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雑記:学生になりました。

どうも、お久しぶりの雑記です。サカキです。

最近は何をしているかというと、OzoneDAOでOzonePrayGroundを作ってみたり、

なぜか今年は死んだはずの令和市が文化祭や運動会に参加するとのことで、コミュニケーションを再開したり、バーチャル街づくり連合でコミュニティNFT福袋を作ろうとしたり、澪標研究棟をバージョンアップさせようとしていたり、

澪標研究所 (1)

逃げBarのアンバサダーをしたり、

DJデビューさせてもらったり、

まあ相変わらず面白いたちと面白いことを開拓するライフハックに精を出しておりました。


地球から生えよう。今一度。

とまあ、こんな調子で祝祭屋を名乗りながらいろいろやり散らかしていたのですが、

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先日企画展『生命が美しいとしたら、それは何故か』に参加したことがきっかけで、作品とはなにか、作品を作るとはどういうことか今一度学びなおしたい欲が生まれました。

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その時の欲求を言葉で表すならば、「宇宙から地球を見たら何も言うことはないのだけれど、最近地球から宇宙を見たときの景色を言葉で伝えることをしていなさすぎる。人間ゲームのストーリーを進めるなら、今一度地球から生える必要がありそうだ。」でした。

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Facebookなどで昔の投稿がレコメンドされるたびに感じていたことではありますが、明らかに昔の方が何を企図してプロジェクトに取り組んでいるのかについて言語化していました。


それに比べて現在はどうでしょう。自分から意図を発信することを放棄しています。令和市だよりもほぼ他の市民からの声で形成されています。


このままで良いのでしょうか?

宇宙から地球を見たら本当にもう言うことはありません。

みんな違ってみんないい。
すべては無から無へ。ビッグバンの時に決まったアルゴリズム
に沿って。
本日も順調に諸行は無常かつ涅槃は寂静。
生も死もないぜ☆すべては現象!!!

これまではなんかこういう、、あれなかんじでよかったのかもしれませんが、そろそろ語る必要がありそうと感じています。


わけのわからないままやり散らかす百鬼夜行の美学もありますが、あまりにも歴史や学問を無視しすぎているのは、地球へのリスペクトが足りていないと思い、

大学卒業から10年以上たった今、大学3年生くらいの気分でもう一度あの時のセーブポイントからやり直そうと思います。


大学の先生方、あの時はわがまま言ってすみませんでした。

またアートと向き合います。


というわけで、こちらの学校にお世話になっております。

10月から学生しています。


すごくいいです。


どうすごくいいか書くと長くなっちゃうのでそれはまたの機会に。

今後言語化する習慣作りも含めて、学びながら感じたことなども書いていこうかなと思っております。


あー、言っちゃった。言っちゃったら書かないとねー。

人生は習慣化。


それでは、


今後ともサカキミヤコをどうぞご贔屓に。


祝祭屋・サカキミヤコ

広大な仮想空間の中でこんにちは。サポートもらった分また実験して新しい景色を作ります。