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古井由吉『妻隠』とサスペンス

 古井由吉は1971年に『杳子ようこ』と『妻隠つまごみ』の二作が候補作となり受賞にいたるのであるが、二作をまとめて候補作としたことに疑問が残る。
 三木卓は新潮文庫の解説で「『杳子』と『妻隠』の二つの作品は、並記してそのまま一冊の本の書名とされているが、読み終えてみて、もっともだ、という気がした。」「『妻隠』は、『杳子』の延長線上にあるものといえよう」と記しているが、何かの冗談としか思えない。何故ならば『杳子』と『妻隠』はむしろ対照的な作品だから二作品選ばれたはずで、当時の芥川賞選考委員の丹羽文雄、中村光夫、大岡昇平、井上靖は『妻隠』の方を推している。

 東京大学の阿部公彦教授が『小説的思考のススメ――「気になる部分」だらけの日本文学』(東京大学出版会 2012.3.21)でその経緯を綴っている。

 よく知られているように古井由吉は「杳子」という作品で芥川賞を受賞(一九七〇年)し文壇デビューを飾りましたが、そのとき芥川賞選考会議ではもう一篇の作品が最終選考に残っていました。その一篇とは、同じく古井氏による「妻隠」だったのです。同一の著者の作品がふたつ最終選考に残り、どちらを芥川賞にしようかという話し合いになったわけです。
 結局賞をもらったのは「杳子」の方でしたが、落選(?)した「妻隠」の方もなかなかの小説です。(p.172)

 しかし一緒に収録した結果として、『杳子』を読んでその文章の難解さに『妻隠』を読まずに投げ出してしまった読者が多いのではないかと危惧している。最初に『妻隠』を解説してみようと思う。

 主人公の寿夫ひさおは学生時代から交際していた久子と就職を機に結婚した五年前に今のアパートに引っ越して来た。ある月曜日の朝に倦怠感に襲われながらも会社に行ったのだが、発熱で立っていられない状態になり、火水木の三日間は寝床に就き、結局、一週間休んだのである。そんな時、アパートの横手の共同の流し場の近くに立っていた寿夫に老婆が「ヒロシ君、家にいる」と訊いてきたのが物語の始まりである。ヒロシという少年を寿夫は知っていたものの交流はなかったのだが、さらに老婆は「あんたが心がけさえ改めれば、いいお嫁さん、ちゃあんと世話してあげるわよ(p.186)」などと既婚者の寿夫に語りかけて来る。

 寿夫は自分が倒れた時のことを覚えていなかったが、自力で家まで戻り、何故かヒロシが医者を呼びに行ったと久子が言う。(p.211)

 久子は老婆と面識があり「夫に先立たれて望みを失った人が、集会に来るようになってからまた生甲斐いきがいを取り戻して、そのうちに仲間の一人と幸福しあわせになった」というような話を聞かされたと言う(p.217)。

 寿夫は久子との関係に不安がないわけではなかった。見合い結婚ではなく恋愛結婚で結ばれた二人は「誰にも頼らずに一緒になった男女は、子供でもなければ、離れるのにも誰の邪魔も入らない。すべてが二人だけにゆだねられている。単純にれ合った男女なら、それに気づいてハッとしたら、もうおしまいだ」(p.224)

 そしてお風呂から上がった寿夫が寝床で横になっていると外から声が聞こえるのである。

「そいつは、おめえ、ゴーカンでねえか」
「バカ言うな。そんなもんでねえ」と濁声がおごそかにたしなめた。
「押し倒したんだろうが」とまた別な声がせきこんだ調子でたずねた。
「ああ、引っぱたいて押し倒した」と濁声が泰然と答えた。
「ゴーカンでねえか」息を呑むような響きだった。
「違うな」と濁声が言って言葉を跡切った。一同の顔を見まわしている気配だった。
「違う。それから、俺は倒れている女の足もとに土下座したんだ。そして頭を地面にこすりつけてよ、頼みこんだんだ、一生のお願いだから、やらせてくださいって」
「下手な芝居やんな。大事な時に」
「芝居なもんか。何のつもりか俺にもよくわかんなかったけどよ、くりかえし頭をさげてるうちに、涙がボロボロ出てきやがった」
「女はどうしたい」
「頭をそうっと起してこっちを見てた」
「それで、何と言った」
「させてあげるわって」(p.245-p.246)

 やがてその現場にポリバケツのゴミを捨てに行った久子が加わって談笑する様子を寿夫は部屋から目撃することになる。

 暗闇の奥で老婆のしきりにささやきかける声と、ウッウッとヒロシの不器用にうなずく声とが、長いこと細々と続いた。(p.256)

 証拠は全くないものの、久子の不貞を疑わずにはいられない状況に追いこまれる寿夫という、このサスペンスは読みごたえがあると思う。