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楽しく読もう出雲神話♪

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興味深い出雲神話について肩ひじ張らずに楽しく読んでいこうという試みです♪ よろしくお願いします。
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記事一覧

【神話エッセイ】 ぼくの癖(へき)

ぼくには癖(へき)がある。 ぼくは散歩中の犬を見るのがやめられない。 うちは2匹の犬を飼っていると前に話した。その犬たちの散歩当番はぼくの役目。犬たちはぼくのことをバカにしているのか、全然いうことを聞いてくれない。好き勝手な方向に引っ張られていく。もう少し歳をとると、いつ転んでもおかしくないなと思う。 先日などは、散歩の途中で近所のおばさんに声をかけられ、世間話をしようとしたところを2匹の犬たちに思いっきり引っ張られ大こけ。こけた拍子に1匹のリードを離してしまい、犬が逃

【神話エッセイ】 井の中の蛙

今回はこちらの曲を聴きながら読んでくださることをお薦めします。 井の中の蛙 大海を知らず まさにぼくのためにあるようなことばである。 ぼくの小学校は田舎の田んぼの中にあるような学校だったので、クラス数も2クラス(1クラス25人)しかなかった。それが中学になると町家(まちや)のある小学校と一緒になるのでいきなり4クラス(1クラス40人)に拡大した。当然、小学校では中ほどの成績や運動も、中学校に入ればずいぶん下のほうだなと思い知らされた。 それが高校生にもなると、隣の市内の

【神話エッセイ】秋の思い出 その4

都会はいざ知らず、田舎で車は必要不可欠である。 遠出するときも、近場に行くときも、当たり前だが車は重宝する。そして、おのずと目当ての場所がその先にはある。ぼくらにとって車は目的地に行くための手段である。 ところがあるとき、そうでない場合もあることを知る。 ときは少年時代にさかのぼる。あれは秋のよく晴れた日曜日のことだった。母の里に遊びに行ったときに、暇を持て余したぼくを見かね、おじさん(母の弟)がどこかに連れてってやるといいだした。おじさんも暇だったのかもしれない。ぼく

【神話エッセイ】秋の思い出 その3

今回の記事は(できることなら)この曲を流しながら読んでください。 ぼくは秋の稲刈り後の光景が大好きだ。 おそらくそれはこどもの頃の記憶のせいであろう。秋晴れの稲刈り後の田園は学校から帰ってくると格好の遊び場に変わる。近所のこども達と野球をする場所になるのだ。 今から考えると小学校から帰ってくるのはだいたい3~4時すぎ。それから秋の夕暮れまでだから5時を過ぎると暗くなり始めるので、1時間もあればよいほうだろう。それだけの時間なのに、ずいぶんと遊んだ気がするのは今でも不思議

【神話エッセイ】秋の思い出 その2

みなさん、カラーひよこをご存じだろうか? 秋祭りの縁日で的屋がやってくるということを記事にした。 地元の小さな神社のお祭りでは2軒の屋台が出るのが精いっぱいだったけど、隣町のお祭りは盛大で(とはいっても田舎の中ではというほどのことだが)十数軒の屋台が境内を囲むようなお祭りであった。あるとき、カラーひよこなるものを売るお店がやってきた。 まだ小学生低学年だったぼくはそのカラーひよこに一目ぼれ、おじいちゃんにせがんで2匹買ってもらった。確か、黄色と赤色のひよこだったと記憶し

【神話エッセイ】秋の思い出 その1

秋になると近くの神社で秋祭りがある。 その神社というのは由緒があるというほどのものではなく、その昔(といっても100年もたっていない)、すぐ後ろを流れている斐伊川が氾濫したときに川上から神社関係のものが流れ着いたらしい。それを奇禍として、地元の名士が集まり、祀ったというのがこの神社の起こりである。 だから祭神がおそらくはっきりしていない。それでも地元のみんなは有り難がってこの神社を祀っている。そう考えると、各地でこのような神社が次々と増えているということの証左にもなる。も

【神話エッセイ】 名前を調べる時に想うこと

学生時代、友人から司馬遼太郎さんの歴史小説を勧められ、ずいぶんはまったことがある。 一度はまるとしばらくはずっとその作者の作品を追い続ける癖がぼくにはある。ご多分にも漏れず、司馬作品は10年くらいずっと読み続けた。小説、随筆など、何でも読んだ。そこで「峠」を見つけたのは、ほんとうに幸せなことだったと今でも思っている。 司馬遼太郎さんは幕末ものが有名(竜馬がゆく、燃えよ剣、世に棲む日日など)だが、当然ながら戦国ものもたくさんある。「国盗り物語」、「太閤記」、「覇王の家」、「

【神話エッセイ】 巨人達の足あと

唐突だが、ジャズと神話って、親和性があると思う。 例えば、クラシックやロックやポップスの場合、あまりそんな気がしない。何故だろうと考えたときに、ひょっとしてジャズでは伝説的なアーティストのことを「巨人」と呼ぶからなんじゃないだろうかと気づいた。 ジャズジャイアンツとして、チャーリーパーカー、マイルスデイビス、ソニーロリンズ、ジョンコルトレーン等々、みなジャズの巨人と書かれている。例えば、ほかの音楽ジャンルでそのように呼ばれることはあまりない。クラシックジャイアンツ、ロック

【神話エッセイ】 厄年とヤマタノオロチ

厄年というのが女性と男性とで年齢に違いがあることをまだ知らなかったあの頃、まさか自分の身に42の「大厄」が降りかかるとは想像だにしなかった。 飲み会の失敗談は、これくらい年齢を重ねると、いくらでもあるけれど、特にあの時の失敗はひどかった。それが42の大厄に起こるのだから厄年というのもあながち間違いではないらしい。 そもそも、厄年は体調の変化からおこるものだといわれている。人間はもともと40歳ぐらいまでに亡くなる期間が歴史の上で長かったため、それぐらいの時に体調に変化が起こ

【神話エッセイ】 スイカとモロコシ

夏が終わりに近づいた。 あんなに威張っていた入道雲はどこかに雲隠れし、大空に押さえつけられたような低空雲の隊列が西に東に群れをなしていくようになった。 朝方、犬の散歩するとやかましく聞こえていたセミの声はコオロギと鈴虫の混合合唱に変わっていた。 この夏の思い出といえば(思い出したくもないのだけど)、家から100mばかりいったところにある畑のスイカとトウモロコシが禽獣に食い荒らされたことだ。 朝の犬の散歩の途中、いつも無残に荒らされた畑を見るといったいどこのどいつが荒ら

【神話エッセイ】 きもだめしとアヨアヨ

今年も夏が終わろうとしている。 夏の思い出といえば、先日、七夕のことを記事にした。 子供の頃、3自治会の子供たちが集まって七夕祭りをするという風習があった。そして夕ご飯を食べて、日が暮れると恒例の「きもだめし」がはじまる。3自治会に渡って暗道を提灯を下げて進んでいく。辻々には大人たちが扮装したおばけが待ち構えているという仕組みである。 そもそも「肝試し」はいつごろから始まったのであろうか。 平安時代にはすでに「肝試し」の風習があったと述べられている。しかし、実をいうと

【神話エッセイ】 かんぴょうと自転車

夏といえば「スイカ」と100人中100人が答える中、ぼくがまっさきに目に浮かべるのは「かんぴょう」である。 かんぴょう? あの巻き寿司に入っているかんぴょうのことか? そうです、あのかんぴょうである。 子供の頃、夏休みになるとぼくはおじいちゃんに連れられて自転車で1k先の畑にかんぴょうを取りに行かせられた。かんぴょうを食べた人もかんぴょうの実自体を知っている人は少ないであろう。かんぴょうの生産は栃木県が1位で日本のかんぴょう生産の8割を占めているということである。しか

【神話エッセイ】 風に吹かれて

最近、反抗期を迎えつつある三男坊だが、子供の頃は3兄弟の中でも最も笑わせてくれる子供だった。いつもおしゃべりしていて、いろんなことに関心があり、思うままにしゃべっているような子供だった。特に思い込みによる間違いが多いのも特徴で、例えば、コンビニに出かけるとき、 「ついでにかぜふねガム買ってきてよ」とお願いしてくる。 「・・・」 「あ、風船ガムね!」 妻はそこで笑い転げる。しかし、ぼくは笑うに笑えない。 というのも、思い込みによる間違いは明らかにぼくの血を受け継いでい

【神話エッセイ】 平和78年

平成から令和に元号がかわるとき、ぼくは元号を「平和」にしてはどうだろうと考えていた。 太平洋戦争が敗北で終わり、その後曲がりなりにも平和が78年続いている。これはこれで喜ばしいことではないかと思う(太平洋戦争を経験した人々はもう二度と戦争がごめんだと、心から思ったことだろう)。それなら毎年その平和を確認するためにも元号が平和だったら年の初めに否でも意識するのではないかと考えた。 しかしながら、ぼくは出雲男児だ。大国主命と高天原の契約以来まつりごとには参加しないことにしてい