母音の話2: Wikipedia のスウェーデン語の母音チャートがわかりにくかったから、わかりやすくした

まじでわかりにくいWikipedia

前回の記事で、F2 の値を4段階区別する言語の例としてスウェーデン語をあげたけど、無責任にも引用元の論文にそう書いてあったのをそのまま書いてしまっただけだったから、一応確認してみることにした。

英語版 Wikipedia には以下の図が載っている。

スウェーデン語の母音 https://en.wikipedia.org/wiki/Swedish_phonology#/media/File:Swedish_monophthongs_chart.svg

引用されているのは IPA の公式ハンドブック。

ぱっと見、かなりごちゃごちゃしていて、何がどうなっているのかよくわからない。とにかく左上の方にいろんな母音が密集していることはよくわかる。もちろんこれはWikipediaのせいではないし、IPA ハンドブックの該当部分の著者である Olle Engstrand 氏のせいでもない。現実がそうなのだから仕方がない。

問題は整理のしかたのほうで、こんな表が載ってるけど、かなり歪な体系に見える。整理できているようで全然整理できていない。

スウェーデン語の母音 https://en.wikipedia.org/w/index.php?title=Swedish_phonology&oldid=1148322279

スウェーデン語の母音の tense と lax

スウェーデン語の母音には、tense と lax の対立がある。スウェーデン語では、tense の母音は lax の母音よりも長く発音される。また、対応する lax の母音よりも少し狭い。(最初の画像に当てはめると、やや上寄りということになる。)

例えば、lax 母音の ɪ は、tense 母音の iː と対応する。同じように、ʏ は yː に対応する。このことを踏まえて最初に掲載した画像を改めて見直してみると、以下の対応関係を考えることができる。

  • ɪ - iː

  • ʏ - yː

  • ɛ - eː

  • œ - øː

  • ʊ - uː

  • ɔ - oː

対応関係がぱっと見でよくわからないのは、残りの ɛː, ɵ, ʉː, a, ɑː. Tense と lax でペアになっているなら、偶数じゃないとおかしいけど、ちょうど5個余っている。

実は、tense の ɛː に対応する lax 母音があって、それが eː に対応する lax 母音である ɛ と同じになってしまったらしい (Fant 1983, p. 2)。だから、仲間はずれは ɛː. 残りの ɵ, ʉː, a, ɑː は、互いにバラバラの位置にあってあまり綺麗な対応にならないけど、一応、近さからしてこういう対応だろう、と考えることはできる。

  • ɵ - ʉː

  • a - ɑː

実際、音韻的にもこの通りの対応関係は観察できなくはないらしい。(Löfstedt (2010) pp. 88-93 にニックネームの例と接尾辞 -isk がついた場合の例が挙がっている。)

スウェーデン語の母音の soft と hard

スウェーデン語の母音は soft と hard に分けられる。が、これは前母音と後ろ母音のことらしい。(例によって central は back 扱い。あと、ʉː には特記事項がある。後述。)ɪ - iː, ʏ - yː, ɛ - eː, œ - øː, さらに仲間外れの ɛː の5組が soft, つまり前母音で、残りの ʊ - uː, ɔ - oː, ɵ - ʉː, a - ɑː の4組が hard, つまり後ろ母音。

スウェーデン語のわかりやすい母音チャート

これらの事実を整理して表にまとめるとこんな感じになる。

スウェーデン語の母音は、前母音と後ろ母音に分けられる。英語で前母音は soft vowels, 後ろ母音は hard vowels とも呼ばれる。F2 の値を基準として、前と後ろの両方について、前よりのシリーズと後ろ寄りのシリーズがある。したがって、F2 の値は4段階に区別されることになる。高さは high, mid, low の3段階に分けることができる。母音は tense と lax のペアになっていて、tense は lax よりも少し狭く、長い。Tense ɛː に対応するただ一つの lax 母音はないが、æ があったら対応しそうである。また、Lax ɞ に対応する tense 母音は、ɵː よりもさらに狭い ʉː である。

記号を一部変えているところがある。ɞ は最初に載せた画像では ɵ になっていた母音。これは [ɵ] と [ɞ] の間 ([ɵ̞]) に位置することになっているから、「低めの ɵ」と解釈することも「高めの ɞ」と解釈することもできる。ɛ は「高めの ɛ」なのだから、ここも「高めの ɞ」と考えた方がわかりやすい。

ʌː は ɑː と書いてあったもので、[ʌː] と [ɑː] の中間 ([ɑ̝ː]) に位置しているけど、これを ɑː と書いてしまっては、a と高さの違いがあることが伝わらない。Tense の方が高いことは全てのペアで成り立つ法則だから、高さの違いが表示されることは重要。同じカテゴリの tense 母音 ɛː に合わせて ʌː と書いた方が、これが a に対応する tense 母音であることがわかりやすい。

こうやって整理することで、どの lax 母音がどの tense 母音に対応しているのかがすぐにわかるし、 ɛː に対応する専用の lax 母音がないこと、ɞ に対応する tense 母音がなぜかすごく高いことなどもよくわかる。

「スウェーデン語では F2 の区別が4段階ある」という事実の一応の確認はできたと思う。iː-yː-ʉː-uː だけでなく、ɛ-œ-ɞ-ɔ のところも4段階ある。

ʉː の実態

ここでは便宜上 ʉː を central 母音として扱ってきたけど、調音的には、これは前母音らしい。だからこの母音は、調音的には、[high, front, round, tense] だということになり、yː と何が違うのかわからなくなってしまう。音声学の世界ではスウェーデン語のこの母音の扱いは一悶着あったらしい。もっとも、実際の調音運動として何が違うかはわかっていて、ʉː と yː では唇の丸め方が異なる。 (Ladefoged & Maddieson 1996, p. 295; Fant 1986, p. 4)

参考までに YouTube で見つけたスウェーデン語レッスンをどうぞ。長い <u> がこの記事でいう ʉː. 比較対象となる yː は長い <y>:

「調音を基準にすると front-central-back に round-unround で合わせて6パターンのカテゴリができてしまうけど、これは現実の言語に照らすと多すぎる」という話を前回したけど、ここで2種類の唇の丸め方の区別を採用してしまうと、round1-round2-unround に front-central-back で9パターンできるので、事態はさらに悪くなる。

スウェーデン語の yː と ʉː が調音的にはどちらも前母音であるという事実、そして、にもかかわらず ʉː が後ろ母音のように振る舞うという事実は、「母音の前後を表す音韻素性は調音ではなく音響に従って定義した方が良い」という考えを支持すると思う。

おまけ

前回も紹介した EKPA で同じ母音図をかくとこうなる。

EKPA で書いたスウェーデン語の母音チャート。
EKPA で書いたスウェーデン語の母音チャート。

良くも悪くも、EKPA は音韻素性の値をそのまま記号にするような方式なので、こうやって表の中に入れても実は情報量が増えない。IPA を使うと「この言語の [low, front, tense] は [ɛː] に近い音なんだなあ」とか思えるけど、EKPA ではこの場合、ǣ という記号に [low, front, tense] 以外の情報がない。

出典

本文中にリンクを貼っているものは省略。

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