今回は私の体験談です。

私は『源氏物語』の研究をやっているし、当然のこと、『源氏物語』は幾度となく読んでいる。

別に「ストーリーが好き」とか「紫式部にガチ恋している」とかではなくて、単純に「物語内の歌を研究したい」といった動機から『源氏物語』の研究に手を出した訳である。

最近では歌から離れて『源氏物語』の享受について興味を持ち始めた。物語にしろ何にしろ、享受されなくなった文献は「古典」というよりは「資料」といったほうが良いように思われる。

そういった意味で「古典」とは「読みつがれてきたテクスト」であるといえる。

「じゃあ『源氏物語』は現代でも生きているのか、自身の実感に落とし込めるような形で読むことができるのか」という疑問が浮かんでくるかもしれないが、私の経験からいうと、「できる」だ。

その経験を記すとなると、一番しっくり来るのは恋愛関係である。

私の恋愛経験から一つ書いてみよう。

あれは確か私がまだ大学三年生だった時である。日本文学専攻にとある後輩が入ってきた。

額が狭く、めちゃくちゃ早口で、言動はどこかズレている。そそっかしくて、三ヶ月に一回くらい何かしらやらかす。

後ほどこの後輩と私は付き合うこととなったのだが、顔合わせの時の第一印象は「何なんだろう、見た目もさることながら早口過ぎてなにいってんのか半分以上わかんねえ……」だった。

学園もののサブカルチャー作品で俺様系の男が「おもしれー女」という場面があるが、別の意味で「おもしれー女」と思ったと記憶している。なお、注記しておくが、私は俺様系ではない。

なんだかんだあって大学を卒業し、院生になってからその後輩と会うことになった。私は別の大学の院に進学したので、たまたま母校に立ち寄った折にお付き合いを申し込まれた訳である。

当時彼女とかいなかったし、「まあいいか」と付き合った訳であるが、当時修士論文に向けて『源氏物語』を読み直していた私はふとこんなことを思ったわけである。

「この子、額が狭くてめちゃくちゃ早口で、そそっかしい上に言動がズレているって……まんま『源氏物語』の近江の君じゃん……」

と。

別れてから五年以上経った今でも、『源氏物語』の近江の君の描写を読むとその元カノを思い出す。「元気にしてるかな」と思ったりもするのだが、我ながら「近江の君」はなかなかに酷いな、と思ってみたりもしている。

古典に登場する人物って、多分現代にも似たようなのがいるんだよなぁ、と思ったりするわけだ。

そういった、「古典の人物っぽい現代人」と出会ったという意味で、実感をもって『源氏物語』を読んだりしている。

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