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津田左右吉

近くにに用事があったので、津田左右吉博士記念館に立ち寄ってみた。

日本、東洋の古代史・思想史を文献批判による研究を行い、研究者として広く認められた。1920(大正9)年、早稲田大学教授となり、さらに研究活動を充実させ、代表的な著書を多く執筆した。時局が戦時となると簑田胸喜らによって起こされた津田批判キャンペーンから検察に告発を受け、1940(昭和15)年、『神代史の研究』『古事記及び日本書紀の研究』『日本上代史研究』『上代日本の社会及び思想』の四著が皇室の尊厳冒涜罪で出版法違反に問われる。
美濃加茂市民ミュージアム

という説明もあり、私は迂闊にも津田左右吉博士は皇室の抹殺を目論む左翼主義者だと誤認してしまっていた。

一九四六年四月、この論文は『世界』に掲載されました。その結果、津田は皇室を深く敬愛し、神武天皇をはじめとする歴代天皇の存在を信じ、皇室及び天王制度の存続を希求していたことが明らかになったのです。
日本人の祖先は縄文人だった 長浜浩明

最新技術により、Y遺伝子の解明が進み、その拡散状況から、人類の移動がほぼ特定できた。遺伝子の解析から稲作の起源から伝播が鮮明に成ってきた。「渡来系弥生人」は渡来していなかった。など新事実が明らかになってきているが、あの科学技術が未完成の時代に、ほぼ正確な分析をしていた津田左右吉博士を尊敬する。

皇国史観や左翼主義に毒されずに純粋に研究を進めたこの偉大な学者の研究成果を顧みなかった自分を反省して、とりあえず『古事記および日本書紀の研究』を発注した。



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