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誰かに認めてもらえるということ

中学校の授業に技術の時間というのがあった。

授業は校舎と隣接した別棟で行われた。担任の先生はK先生。K先生はクラスを受けもっていなかったので、おそらく特別技術職のような役割ではなかったかと想像する(今となっては調べようがない)。

K先生は職員室にいるのを見たことかなかったから、おそらく技術の授業をする別棟にいつもいたのだろう(これも今となってはわからない)。

K先生は(こどもから観ても)ちょっと変わった先生だなとおもっていた。その当時からずいぶん歳がいっていて、白髪であった。

ある技術の時間に、たけとんぼを作ることになった。今のこどもたちはたけとんぼなんて作らないだろうが(そういう授業があるかもわからない)、当時もたけとんぼなんて誰も作らなくなっていた。

ちょうどいいくらいの大きさに切ってある竹と竹ひごをつかい、たけとんぼをつくる。道具は小刀とサンドペーパーだ。もちろん、ぼくもたけとんぼを作るのは初めてだった。

K先生は「集中して作るように」と指導した。そしてある条件を付けた。それは「竹はいくらでもあるが、何回つくってもいいというわけではない。回数が増えるたびに減点し、成績表に響くようにする」と不思議な条件を付けた。

授業が始まりたけとんぼを作り始めるのだけど、なかなかよく飛ぶたけとんぼが作れない。しだいに成績に響こうがかまうもんかという気持ちになってきた。もともとおしなべてどれも芳しくない成績だったぼくは別に失うものもなかった。それより美しいたけとんぼを一度でも作ってみたい気持ちが勝った。

結局、4回くらい竹を替え、授業ぎりぎりに完成したたけとんぼは誰よりもよく飛んだ。しかし、K先生は竹をもらいに行くたびに「よし減点だ。成績が下がるけど、いいのか」といやらしく聞いてきた。

いっちょ前に生意気だったぼくは「全然かまいませんから、新しい竹をください」といい続けた。K先生は鼻で笑っていた。今でもあの顔が目に浮かぶ。

さて、そのときの技術の成績はどうだったのかというと、なんと10段階評価で10だった。あとにもさきにもそんな高評価をもらったのは最初で最後だった。K先生はきっとぼくらを試していたのだ。成績には関係なく、熱中することが大事なのだと教えたかったのだと思う。そしてその頑張りは誰かがきっとみていて認めてくれるよと伝えたかったのかもしれない。

ほんとうに変わった先生だった。総じてぼくは学校や勉強が嫌いだった。それでもK先生のことは今でも思い出す。ひょっとして今でも出雲神話を調べ続けることができるのは、K先生のあの授業があったからだなと思うことがある。



出雲神話の中でもっともぼくが好きな神様はスクナヒコだということはなんども述べてきた。

大国主命とともに国造りをした神様・スクナヒコ。だが大国主命と出会う前はどんな人(神)生を歩んできたのだろうと想像する。少なくとも平坦で楽な道ではなかったように思う。スクナヒコは小さい神様である。古代において、小さいということは体力に劣るといっているようなもので、露骨に軽蔑されたであろう。だからこそスクナヒコは学問を頑張ったのではなかろうか(スクナヒコはとても物知りな神様である)。

スクナヒコはもともとこの国の神様でない。海の向こうからやってきた神様である。想像であるが、海の向こうでもまったく認められず、藁にも縋る思いでこの国にやってきたのではなかろうか。

この国にやってきたものの、周囲の目は故郷とさほど変わることはなかった。多くの神様はきっとスクナヒコの見た目をバカにしたことであろう。

その中で唯一、大国主命だけは違っていた。その姿をみても馬鹿にするどころか、面白いと感じていたような節がある。だからこそスクナヒコは大国主命にだけは協力して国造りをしたように思う。

大国主命とスクナヒコナの逸話でぼくがもっとも好きなのは播磨国風土記の中の一節である。ちょっと汚い話であるが、素敵なエピソードだと思う。

その場所をはに丘と呼ぶわけは、昔、大汝命と少日子根命とが互いにいい争って「はに(粘土)を担いで遠くまで行くのと糞をしないで遠くまで行くのと、この2つのうちどちらがやり通せるだろうか」といった。そこで大汝命は「私は糞をしないで行こう」といい、少日子根命は「私ははにの荷を持っていこう」といった。そしてこんなふうにお互い争って行ったが、数日過ぎて、大汝命は「わたしはもう我慢することができない」といって、その場にしゃがみこんで糞をした。そのとき少日子根命は笑って言うには「御同様、私も苦しい」と言ってこれまたそのはにをこの岡に放り投げた。故に、はに岡と呼ぶ。また、糞を垂れたとき、小竹がその糞を弾き上げて衣服にくっついた。故に、波自賀の村と呼ぶ。

播磨国風土記-神前郡・はに丘里-


大国主命はスクナヒコと同じ土俵で勝負しようといわない。自分は糞をがまんしてどこまでいけるかやってみるという、そのかわりスクナヒコは粘土を担いでどこまでいけるか勝負しようというのだ。非力なスクナヒコを笑うのではなく、別な方法で勝負なんてできるんだよと大国主命が言っているようにも見える。もちろん、その気持ちをスクナヒコも素直に受け取ったのだと思う。

スクナヒコはこの国にきたときにひとことも言葉をしゃべらなかったという。スクナヒコのこころは誰も触れることができないほど、意固地でいびつなものになっていたのだろう。しかし、大国主命と出会ってからは大いに笑い、大いに怒るようになった。スクナヒコも「自分を知る」神様に出会えて、嬉しかったのだろう。はじめて自分を認めてくれる人物(神様)に出会えたので、スクナヒコの持つ知識のすべてを大国主命にささげたいと思ったのに違いない。

スクナヒコは御存じのように国造りの途中でリタイアし、常世の国に飛ばされてしまう。大国主命は大いに嘆き悲しんだという。しかし、スクナヒコはひょっとして満足して旅だったのではないかと思う。

自分を認めてくれ、ともに仕事をすることができたのだ。すくなくともスクナヒコの人(神)生はけして悪いものではなかったであろう。


スクナヒコは粟島神社(米子市)に大切に祀られている。

今回も最後まで読んでくださり、ありがとうございました。  

よかったら粟島神社にもいらしてください。

スクナヒコも粘土を担いで勝負をまっているかもしれませんよ ♪

では、お待ちしています ♪





こちらでは出雲神話から青銅器の使い方を考えています。

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