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OH!へんろ。親子の88か所巡り(19番札所):橋池山 立江寺(徳島県)

わたしが、子どもたちと決めた今回のお遍路ルールは一つだけ。納経所で御朱印をいただくのは子どもたちの役割ということ。ちゃんと挨拶をして、御朱印をお願いし、最後はしっかり御礼をする、です。

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今日の煩悩

日本人は「集団主義」だと言われることがあります。しかし、実験結果からは、日本人よりもアメリカ人の方が集団的行動をする傾向もうかがえるそうです。おそらく、集団を動かす力学に違いがあるのでしょう。

「安心社会」と「信頼社会」という概念があります。これは、北海道大学で活躍された、故・山岸俊男さんがずいぶん前に広めました。

安心社会は、ある程度、固定したコミュニティのなかで、お互いが安心できる関係性を重視します。「あいつは信用できるかどうかわからないけれど、このコミュニティで生きている以上、いい加減なことはできないだろう。安心だ」というやつです。

昔はよく聞いた縁故採用などもそのカテゴリに入るのかもしれません。つまり、この若者のことは良く知らないし信頼はできないけれど、もし変なことをすれば同じ会社で働く「叔父さん」に迷惑がかかることはわかっているだろうから「安心できる」というわけですね。

孫悟空は悪さをするけれど、三蔵法師が付けたあの頭の「わっか」(『緊箍児呪(きんこじじゅ)』あるいは『定心真言(じょうしんしんごん)』)が付いている限りにおいて安心だ!というやつです。

信頼社会はどうか。あいつは信頼できるかどうか。集めた情報と私の見立てでは、(見立てが間違えていたりするリスクを承知の上で)「私はあいつのことを信頼できる」。

つまり、世の中は不確実性が高いが、私は自分の情報収集力と分析力から導き出した判断をリスクをテイクして引き受ける、というのが信頼ベースです。

グローバル化の世の中では、社会の不確実性も増していますし、人間の流動性は固定したコミュニティの存在を揺るがしています。

だって、村社会で「私たちのルールはわかっているね」と言われても、そのコミュニティーの内外を自由に行き来できるモビリティの高い人には「脅しになりません」からね。

安心社会と信頼社会はどちらが優れているかという問題ではないです。安心社会には良いところがあったので長いこと使われてきたのです。

しかし、グローバリズム(自分たちの価値観を意図的に世界のスタンダードにしたいという強い意思)を進めるグローバリストは、不確実性の中でリスクを覚悟で挑むことを寿ぐので、彼らに感化されている日本社会はそちらの方向に進みがちです。

さてさて、歴史上日本人の多数派は農家でした。農業は計画性と合理性が高い営みです。種まきや刈り取りのタイミングを逃すと収穫が減りますし、皆が飢えてしまいます。

なので、優れた農家は天候を記録し、作物の成長を記録し、良かった点や改善点を記録します。非常に「科学的」な営みですね。

一方で「隣百姓」という言葉があります。これは、近隣の優れた農家のとるタイミングを見て、自分たちもまねて行動します。

学生も、自分で考えて取得する単位や卒論の準備を決定する者もいれば、まわりがなんか慌ただしくなったので、「なになに、何でみんな参加しているの?」「何を提出しているの?」と、隣人のタイミングを見ながら卒業に漕ぎつける人もいます。

助けてくれる仲間を持つのも能力です。しかし、どうやら社会は、自分で情報を集めて考えて判断する社会に向かっているようです。これは、そうなんです。アメリカが信頼社会になった理由は、たぶん「社会の不確実性が高くなった社会」だからです。

つまり、日本がアメリカ化しているというよりは、日本社会の不確実性が高くなったということなのでしょう。

仲間の助けを得ながら大学を卒業したり、周りを見ながらみんなで豊作になることも、それはそれで牧歌的な良いところがあると思います。でも、そうはさせてもらえない世知辛い社会になるのでしょうか。


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御詠歌:

いつかさて西のすまいのわが立江 弘誓の舟に乗りていたらむ

本尊:

延命地蔵菩薩

創建:

天平19年(747)

真言:

おん かかかび さんまえい そわか

歴史:

縁起によれば、聖武天皇(在位724〜49)の勅願で行基菩薩によって創建されました。行基菩薩が光明皇后の安産を祈るため、5.5センチほど黄金の「子安地蔵」を念持仏として彫造したそうです。これを「延命地蔵菩薩」と名づけて本尊にし、堂塔を建立したと伝えられています。弘仁6年(815)に弘法大師が訪れ、ご本尊を拝したとのことです。

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所在地:

徳島県小松島市立江町字若松13番地

駐車場:

あり。普通車300円

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