ないよ…」

履いていたデニムのポケットに手を入れ、何かを取り出す麻美。

麻美「じゃーん(と桐人に500円玉を見せる)。これ、昨日玄関で拾ったんだ」

いたずらっぽく微笑む麻美。

○(回想)商店街の通り
紙に包まれた揚げたてのコロッケを「あちち」と頬張りながら歩く桐人と麻美。

桐人「今日のケンカ、原因なに?」
麻美「なんかパパが急に仕事辞めたとか、そんな感じ…」
桐人「…ふーん、仕事なぁ…」
麻美「…桐人は将来、何になるの?」
桐人「え?…そうだなぁ、まぁ普通に働くと思うけど…」
麻美「ふーん…」

沈黙。

麻美「あたし、大きくなったら桐人のお嫁さんになろうかな…」
桐人「(驚いて)…え?だって、お前すげぇモテるじゃん…タカノブもお前のこと好きらしいよ」
麻美「…やだよ、あんな野球バカ…それに、どうせ顔でしょ…桐人は、優しそうじゃん」
桐人「…普通だよ」
麻美「普通ねぇ…まぁ、普通に仕事してくれればいいだけなんだけど…うちのパパ、何やっても長続きしないからさ…」
桐人「…ふーん…」
麻美「…普通、そうね、普通が一番よ…」

再びコロッケを頬ばり、商店街を歩く二人。

麻美「ねぇ、結婚したらさ、毎日桐人の好きなもの作ってあげるよ。何がいい?」
桐人「…そうだなぁ、うーん、やっぱカレーかなぁ…テリヤキバーガーでもいいけど」

話しながら桐人が横を見ると、さっきまで横を歩いていたはずの麻美が数メートル後ろのところで立ち止まっている。怪訝そうに麻美を見る桐人。
麻美の表情は曇っている。

桐人「…どうしたの?」
麻美「(コロッケを両手に抱えて)…もしかしたら、うちの親、離婚して、あたし転校するかも…」
桐人「(驚いて)…転校って…」

○(回想)浅野家・リビング
麻美と夫の死亡事件を伝えるニュース画面を食い入るように見つめる桐人と玲子。

玲子「…麻美ちゃん、素直でいい子だったのに…悪い人と結婚しちゃったのかね…」
桐人「…それにしたって…こんなのって…」

テレビの前に立ち尽くす桐人、やがて力が抜けたように二階の部屋に戻っていく。それを切なそうに見送る玲子。
(回想終わり)

○祖父の工房・和室(夜)
麻美と二人で写っている遠足の写真をアルバムから引き剥がし、無表情で眺める桐人。

○赤月探偵事務所・オフィス
古いビルの一室にある13畳ほどのオフィス。パーテーションで区切られた応接スペースのソファーに座っている桐人。対面のソファーには雪乃と赤月礼二(45)が座っている。
テーブルの上には「赤月探偵事務所 所長 赤月礼二」と書かれた名刺が置いてある。

赤月「…そうですか…ネットでも検索はされたんですよね?」
桐人「…はい、ただ町名までしか出てこなくて…あと有名な事故物件サイトでも見たんですけど、そこにも載ってなくて…」
赤月「…あぁ、あそこね。まぁあのサイトも全部載ってるってわけじゃないですからねぇ…でも当時、ニュースにもなってたんですよね?であれば見つかる可能性は高いと思いますが…」

桐人が雪乃の方を見ると、雪乃は眉間にシワを寄せ、何かを考えている。

赤月「ただ、この場合は現地で聞き込みをして、その住居の確定をすることになるので、規定の調査費用がかかります。そうですね、基本料金で10万くらい…」
桐人「(驚いて)…10万?」
雪乃「(赤月に)ちょっと!彼、私の友達だって言ったじゃないですか!…あまりがっつかないでくださいよ!」
赤月「…いや、だって…」
雪乃「そんなの地元の不動産屋で聞けば一発でしょ?」
赤月「(困って)…いや、それがまた難しいんだって…最近どこも口固いし…あと出張費も含めてさ、最低そのくらいは…(閃いたように)あ、じゃあ雪乃ちゃん行ってくれば?」
雪乃「…私の専門じゃないでしょ…」
赤月「…そうだけどさ、まぁこんなの楽勝だって」
桐人「(驚いて)…楽勝…?」
赤月「(ハッとして)あ、いや、楽勝っていうか、簡単ではないですが、ハハハ…(雪乃に)まぁこれも経験だからさ、行ってきてよ。だったら半額でいいからさ…ハハハ」
桐人「……あの」

雪乃と赤月、桐人を見る。

桐人「…僕も、一緒に行ってもいいですか?」

○千葉県流川市・私鉄駅のホーム
あまり人気のない私鉄駅に降り立つ桐人と雪乃。
スマホで地図を確認した雪乃が先行して出口の方に歩き始め、それについていく桐人。

○不動産屋・オフィス
地場の古い不動産屋。オフィス内の応接スペースで不動産屋(70)の話を聞く桐人と雪乃。

不動産屋「…あぁ、知ってますよ。あの五丁目の団地でしょ?…うちの専任じゃないけど…なんかもう、住む人住む人、気味が悪いって出てっちゃって、最近は借り手がつかないみたいでねぇ…」
雪乃「(頷きながら)そうなんですか…」
不動産屋「いくら掃除してもすぐに埃たまるし、髪の毛落ちてたりとか…壁紙も、なんでかすぐ剥がれちゃうみたいで…ここ狭い町でしょ?噂広まるの早いから…よそから来た人が借りるんだけど、すぐ引っ越しちゃうんですよねぇ…」

神妙そうに頷き話を聞く雪乃と桐人。

不動産屋「(メガネをずらして二人を見て)で、あんたらは、何関係の人?」
雪乃「…はい?何関係と申しますと…?」
不動産屋「テレビとの人とかじゃないよね?そういうの、すごく困るから…掘り返されると、またイメージ悪くなっちゃうでしょ?狭い街なんで…」
雪乃「あ、全然違います…私たちが住む部屋を…」
不動産屋「わざわざ?事故物件を?」
雪乃「…あの、私たちこれから同棲するんですけど、彼がまだ仕事決まってなくて…」

ぎょっとしたように雪乃を見る桐人。

雪乃「…霊感とかも、二人ともまったく無いですし、全然平気だと思うんです!それでそういう物件だったら安く住めるかなと思いまして…」
不動産屋「(疑い深そうに)…ふーん」

雪乃の話を肯定するように不動産屋を見て頷く桐人。

不動産屋「…まぁいいでしょ。もし決まればこの値段より下がると思うんで…見るだけ見てきて。204号室。鍵は、ドアのところにキーボックスがぶら下がってるから、それ開けて入ってください。(ファイルを見ながら)えーとボックスの番号は…」


○古い団地・駐車場
団地の横の敷地にある駐車場を横断する桐人と雪乃。

桐人「…さっき、あぶなかったね…」
雪乃「客商売の人って、カンがいいからね…それにしても…もしかしたら、これ、手に負えないかもよ…」
桐人「…どういうこと?」
雪乃「さっきの話、聞いてたでしょ?…たまにあるの、激しい感情が残ったまま死ぬと、その念が強過ぎて残っちゃうケースが」
桐人「…激しい感情って…」
雪乃「もしかしたら…話とか出来る状況じゃないかもよ」
桐人「…まぁ行くだけ行ってみて、さ…」

目の前にそびえ立つ団地の建物に向かって歩く二人。

○古い団地・二階の共有通路

桐人「…204…204…」

204号室を目指し、桐人と雪乃が二階への共通階段を上がると、共有通路の真ん中あたりでしゃがんで本を読んでいる少女の姿が。
桐人と雪乃が近づくと、その気配に気づいた田端結衣(9)が顔を上げる。
その少女の顔は、少女時代の麻美にまさに瓜二つ。

桐人「(驚愕して)…麻美…?」

結衣は桐人たちの気配に気づくと、読んでいた本を傍のランドセルに詰め、逃げ出すようにその場を離れていく。

桐人「…ねぇ、ちょっと…!」

呼びかけには応えず、そのまま走り去っていく結衣。

桐人「(雪乃に)…あの、今の子…」

桐人が雪乃の方を見ると、眉間にシワを寄せ、さっき少女が座っていた部屋のあたりを気分悪そうに見ている。

雪乃「…これ、ちょっとやばいやつかも…」

急に足取りが重くなっている雪乃。

桐人「…やばいって、どういう?」
雪乃「ずっと、ケンカしてる…」
桐人「……」

桐人がさっき少女が座っていた部屋の前にたどり着き、部屋番号を確認すると、そこはやはり204号室。

桐人「…とりあえず、中に入ろうか」
ドアノブにぶら下がっているキーボックスを開け中から鍵を取り出す桐人。

雪乃「…先に言っとくけど、もしかしたら無理かも、だからね…」

急に弱気になり出した雪乃を見て、状況を理解する桐人。だが、意を決したように鍵を鍵穴に挿し込み、ドアを開ける。


○古い団地・204号室・室内
陽があまり入ってこない薄暗い部屋。玄関で靴を脱ぎ、備え付けのスリッパに履き替える桐人。
先に進もうとする桐人が振り返ると、雪乃はこめかみを押さえたまま、その場から動こうとしない。

桐人「…どうしたの?」
雪乃「…私、ここで待ってていい?…なんか、やっぱり『圧』がすごくて…」
桐人「…圧?」
雪乃「(前方を指差し)…あっち…リビング…事件が起こったのは…」
桐人「(唾を飲み込む)……」

覚悟を決め、ひとり廊下を進みリビングのドアを開ける桐人。そこだけ別世界のような静寂に包まれている。そしてカビの匂いに顔をしかめる桐人。玄関の方を振り向くと、雪乃が気分悪そうに耳を塞いでいる。
担いでいたリュックからITCを取り出し、イヤホンを耳に挿し、電源を入れる桐人。
その途端、ITCが自動チューニングを始め、ぴたっと止まった瞬間、すさまじい音量で怒号の応酬が聞こえてくる。

麻美(声)「ねぇ!!あれだけお酒飲んだら運転しないって言ってたよね?なんでまた同じことすんの?また免取りになって…仕事どうすんの?ねぇ!」
剛志(声)「…しょうがねぇだろ!付き合いだったんだから…」
麻美(声)「何の付き合いよ…!いま免取りになったらさ…仕事どうすんの?習い事とか、何もしてないの結衣だけだよ?親としてさ、恥ずかしくないの?」
剛志(声)「…うるせーなぁ、だから悪かったって言ってんだろ!」
麻美(声)「しょーもない友達と、しょーもない飲み屋行って…酒飲んで車に乗って捕まって…ほんとバカじゃないの?」
剛志(声)「だから運が悪かったんだよ…!」
麻美(声)「運じゃねーよ、常識なんだよ、常識!」

その怒声に気後れしながらも勇気を振り絞り部屋の虚空に声をかける桐人。

桐人「…あの…麻美、俺…桐人だけど…」

だがその声は届かない。

麻美(声)「酔って気が大きくなって?何回めだよこれ!親から学ばなかったわけ?だから常識のない男は嫌なんだよ…!」
剛志(声)「…じゃあお前に常識あんのかよ?なんでてめーみたいなヤリマンに説教されなきゃいけねぇんだ、あ?!」

何かを投げる音がイヤホンから聞こえ、同時に部屋の中ではラップ音が鳴り響き始め、部屋の床に溜まっていた埃が竜巻のように舞い始める。

麻美(声)「なにモノ投げてんだバカ!なにがヤリマンだよ、このクズ!くそ甲斐性なし!てめーから結婚してくれって頼んだんじゃねぇか!それを…」

桐人が部屋の壁を見ると、壁紙からは水分が浸み出し、床を濡らし始めている。恐怖を覚えながらも、再び前方に目線を戻し、声をかけてみる桐人。

桐人「なぁ、麻美!…俺、小学校のとき一緒だった、桐人だけど…近くに住んでて…」

だが、その声はまったく無視され、夫婦の喧嘩は止むことがない。やがて、その争いはエスカレートしていく。

麻美(声)「…何?そんなの持ち出して…?刺すの?じゃあホラ刺してみなよこの根性なし!あたしもこれで刺してやろうか?あぁ!?」
桐人「…あの、俺…」

夫婦のテンションに圧倒される桐人。
さらに室内では埃の竜巻が激しくなり、ラップ音が大きくピシピシと鳴り出す。
その時、さっきまで玄関にいたはずの雪乃がリビングに移動してきて、桐人の耳からイヤホンを外す。雪乃の顔色は悪く、冷や汗を流している。

雪乃「(前を見ないよう俯きながら)…無駄だって…この夫婦、これをずっとエンドレスでやってんの…もう誰の声も聞こえないし…桐人くん、これが無間地獄なの…」
桐人「…無間地獄って…」

無力感に苛まれながら、リビングに立ち尽くす桐人。

雪乃「…もう、ここ出よう。話なんて出来る状態じゃないし、私たちじゃ無理だって…」
桐人「…無理って…そんな…」

悔しそうな表情のまま、雪乃に腕を引っ張られてリビングを後にする桐人と雪乃。


○古い団地・二階の共有通路
204号室のドアを開け、憔悴した表情で共有通路に戻ってくる二人。
すると、さっき逃げた結衣が近くに立っており、桐人に話しかけてくる。

結衣「…さっき、私見て、ママの名前呼んだ?」

顔を見合わせる桐人と雪乃。

○ファミレス・店内
奥のテーブル席に座り、無表情でパフェを頬張る結衣。テーブルの上には幼い頃の桐人と麻美の写った写真が置いてある。

雪乃「(写真を見て)ほんと、ママに似てるね…」
結衣「(パフェを食べながら)…よく言われる」
桐人「これ、小学校のときの遠足の写真なんだけど、見たことある?」
結衣「…パパがそういうの、全部燃やしちゃったから」
桐人「…そっか…」
結衣「(写真の中の桐人を指差し)これ、おじさん?」
桐人「…そうだよ」
結衣「なんか、あまり顔変わってないね」
桐人「(微笑んで)…そうかな?」

ファミレスのソファーに置いてある結衣のランドセルは、あからさまにカッターで切られたような傷だらけで、塗装も剥げかけている。

雪乃「…学校、楽しい?」
結衣「全然」

ランドセルに向けられた桐人の視線に気づく結衣。

結衣「(パフェを食べながら)『ひとごろしの子』だって」
桐人「…え?」
結衣「ママとパパが、事件おこしちゃったから…」

沈黙する三人。

桐人「…いまは、どこに住んでるの?」
結衣「近くだよ。パパのおじいちゃんち」
雪乃「結衣ちゃん、さっきさ、あの部屋の前にいたじゃん?あそこはよく行くの?」
結衣「うん」
雪乃「なんで?」
結衣「なんか、ママとパパがあそこにいる気がして」

顔を見合わせる桐人と雪乃。

雪乃「(結衣に)…怖くない?」
結衣「べつに…親だし…」
雪乃「あ、そうだよね、ごめんね…」
結衣「…でも」
雪乃「何?」
結衣「…でも、もうケンカはやめてほしいかな…悲しくなっちゃうから…」

長い沈黙。
桐人、思いつめたような表情で立ち上がる。

桐人「…もう一回、行こう、あの部屋に」

驚いたような表情で桐人を見上げる雪乃。結衣はパフェを食べ続けている。

○スーパー・店内
食料品棚に置いてある粗塩の1キロパックを手に掴み、レジに向かう桐人。後ろには雪乃と結衣がついてきている。

雪乃「…そんなの効かないと思うけど…不動産屋だって、前の住人だって試したと思うよ…」
桐人「(レジで支払いをしながら)そんなの、やってみないと分かんないだろ…」

不思議そうな目で二人のやり取りを眺める結衣。

○古い団地・204号室・玄関
再び鍵を開け、室内に入る三人。
ずかずかと土足でリビングに乗り込んでいく桐人。その姿を目で追いながら玄関に残る雪乃と結衣。こめかみを押さえながら結衣に話しかける雪乃。

雪乃「…中に入ったの、久しぶり?」

小さく頷き、懐かしそうに室内を見回している結衣。

○同・リビング
リビングの入り口に立つ桐人。
室内にはピシピシと鋭いラップ音が響き、そして風もないのに小さな紙くずや埃が竜巻のように舞っている。
桐人、リュックからITCを取り出し、電源を入れてイヤホンを耳に挿す。すると再び、あの夫婦の争いが聞こえてくる。

麻美(声)「しょーもない飲み屋行って酒飲んで帰って捕まって…ほんとバカじゃないの?」
剛志(声)「だから運が悪かったんだよ…!」
麻美(声)「運じゃねーよ、常識なんだよ!常識!」

リビングの虚空に目を向け、話し出す桐人。

桐人「…麻美!なぁ、聞いてくれ!…なぁ、旦那さんも…」
剛志(声)「だからそんな事、誰も言ってねーだろうが!」
麻美(声)「言ってんだよ!同じことなんだよバーカ!!」

夫婦の争いは収まる気配がない。

桐人「…なぁ、わざわざ東京から来たんだよ…だから、ちょっとくらいさ、話を…」
麻美(声))「…何?そんなの持ち出して…?刺すの?じゃあホラ刺してみなよこの根性なし!あたしもこれで刺してやろうか?あぁ!?」

だんだん怒りの感情が湧いてきて、それを抑えられなくなる桐人。

桐人「あのなぁ…お前ら…この野郎…麻美ぃ!!!!!!!」

リュックから出した粗塩の1キロパックを乱暴に破き、塩をひとつかみ手に掴んで野球のピッチャーのようにリビングにぶちまける桐人。

桐人「…いつまでやってんだコラぁ!!!…お前も!お前もずっと親のケンカが嫌だって言ってたじゃねぇか!!おい!!なに同じことやってんだバカ!…そんでなに殺し合ってんだよ!!」
桐人「(全力で部屋に塩を撒きながら)てめぇら、最低だよ!!娘が…結衣ちゃんが、どんだけ寂しい思いをしてたか、知ってんのかバカ!!…てめぇらの自分勝手な!ケンカの!殺し合いのせいで!どんだけ肩身の狭い思いしてんのか…分かってってんのかよ!!」

半分泣きながら部屋の四方八方に塩を全力で撒き続ける桐人。
イヤホンからはもう夫婦の諍いは聞こえない。

桐人「(泣きながら)あの子はなぁ!てめぇらが死んだ後も!ずっとこの部屋の前に来てんだよ!寂しくて!!…それを、てめぇらずっと自分の!…自分のことばっかじゃねぇか!!いいかげんにしろクソがぁ!!」

1キロパックの塩を全力で撒き終わり、肩で息をする桐人。
すると、さっきまで部屋で起こっていた竜巻とラップ音が止み、部屋に静寂が訪れる。

沈黙。

そしてイヤホンから麻美の声が聞こえてくる。

麻美(声)「…結衣…いるの…?そこに…」

いつの間にかリビングの入口に移動していた雪乃が結衣の手を引き、リビングの中央に入ってくる。すると、結衣の顔のあたりに手がかざされたのか、ほんのりと明るくなる。

麻美(声)「結衣…ごめん、ごめんねぇ…」

目を閉じて、麻美と剛志の手のひらの感触を確かめる結衣。

結衣「(微笑んで)…なんか、あったかい…」

霊が見えないはずの桐人にも、結衣の顔を優しく撫でる4本の手がうっすらと見える。
驚いて雪乃の方を見ると雪乃もそれを察したようにこっくりと頷いている。

薄暗かった部屋に陽光が差し込んでくる。

○古い団地・駐車場
桐人と雪乃が穏やかな表情で手を振っている。その視線の先にはにこやかな表情の結衣がこちらに手を振っており、その後、駐車場から離れて去っていく。

桐人「(雪乃に)…あのさ、あの夫婦って、どうなるの?」
雪乃「どうなるのって?」
桐人「…いや、これからさ」
雪乃「…たぶん、もうケンカはおさまったし、時間かかるけど、あの世にいくと思うよ…」
桐人「…そっか…ちなみに、見えた?」
雪乃「なにが?」
桐人「…いや、麻美が」
雪乃「見えたよ。ちょっとやつれてたけど、すごく綺麗な人だったね…」
桐人「あの…俺のこと覚えてたふうだった?」

沈黙。

雪乃「…ごめん…なんか言いにくいんだけど…最後、『誰だろうこの人』って顔でお辞儀してたわ…」

複雑そうな表情になる桐人。

桐人「あ、そう…まぁ、いいんだけど…」

その桐人の表情を見て吹き出しそうになる雪乃。
だが次の瞬間、表情が固くなり、眉間にシワを寄せ、野生動物のようにあたりを見回し始める。

雪乃「…桐人くん、ITCの電源って、切った…?」
桐人「あ、そういえば…」
雪乃「切って!いますぐ!…なんかヤバイのが来てる…!」

慌ててリュックからITCを取り出し、電源を切る桐人。
そのとき駐車場近くの道路を走っていたスポーツカーが急に方向を変え、路肩を飛び越え、こちらに速度を上げて向かってくる。
そのスポーツカーの運転手(25)の眼球は真っ黒で、涎を垂らしニヤニヤしながら何やらぶつぶつ呟いている。

運転手「…ふむ…2045357890459873…はっけーん、ケケケ…電波、きてる…ドーンと、ドーンといってみよう…ケケケ…」

スポーツカーがさらに速度を上げ、桐人と雪乃のところに突っ込んでくる。

桐人「(雪乃を突き飛ばして)危ない!」

大きな衝撃音が空に響く。


○千葉県流川市・私鉄駅のホーム
「テロップ 1週間後」
片腕をギブスで固定し、顔に擦り傷の跡が残る雪乃が無表情で駅に降り立つ。その手には紙袋を二つぶら下げている。
だるそうに駅の出口に歩き出す雪乃。

○ 病院・大部屋
陽光が差し込む大部屋の一番奥のベッドに横たわっている人間の姿が映し出される。
足元からカメラが近づいていき、点滴の管に繋がれて、すやすやと寝ている桐人の表情を映し出す。
突然、その足元に紙袋が投げられる。
驚いて目を覚ます桐人。ベッドの傍には無表情の雪乃が立っている。

桐人「なんだ…びっくりした…」
雪乃「(紙袋を顎で指し)それ、所長から」
桐人「(紙袋を手に取り)…何?」
雪乃「…芋羊羹、好きかどうか分からないけど…あと、これ」

もうひとつの紙袋を取り出し、ベッドに備え付けのテーブルの上に中身を出す雪乃。
それはバラバラになったITCの残骸で、周波計は壊れ、内部の基盤も折れてむき出しになっている。

雪乃「…一応、現場で集めてはみたんだけど…まぁ、復元は難しい…よね…」
桐人「(ITCの欠片を手に取って微笑み)…こんなのうちのじいちゃんしか作れないでしょ…まぁ良かったんだよ、これで…」

沈黙。

雪乃「あの運転してた人は?」
桐人「なんか、親御さんが謝罪に来たけど…あの人こそ被害者だよなぁ…」
雪乃「まぁでも前科持ちのボンボンでしょ?いい薬じゃない?」
桐人「うーん…」

考え込む二人。

雪乃「…で、どうすんの?退院したら?」
桐人「…いや、まだ考えてないけど…」
雪乃「うちの事務所、手伝う?最近、人が辞めてさ…」
桐人「(驚いて)いや…なんの経験もないし…何も出来ないって…」
雪乃「(笑って)そんなことないよ、そう思ってんのは桐人くんだだけだって」
桐人「…そうかなぁ」
雪乃「もちろん最低時給だけど…所長もさ、『ま、いいんじゃない?』とか言ってたよ」
桐人「…なんだよ、その曖昧な言い方…」

顔を見合わせて笑う二人。次の瞬間、雪乃のバッグに入っていたスマホの地震速報のアラームが鳴り始める。

雪乃「あ、地震だ…」

ざわざわする病院内。そして震度3くらいの地震が起こる。

桐人「…結構大きいね…震源地どこだろ?」

病室の外の廊下では看護師が慌ただしそうに走り回る音が聞こえてくる。
スマホを取り出し、地震情報を確認する雪乃と、その画面を覗き見ようとする桐人。

雪乃「東京、震度5だって…事務所のビル、大丈夫かな…(桐人の視線に気付き)…ねぇ?いつになったらスマホ買い換えるの?」
桐人「…まぁ、働き始めたら、かな?」

少しいたずらっぽく微笑む桐人と、その表情を見て満足そうに微笑む雪乃。

○祖父の工房・作業場
作業場の棚や机に積んであった書類や木箱、ガラクタが地震の影響で床に落ち、散乱している。
そのうちの一つの木箱にカメラがゆっくり寄っていき、木箱の側面に書かれている文字を写し出す。

「ITC 弐号機 浅野善次郎・作 2011年」

終わり



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?